雛祭さんは逃げ出したい 5
ヤシの木がずらりと植わった、国際通り。青い空に生えるヤシの木の緑は、まるで映画のような鮮やかなコントラストだ。
ここでの散策は、マップを片手にみんなで色んな店を周る――つもりだった。だが、にやにやした快人が近づいてきて、耳元で気味悪くささやいた。
「雛祭さんと、周りたいんじゃないの〜? ふたりっきりでさ〜」
「はあ? お前やめろ。そーゆーの……」
「なにいってんだよ! お前は雛祭さんを魔の手から救ったヒーローなんだからさ、胸をはれよ!」
ばしん、と背中を叩かれ、前によろめく。
クラスにひとりはいるお調子者か、お前は。何が、ヒーローだよ。つか、相手は実の父親なんだから、魔の手とかいうなよ。実際、魔王みたいなセーカクのやつだったけど。
ヒーローなんて、おれからいちばん遠い肩書きだろーが。
「おれが、天野川と山際さんを連れて、お前らをまいてやるよ」
「おい、待てって」
「大丈夫だ、まかせろ。女子ふたりはべらせて、ハーレムなんて考えてねえから」
「本音だだもれ」
「断じて、あなどるな。おれは、お前らのことを真剣に応援している。おれってさー、どっちかっていうと、主人公の親友ポジだと思うんだよ、自己分析した結果。だから、こういうときは、相手の恋を応援するほうにシフトしてったほうが、いい展開に転ぶと思うんだよな。さーて、どっちを彼女にしようかなーぐへへ」
「おーい、最低か。あと、誰が親友ポジだよ。どっちを彼女にとか、発想がクズ過ぎるから、今すぐ善行して、徳を積んだほうが、まだマシ」
沖縄随一の繁華街らしい、国際通り。その名の通り、大きな道路にいくつもの店が集まっている、観光地だ。
那覇市にある県道三十九号にそって、たくさんの店が並ぶ。各所に鎮座するシーサーでは、すでに女子グループたちがSNS用の写真を撮っているようだ。
「ったく、いーから行って来いって。まずは雛祭さんのラインに連絡!」
快人に背中を押される。おれはそれに必死に抗う。
通行人に、ちらちらと見られている。あのさ、おれはオタクなんだよ、基本目立ちたくないんだよ。なのに、首里城のあたりから、こんなのばっかりだ。
おれは、日陰がいいんだよ。恋愛とか、似合わないって。
「あのなあ、快人。そういうのいいから……」
「あのう、鯉幟くん」
うんざりしながら、快人に抗議しようとしたとき、遠慮がちな雛祭さんの声がして、おれたちはピタリと固まった。
後ろをふり向くと、恐縮しているようすの雛祭さんが、すらりと背筋をのばして立っていた。
「ちょっと、いいですか?」
「あ、うん」
「わたし、行きたいところがあるんです」
「えっ」
「いっしょに、行ってくれませんか?」
「あ、じゃあ、みんなで……」
「行ってくれますか? よかった! 時間がありません。さっそく行きましょう」
おれの表情で、さっさと肯定ととったらしい雛祭さんは嬉しそうにほほ笑むと、きゅ、と手を握ってきた。有無をいわさぬスピード感。おれは、なんてスローリーなんだ。
ぐいっと引っ張られたら、貧弱なおれは、まんまと重力に逆らえず、雛祭さんとともに走りだしてしまう。
ふり返ると、快人がにやにやとつり上がった笑みを浮かべている。ぽかんとしている山際さんの隣には、何ともいえない顔をしているみくりがいた。
おれは雛祭さんに引っ張られ、トロピカルな店構えや、モンスターのようなシーサーが並ぶ国際通りを走り出した。
止まることなく走り続ける雛祭さんが、どこに向かっているのかもわからないまま、おれは運動不足の足を必死に動かした。
数分後、マップとにらめっこしながらたどり着いたのは、小さい水色の屋台だった。
手作りっぽい雰囲気の店構え、木板にペンキで描かれた看板には『ほしのいえ』とあった。
オリジナルのアクセサリーが作れるショップのようだ。店頭には、貝殻やシーグラスのブレスレットやストラップなどが、ずらりと並んでいる。棚には、『名前掘ります』とある。旅の思い出に、プレートやレザーに、日付や名前が入れられるらしい。
「雛祭さん。ここに来たかったのか?」
「は、はい……」
「こういうアクセサリー、すきなんだ」
「……これ」
雛祭さんが、店の棚を指さした。『シーグラス 海からのおくりもの』と書かれた棚には、海色をした石がつけられたブレスレットやアンクレットが陳列されている。
「雛祭さん、シーグラスに興味が……」
「ピスプルをこんなふうに、身につけられるものに加工しているのは、かなり合理的な手法だと思いまして」
「はえ? ぴ……?」
真顔で商品を見つめる雛祭さん。
ピスプルってのは、異世界語……いや、エーデルリリィ国語か?
