第5話 若社長とは

 そこへさっそく智恵光院から若社長が向かったと云う連絡が入った。さあ大変みんなそれらしい仕事を確保して待機しなければならないからだ。それで写場に一旦は出した机を畳んで狭い通路のような事務所兼作業場に移動した。

 この若社長と云うのは本当に半年前に何の実績もないままに、創設者の坂出会長の孫だと云うだけで急遽就任したボンボンだ。云っていることと実績が伴ってないから九割の社員からブーイングを受けていた。

 坂出会長には一男一女で二人の子供が居た。娘は十数年前に既に嫁いで息子の孝幸たかゆきが七年前に三十代で社長に就いたが四十四歳で一年半前に亡くなっている。此の時、息子の幸治こうじは二十歳の大学生だったが四回生の夏に会長がこの孫に写真館としての自覚を持たすために社長にさせた。

 この辺の成り行きは入社前の坂上には馴染みがないが、三年目の麻生は経緯いきさつを知っていた。

「社長ってまだ大学生だろう」

「でも来月には卒業するから実質社長よ。だから若社長は今は関係各社に顔出しに暇さえ有れば廻らされているのよ」

「だからまだ写真は撮れないから会長は半年で内の仕組みを何とか身に付けさせたのは顔繋ぎのようなものだろう」

「それより先代の社長だったお父さんは吐血しただけでどうして亡くなったんですか」

「場所が悪かったのよ」

 それ以上言うな、と山尾が麻生に釘を刺した。

「何で」

 と坂上は浮かない顔をしたが、麻生は山尾の視線に気付いて、訳もなくまた電卓のキーを叩き出した。

 何でと更に思案する内に社長はスタジオに顔を見せた。すると山尾を避けるように麻生に話し掛けた。そして社長は写場に併設された狭い通路のような細長い事務所兼作業場には入らずに、直ぐにホテルの事務所に向かった。後を追うように山尾も狭い通路のような場所から、集合の椅子だけが並び他には何もない、だだっ広い写場を横切って写真室から出て行った。

「何で呼ばれてないのに室長が付いてゆくの」

「坂上君、室長はこのホテルを任されている責任者だから社長はまだ支配人以外の人は知らないからホテルの当事者かどうか見分けがつかずに相手を無視すると内の会社が困るから室長が付いてるのそれで内の評判を落とすわけにはいかないでしょう」

「それで頼まれなくてもついて行くのか。処でさっきの続きが訊きたいんだけど」

「何の話」

「先代社長の死因、何で室長は避けてるの」

「それはあたしより京都駅前に入っているもう一つのホテルに居る室長の桜木さんなら山尾さんと親しいからそっちで訊いたら」

「桜木さんかあの人とは忘年会とか慰労会それに反省会でしか会ったことがないんだがちょっと脂ぎった人だね」

 桜木と山尾と先代社長は共に会長に写真屋として仕込まれた者たちだった。それだけに好く三人は会長の遣り方について居酒屋で議論した仲だった。そして三人に共通しているのが夏山の登山だ。三人一緒に行くことは出来ない。撮影要員として必ず独りは残るから、常に交代で二人のペアで山へ行っていた。前社長が吐血したのは山尾とのペアで登山に行ったときだった。

「じゃあ別に室長は悪くないんじゃないのに、どうして若社長は彼奴あいつが殺したも同然だと言ってるんだろう」

「だからその辺は桜木さんに訊いてよ」

「あの人さっきも云ったけど脂ぎっていて苦手なんだそれに会う機会がないよだから麻生ちゃん教えて」

「急にちゃん付けはないでしょう」

「でも此処で室長の嫌がる話は出来ないでしょう」

 と云う尻から山尾が戻って来た。

「社長はどうでした」

 とこれで麻生が話を中断させた。

「もう帰ったよ多分俺が居なければ社長は此処でもっと羽を伸ばしていただろうなあ」

 これには困惑して二人ともコメントを避けて反応を示さなかった。この雰囲気が山尾には気掛かりだった。こんな状態で二人にうやむやにしていればこれからの撮影に支障をきたす。撮影者とお客さんとは良い写真を撮るという共通概念に集中しているときに、麻生や坂上にいちいち照明ライトの指示を出せば、せっかく作りかけたお客さんの好い表情が一遍に崩れてしまうからだ。例えば瞳に輝きがなければ直ぐにキャッチライトがいる。幻想的な雰囲気にはスポットライトをどう当てるか。この辺は以心伝心でスタッフが直ぐに思い通りに動いてくれなければ、せっかくのシャッターチャンスを逃してしまう。カメラマンにとってこれで評判を落とせば致命傷に成りかねない。

 山尾は誤解されずに伝えるにはどう説明すれば良いか。その辺は桜木なら上手く云ってくれるがどうも二人とも彼は苦手なようだ。この会社ではもっと人事異動させて横の繋がりを密にすれば良いが、そうすればそのスタジオで慣れたスタッフと撮影者を組み替えれば遣り方がしょっちゅう変わって困るだろうなあ。

「オイ、二人とももう直ぐお昼だ、如何どうする」

 三人ともホテルの従食で食べると決まると、山尾は坂上に留守を任せて麻生と地下の食堂へ向かった。

 いつも二人で行くが、たまにはこう謂う組み合わせも良いだろう、と山尾は無理に麻生を誘った。二人は二階のスタジオから従業員のエレベーターを使って地下の食堂へ行く。

「新社長だがなあ俺のこと何か聞いてるか」

彼奴あとつは俺のおやじを殺したってその一点張りで何の説明もないからみんなバッカ見たいって思ってるわよ」

「坂上もか」

「彼は来る前の出来事で余り関心がないみたい」

 表向きはなあ、しかしあんな言い方をすれば内面は気持ちよくないよなあ。そこで桜木と呑もうと思うが二人とも付き合って欲しいと頼み込んだ。



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