第34話 外でのお食事、彼女さん

 本日は水瀬との約束をドタキャンした埋め合わせをしていた。


 服屋を見終えた俺達は、昼ご飯を食べるためにピザの食べ放題に来ていた。


「いいのか? 食べ放題なんて女子的には嬉しくない気がするんだが」


「全然そんなことないよ。それに、三月君ピザ好きでしょ?」


「俺は好きだけど、水瀬さんが良いのかなって思って」


「私もピザ好きだもん。むしろ、女子同士だとあんまり来ないしね」


 七瀬はそう言いながら楽しそうに笑みを浮かべていた。先程までの服屋の失態もあったが、どうやらそのことは忘れてくれたようだ。


「それに、ほら。お腹いっぱいにしておかないと、三月君が私の服食べちゃうかもしれないし」


「俺のことなんだと思ってるんだ」


 いや、全然忘れてくれていなかった。というか、からかいの対象として昇華されてしまったらしい。水瀬はからかうような笑みを微かに浮かべていた。


「三月君、本当に何もしなかった?」


「……まぁ、うん」


 水瀬が試着した後の服のぬくもりと、その香りを多少嗅いでしまったくらいだし、ノーカンだろう。


 だって、服を元も場所に戻そうとしたら、勝手に五感が働いていたのだもの。それは仕方がないことだと思う。不可抗力なのだ。


 だって、男の子だもの。思春期だもの。


「今の間がすごい気になるんだけど」


 水瀬からジトっとした視線を向けられたタイミングで、食べ放題用のピザが運ばれてきた。ナイスなタイミングに心の中でガッツポーズをして、俺達は運ばれてきたピザを食べ始めた。


「そういえば、気になったことがあるんだけど」


「三月君が私の脱いだ服で何をしたのか?」


「ははっ、水瀬さんと七瀬さんとの距離感についてだな」


「あー、三月君があからさまに話を逸らそうとしてる」


 水瀬の不満げな返答をスルーして、俺は話を続けることにした。もはや、話を戻されたくないので必死である。


「七瀬さんの前だと、水瀬さんのアホっぽさが少し控えめになっている気がするんだけど」


「アホっぽさって、そんなはっきり言うんだ。まぁ、多少は抑えるようにはしてるかな?」


「幼馴染なのに抑えるものなのか?」


 勝手なイメージだが、幼馴染というものは何でも知っているイメージがある。だから、何も隠すことはなく、それこそ全てを曝け出すようなイメージがあったのだが。


「幼馴染だからかな? 素の私と学校での私の両方を知っている感じだし、やっぱりその中間になるかも」


「あー、確かに振り幅が大き過ぎると、猫被ってると思われそうだしな」


「うん。それも少しあるかな。べつに、愛実がそんなこと思うタイプじゃないのは知ってるんだけどね」


 幼馴染と言っても人それぞれということか。


 互いに他人に素を出せないのなら、まずは幼馴染同士で素の部分を見せ合えればと思ったが、どうやらそんな簡単な話ではないらしい。


 多分、水瀬以上に問題は七瀬の方だろうな。


「そういえば、七瀬さんって昔からあんなクールな感じだったのか?」


 七瀬は可愛い物が大好きで、女児向けアニメのポニキュアを愛するような少女だ。でも、自分のイメージに合わないという理由から、それらを隠している。


 そうなると、いつから隠すようになったのか気にもなる。


「ううん。昔はよく笑って、表情もころころ変わる子だったよ」


「七瀬さんがか?」


 俺は大根芝居と分かっていながらも、少し驚いたような反応を見せた。『俺の前では素直だけどな』なんて勘違いのチャラ男みたいな発言は、誤解しか生まないだろう。


 学校での七瀬しか知らないといった反応で、俺は目を大きくして驚く芝居をしてみた。


「うん。意外でしょ? 中学生になったくらいからかな? 服の好みも変わったりとか、性格も大人しくなっていったかも」


 時期的には以前に水瀬が自分を演じ始めた時期と遠くない気がする。もしかしたら、そんな水瀬を見ていく中で、七瀬も自分が周りからどう思われているのか考え始めたのかもしれないな。


 そんなことを考えながら、俺はドリンクバーから持ってきたメロンソーダを啜っていた。そんな俺の態度をどう思ったのか、水瀬はこちらにシラーとして視線を向けていた。


「な、なんだよう?」


「三月君、女の子と話しているときに、別の女の子の話題出すんだ」


 水瀬はそう言うと、不満げな表情で残っていたピザを一口で口の中に放り込んだ。もぐもぐと口を動かしながら、その表情は変わらない。


「何か言いたげだな」


「別にー。三月君って、そういうの多いなーって」


 そう言われて気がついたが、確かに水瀬と話をするときに七瀬の話題が上がることが多い。でも、共通の友人だし、それは仕方ないことではないだろうか。


 そう思いながらも、今日はただのお出かけではなく、埋め合わせであったことを思い出した。それならば、水瀬が面白いと思う話題を提供した方がいいのかもしれない。


「あれ? 今日って埋め合わせだったんだよな? 俺、ただ水瀬さんが買う服を一緒に見てただけだけど、あれで良かったのか?」


「そうだけど、どういう意味かな?」


 水瀬は俺の言っている言葉の意味が分からないといったように首を傾げていた。


 埋め合わせというからには、何か凄い量の荷物持ちとか、もっとハードなことをやらされるとばかり思っていた。それが蓋を開けば、ただ一緒に服を見ていただけ。そもそも、水瀬がそれで楽しめているのかさえ分からない。


