雛祭さんは憑かれている 2

 放課後の生徒指導室で、こってりとしぼられた、おれと雛祭さん。

 雛祭さんは、さすがにしょんぼりと歩いていたが、おれは別のことが気になって仕方がなくなっていた。

 もしかしたら、忘れてしまった雛祭さんの記憶には、思い出したくないものがあったんじゃないか? だから、雛祭さんはいまだに、記憶をなくしたままいるのではないか。

 医者に、記憶はたいてい二十四時間以内には、戻るといわれていたらしい。にもかかわらず、いまだに記憶は戻らない。あれからもう、三日目に入るというのに。

 こっそりと、おれは息をついた。夕陽が沈みかけた空に、紫がかった雲がゆったりと流れていく。

 なんだかこれ以上は、おれがどうこう考えても、しょうがないことのように思えてきた。雛祭さんが思い出したくないことがあるなら、それでいいじゃないか。

 マシュかわの設定以外のことをいっていた件だってそうだ。おれには、関係のないこと。雛祭さんの今が、心の底から笑顔になれるような毎日であるなら、それで十分じゃないか。


「鯉幟くん、今日は……すみませんでした」


 雛祭さんが、早足でおれの前に回ってきて、ぺこりと頭を下げた。おでこが、ひざにくっつきそうなほどの勢いだ。

 そうか。また、ずっと黙ってしまっていたんだな、おれ。だから、怒っている思われたらしい。

 おれにとっては、誰かといっしょに歩くなんて、めったにないことだからな……。また、嫌な思いをさせてしまったみたいだ。


「そ、そんなに頭を下げるなって」

「怒ってますよね……?」

「怒ってない、怒ってない。……ごめん。おれ、しゃべるの苦手だから。雛祭さんに、気まずい思いさせたんだよな」

「でも、わたしのせいで、先生に怒られてしまいましたし」

「おれは、雛祭さんの共犯だろ。気にすることじゃない」

「共犯、ですか」

「そう。―――今日は、バター芋ようかんがおいしかった。それで、いいじゃん。あ……でもけっきょく、雛祭さんは食べられなかったんだっけ……」

「いえ、もういいんです。鯉幟くんの、おいしそうな顔を見れて……嬉しかったので、満足しました」


 ふわりと笑う雛祭さんは、本心からそれをいっているんだろうと思う。

 でも、おれだけ食べさせてもらって、「ごちそうさま」では終われないんじゃないか。


「芋ようかん、あとどれくらいあるの?」

「まだ、七本くらいあります」

「じゃあ、食べよう」

「えっ?」

「まじでうまいんだよ。これは、バターで焼くのが正解。雛祭さんも、ぜったい食べたほうがいい」

「でも、うちのキッチンは使えなくて……」

「あのさ……今から、時間ある……かな」


 きょとんとする、雛祭さんだったが、すぐにこくりとうなずいた。


「デイキャンプ、行こう」

「デイキャンプ……って、なんですか?」

「外で、ご飯作って、食べること。近くで、気軽にキャンプできる施設があるんだよ。といっても、その公園……夕方五時で閉まっちゃうけど……」


 こんなの、明日でもできることだ。なんなら、明後日でも。

 なんでおれは、今からデイキャンプやろうと誘ってるんだ。

 ……見えたんだよ、家庭科室で。

 芋ようかんの消費期限が、今日の日づけなのを。

 だから、今日じゃないとだめだって、思っちゃったんだよ。


「行きます……行きたいです。デイキャンプ!」

「……じゃあ、キャンプ道具、取りに行こう」


 ここから、家まで走って三分ほど。それから、公園までチャリで二十分。

 あきらかに、むちゃなスケジュールだ。

 でも――。


「走れるか? うちに着いたら、雛祭さんは妹のチャリに乗って、スタンバイしといて。すぐに道具持って、公園に行こう」

「わかりました!」


 おれたちは、同時に走りだした。こんなの、ばかすぎる。計画性、なさすぎだ。

 なのに、おれはわくわくしていた。

 家庭科室で、バターと芋が混ざりあう香りに目を輝かせていた、雛祭さんの顔を思い浮かべながら。


 *


 キャンプ用のガスバーナーの炎が燃える音、スキレットの上でじゅうじゅうとはじけるバター、その海のなかでじゅわじゅわと焼かれていく、芋ようかん。

 いよいよ山間に陽が隠れるまぎわ、人のすがたがすっかりなくなった公園で、おれと雛祭さんは、スキレットで泳ぐ、芋ようかんを顔をよせあって見つめていた。白い湯気がたちのぼり、薄闇のなか雑草や木々がしげる。