「あの、ピスプルって……何?」
「海の色を映した、海の魔女の、魔力の結晶です。たまに、海岸に流れ着いているんですが、まさかこの世界にも流れ着いていたなんて、驚きました。売り切れないよう急いできたんですが、まだこんなにあってよかったです。わたしたち、ラッキーですよ!」
「あ、うん」
海の魔女の、魔力の結晶・ピスプル。
これは、『わたしの異世界転生記録』で見た単語だ。
つまり、雛祭さんのオリジナル設定か。
「わたし、このピスプルで、今夜の……」
雛祭さんがいいかけたとき、ブブブ……とバイブレーションが鳴った。
あわてて、スマホを取りだしたのは、雛祭さんだ。
「お母さんからです……すみません、出ますね」
ていねいに断りを入れてくれた雛祭さんは、慣れない手つきで、スマホのディスプレイをタップした。
「はい……ええ、いっしょです。え? はい、わかりました……鯉幟くん。あの、お母さんなんですけど、お話しをしたいそうでして……いいでしょうか?」
「え? 雛祭さんのお母さんが、おれと?」
「はい」
待って、待って、待ってくれ。
どうして、雛祭さんのお母さんが、おれなんかに?
さっきの雛祭父の関係か?
うん、当然だよな。誰がどう見ても、失礼な一件だったもんな。
嘘だろ、これって、おれの人生終了した? 詰んでしまったのか?
雛祭さんに差し出されたスマホを、震える手で受け取ると、おれはしぼりだすように「はい」と応えた。
『初めまして。鯉幟くんですか?』
「そ、そうですが……」
『突然、ごめんなさい。雛祭ちかなの母の、雛祭つらなです。あの、さきほどは、桃矢がすみませんでした。わたしの夫が……』
そういえば雛祭父の名前、桃矢といってたっけな。
それにしても、雛祭母……つらなさんはなぜおれにコンタクトをとってきたんだ。
『あの、桃矢が失礼なことをしたようで、大丈夫だったかなと思いまして』
「いえ、まあ……お気になさらず……」
『担任の先生がたにもご迷惑をおかけしちゃって。さっき、電話をいれさせていただいたんです』
「そうですか……」
つらなさんのほうは、雛祭父よりも、だいぶ常識的な人のようだな。
雛祭さんはお母さんのこういう部分を、しっかり受け継いでくれたようだ。心の底から、よかったと思う。
『わたし……ちかなの記憶喪失がいっこうに治らないのは、桃矢さんのああいう、スパルタのせいじゃないかと思っているんです』
うん。おれもそう思っていたから、黙ってうなずく。
さすが、母親。つらなさんも、わかっていたんだな。
雛祭父のやりすぎてしまう性格のせいで、雛祭さんがまいっていたことに。
『でも、あの人がちかなのために一生けん命に、勉強の環境をととのえたり、いい大学に行かせるために仕事をがんばっているのも見ているので、なかなか強くいえなくて……』
「なるほど……そうだったんですね」
『でも今日、鯉幟くんのおかげで、桃矢のなかで、わずかに考え方が変わったみたいなんです』
「えっ、本当ですか?」
あの、マジメガンコオヤジの考え方が?
『さっき、わたしに電話して来て……おれにも学び足りない部分があるみたいだ、なんてぼそぼそいってたんですよ。わたし、笑っちゃいました』
「うそお」
『だから、お礼をいいたくて……ありがとうございました、鯉幟くん。これからも、ちかなのこと、よろしくお願いしますね』
電話を切ると、雛祭さんはまだシーグラスを見つめていた。
スマホを返すが、おれとつらなさんとの会話には、みじんの興味もないようすだ。
今は、シーグラスのことで、頭がいっぱいらしい。
こういうまっすぐなところは、雛祭父に似ているなあ。
「鯉幟くん。このお店、ピスプルに言葉を刻めるみたいなんです」
「へえ」
興奮気味に、雛祭さんがいうのをおれはなんとなく聞いていた。
つらなさんとの会話の余韻がぬけないのもそうだったが、なぜこんなにも雛祭さんがこの店にこだわっているのか、おれはまだわかっていなかった。
雛祭さんが、おれの腕に抱き着いてきて、ぐいっと引っ張られる。
ブレスレットになっているシーグラスをつまみあげ、目の前に持ってこられた。雛祭さんに触れられたシーグラスが、きらりと光る。まるで、本当に魔力がこもっているような、きれいな輝きだった。
「ピスプルは、海の魔女が夜の星のきらめきを魔力で集めて結晶化したものなんです。だから、本物の宝石よりも強い魔力を秘めているものもあるんですよ」
「そ、そうなんだ……」
「さらに、魔力がこめられた石におのれの願いを刻むことで、より強く思いをこめることができます」
「ほうほう」
「だからですね! このピスプルのちからで、今夜の星降る夜の準備は万全ってことなんですよ!」
「……なるほど、そりゃすごい」
今夜、雛祭さんは、オリオン座流星群を見るんだろう。
エーデルリリィに帰るための、たったひとつの儀式だ。
美しい星が降る夜空のもと、彼女が願うことも、たったひとつだ。
だが雛祭さんの事情を知った今、おれは、もう記憶など取りもどさなくてもいいんじゃないか思ってしまっている。
だが、そうなったら、彼女はいったいどこへ帰ればいいんだろう。
おれはまだ、その答えを見つけられずにいる。
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