 いや、俺をからかっているときの水瀬は楽しそうだったか。


「いや、なんか普通に俺も楽しんでるなと思って」


「私も楽しいよ。三月君がそう思ってくれたなら、私も嬉しいかな」


 水瀬は口元を緩めてそんなことを口にした。


 買い物をして、一緒にご飯を食べて。他愛ない会話をしながら笑い合う。週末で男女がそんなことをするのはフィクションの中だけだと思っていた。


 それだけに、なんだか今の状況はーー


「デートみたいで、なんかいいよなぁ」


「え? ……あっ」


「あ、今のはまずいな。えっとな、その、」


 俺は軽い気持ちで、そんな言葉を漏らしてしまっていた。


 当然、急にそんなこと言われて水瀬が平常心を保てるはずがなく、水瀬は徐々に頬を赤く染めていった。こちらに向ける視線がやけにしおらしく思えてしまい、俺は誤魔化すように言葉を続けた。


「く、口元汚れてんぞ」


「え? うそ?!」


 小さい口でピザを一気に頬張ろうとしたからだろう。口元にはピザのかすのようなものがついていた。


 このタイミングでそれに気づけて良かった。きっと、口を拭き終えた頃には、この少し甘くなったような空気も緩和されるはず。


 そう思って、安堵のため息をつこうとしたところで、俺は水瀬の行動に目を大きく見開いた。


 水瀬はナプキンがすぐに見つからないでいると、その視線を自身のTシャツの袖の方に向けたのだ。当然、そんな所で拭いたらシミになる。


「まて! 動くな!」


 そう思った俺は、反射的に水瀬の行動を封じることにした。突然、そんな事を言われた水瀬は体をビクンとさせて、こちらに少し不安げな視線を向けていた。


 なんでこのタイミングで、そんな顔をこっちに向けてくるんだ。


 俺はそう思いながらも、水瀬の口元に手を伸ばした。そして、水瀬の口元についていたピザのかすのような物に触れ、それを拭ってやった。


「ふぇっ」


 水瀬は驚くように、そんな間抜けな声を上げた。


 俺は微かに触れてしまった水瀬の唇の感触を、無理やり意識の外に持っていった。今そんなことを考えてしまったら、その感触が俺の脳内を独占することが予想されたからだ。


 もしシミにでもなったら、俺がシミ抜きとかやらないといけなくなるんだろう。そう考えての行動だったが、自分の体温が馬鹿みたいに熱くなっていたのに気がついて、その行動が安直過ぎたものだったことに気がついた。


 水瀬の小さいのに柔らかく弾力のある唇。その端に触れてしまったという事実が、俺の心音をうるさくさせた。 


「食べかすをた、食べたりはしないから安心しろ。しょうがないだろ、水瀬さんが白い服なのに袖で拭こうなんてするから」


 俺は水瀬の視線が俺の指先に集まっていたことに気づき、そんなことを口にした。


 誤魔化すような言葉は水瀬に向けられたものなのか、自分に向けられたものなのか自分でも分からなくなっていた。


「な、ナプキンなかったから、普通にティッシュで拭こうと思ったんだけど」


「え?」


「~~っ」


 そんな発言を受け、俺は水瀬の方に視線を向けた。そこで目が合った水瀬は、頬だけでなく耳の先まで真っ赤にしていた。羞恥の感情が全身を巡り、その熱でやられたように瞳も潤ませている。口元をきゅっと閉じて感情を押さえ込んでいる様子は、公共の場で辱めを受けた少女のそれだった。


 もしかして、水瀬はTシャツの袖の奥にあったバッグを見ていたのか?


 そうなると、俺は勘違いをして水瀬の口元に手を伸ばしたことになる。女子はみんな少女漫画の展開が好きなんだろうと勝手に勘違いをして、自身のスペックなどお構いなしに少女漫画みたいな行動を取る妄想オタク。


 それが今、ここに爆誕したのだった。


 やばいな、俺。かなり痛い奴だ。


「えっと……今のは、なかったことに、」


 お互いに忘れた方が身のためだろう。そう思って俺はへりくだり気味な視線を水瀬に向けた。


 しかし、水瀬は俺のその視線を受けてか、やや不満げに頬を膨らませたように見えた。なぜ、このタイミングでそんな表情をするのだろう。

 

 そんな水瀬の態度に首を傾げていると、水瀬はこちらにジトっとした視線を向けてきた。


「……三月君が、公共の場で強引に私を辱めた後、私の汚れた口元を拭って、『なかったことにしてくれ』って言ってきたって、み、みんなにーー」


「それだと俺公共の場でそういうことするの好きな人みたいだし女の人を大事にしない人みたいな感じがするのでそんな誤解にまみれたことを相談するのはやめてくださいよお願いします何卒!」


 俺はクラスでの居場所が消滅しないように、水瀬に頭を下げたのだった。


 今回は俺が悪いのだろうか? いや、普段の水瀬の行いも良くない気がするな。普通の子だったら、袖で拭うっていう勘違いもしないで済んだはずだ。


 それと、思春期。そろそろ落ち着いていこうぜ。


 俺は未だ消えることがない水瀬の唇の感触を意識しないようにしながら、深く深く頭を下げたのだった。

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