 あと十五分で閉まる公園で、おれたちは芋ようかんを焼いている。


「焼けたよ。雛祭さん」

「すごい。こんな小さな調理器具で、料理ができるんですね」


 行きしな、近くのスーパーの百均に駆けこんで買った紙皿に、芋ようかんを乗せた。雛祭さんに、プラフォークといっしょに渡す。押し迫る時間のなか、急ぎ足に芋ようかんを切り分け食べる、雛祭さん。はふはふと熱そうにしながらも、その表情は一気に、とろけたバターのようになる。

 肌寒い風が吹くなか、芋ようかんからのぼる白い湯気が、雛祭さんを包みこむ。


「おいしいです……!」

「うん、おいしい」

「公園が閉まるまで、あと十四分だ」

「一気に焼いちゃいましょう! 十四分あれば、十分ですよね」

「そうだな。焼いちゃおう」


 不思議だ。こんなにせっぱつまった状況なのに、なぜか楽しい。

 急いでバターを溶かして、急いでぜんぶの芋ようかんを焼いた。最後はスキレットに乗ったままの芋ようかんを、ちょくせつフォークを刺して、食べた。

 芋ようかんをもぐもぐ頬ばっている雛祭さんと目があった。紅潮したほっぺたをおいしそうにふくらませ、幸せそうに笑った。おれもつられて、笑顔になる。

 この芋ようかんがやたらおいしいのは、有名店だからとか、バターで焼いてるから、だけじゃない。

 陽が沈むと、気温が一気に下がってきた。夜に着がえた公園の木々が、ざわりと鳴く。

 雛祭さんが、最後のひとかけらを飲みこんだのを見届けると、よいんに浸る間もなく、そうそうに片づけに入る。キャンプ道具やら、使った紙皿やらを、ビニル袋とバッグに突っこんで、おれたちは走って公園を出た。

 閉園、三分前。ぎりぎりまにあった。

 息を切らせ、駐輪場に着くと、ホッと胸をなで下ろす。


「なんとか、いけたな……。着きあわせちゃって、ごめん」

「とんでもないですよ。わたし、こんなに楽しい思いしたの、生まれてはじめてです」

「いや、それはいい過ぎだろ。まあ、そこまでいってもらえて、嬉しいよ」

「……いい過ぎなんかじゃないです」


 あたりは、すっかり暗くなっている。夜の暗がりのなか、ぼんやりと灯る街灯が、おれたちを微かに照らした。


「今日は……なんだか、こっち世界もいいなって、思えました」

「それは、光栄だな」

「ふふ。鯉幟くんのおかげです」


 おれの、おかげ。あの雛祭さんに、そんなふうにいってもらえたことが無性に嬉しくて―――でも、おれなんかに恩なんか感じてもらうのが、申し訳なくて。

 褒められ慣れてないおれは、やっぱり雛祭さんの言葉を「大げさ」だと思ってしまった。


「……おれ、そんなにありがたがられること、してないって」


 すると、雛祭さんはムッと、不機嫌そうな表情になってしまう。


「じゃあ、鯉幟くんは、わたしといっしょにバター芋ようかんを作って、楽しくなかったんですか」

「まさか。そんなこといってないだろ」

「だって、さっきも『ごめん』なんていってきましたし……」

「……おれが変なこと思いついたせいで、こんな時間までつきあわせちゃったんだから、そりゃ謝るだろ」

「なんで謝るんですか! おかしいですよ、そんなの。わたしは、楽しかったっていってるじゃないですか」

「おい、待てよ。なんで、逆ギレしてくるんだよ」

「だって、さっきまで! あんなに……楽しかったのに、こんな気持ちにさせられて、意味わかんないですよ!」


 雛祭さんは、ぎゅ、とくちびると引き結ぶと、自転車に乗って、ひとりで走って行ってしまった。

 おれは、その場に取り残されると、しばらく雛祭さんが走って行った方向を見つめていた。いつまでたっても、頭のなかが真っ白だった。

 ようやく気を取りなおしたのは、スマホのバイブが鳴ったからだ。あわてて、スマホを見たが、企業アカウントからのラインだった。アプリを開いても、雛祭さんからのラインは来ていない。

 漕ぐ気力がなく、手で自転車を押して、五十分かけて家に帰った。

 家の自転車置き場に、妹の自転車がていねいに停めてあった。雛祭さんに貸していた自転車だ。

 あのまま、ひとりで帰ったんだな。


「これって、ケンカ……だよな」


 友達が少ないおれは、これからどうしたらいいのか、まったくわからず、途方に暮れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る