第13話 料理完成、彼女さん

「……で、できた」


「ああ。ついに完成したな」


 水瀬と共にキッチンに立って数時間。ついに、『ナスの煮浸し』と『トマト煮込み』が完成した。


 いつになく真剣な顔をしている水瀬は、どこかの陶芸家のような佇まいだった。そして、それを近くで見ていた俺の目も、作品を見るような真剣なものになっていただろう。


 まさか、料理を作るというだけでここまで神経を使うとは思いもしなかった。


『火を通りやすくするためには、野菜を薄く切ればいいんだ。そう、そう、そんな感じ。よっし、素振りはその辺にして実際に切ってみようか。……水瀬さん?』


『葉野菜の芯を取り除くときは少し斜めに刃を入れてだな……水瀬さん、なんで今太刀筋みたいに葉野菜を一刀両断した? 水瀬さん?』


『醤油とみりんは大体同じくらいの比率で入れればいいよ。あとは味見しながら調整して……み、水瀬さん! みりん凄い量出てる! それ使い切りタイプじゃないから!』


 そんなこんなで二品作るだけなのに、多くのトラブルが発生したのだった。


 比較的、簡単な料理をチョイスしたはずだったのになぁ。


「こんなに長い道のりになるとは、思わなかったな。少し水瀬さんのことを舐めてたみたいだ」


「現在進行形で舐められてる気がするんですけど?」


 水瀬は不満げな視線をこちらに向けていたが、自分に非があることを認めざる負えなかったのだろう。それ以上何かを言うことなく、悔しそうにこちらから視線を外した。


「三月君、リビングで座ってていいよ。あとは盛り付けるだけだしね」


「いや、水瀬だと凄い不安だな」


「盛り付けくらいできますー。私のサラダだって、盛り付けは綺麗だったでしょ?」


「そういえば、そうだったな」


 水瀬が初めに俺に作ってくれたサラダを思い出す。確かに、皿の外にサラダが盛られているということはなく、普通に皿の中に入っていた。いや、それどころか見た目は店で持ってくるような盛り付け方だったか。


「大丈夫だから、ほらっ。座ってて」


「あ、ああ」


 俺は水瀬に背中を押されながら、キッチンを追い出される形で後にした。


 一人リビングで待っていてもやることがない。そんな手持無沙汰な状態だったが、すぐに水瀬が料理を運んできてくれた。


 机に置かれていく料理達。冷たいお茶と、白米と、インスタント味噌汁。それと、今日作った2品である『トマト煮込み』と『ナスの煮浸し』。


 少しずつ机に料理を置いていく水瀬の姿は、手料理を振る舞う彼女のそれにしか見えなかった。


 ただ女の子が手料理を運んできてくれるだけ。そんな光景を見ているだけなのに、胸にぐっときてしまうのは、俺が男の子だからだろうか。


 やがて料理が揃うと、水瀬は俺の正面に座った。


 水瀬は俺と目が合うと、静かな笑みを浮かべながら料理に向けて両手を広げてみせた。


「ふふっ、召し上がれ」


 普段の些細な行動さえも絵になるような、学校で一番可愛い美少女。そんな子が目の前でエプロン姿でそんなセリフを口にしていた。


 そんな姿を見せられて、なんとも思うなという方が無理というものだ。


 一瞬黙り込んでしまったのは、その姿に見惚れていたからだなんて言うまでもない。


「い、いただきます」


「うんうん。どうぞー」


「……エプロンは、脱がないのか?」


 俺は何を考えたのか、何も考えられなくなっていたのか。


 お茶で緊張した口の中を潤した次には、そんなことを口にしていた。


 水瀬は俺の挙動が可笑しくなったことに気がついたのだろう。悪だくみを思いついたかのように、口元を緩ませた。


「んー。ふふっ、三月君、このままの方が喜ぶかなって」


「よ、喜ぶって、別にそんなことーー」


「それとも、脱いだ方がよかった?」


「まぁ、べ、別に、今さら脱がなくてもいいんじゃないか?」


「ふふっ、素直でよろしい」


 完全にペースを乱された俺は、反撃するまもなく水瀬のペースに乗せられてしまっていた。本来は、形勢逆転して水瀬が顔を真っ赤にさせるはずなのに、今の水瀬はずっと余裕のある笑みを浮かべたままだった。


 ちくしょう、水瀬に負かされたようで腹立たしい。


「それで、えっと、どうかな?」


「え、エプロン姿の感想を言えと?」


「違うよ! 料理、料理の感想を聞いたの!」


「あ、ああ。なんだそっちか、紛らわしい」


 目の前の料理よりも、エプロン姿の水瀬に視線がいっていたので、変な勘違いをしてしまった。


 危うく、『普通に可愛いと思うぞ』とか言うとこだったぞ。


「今のは、完全に三月君が悪いと思う」


 俺の返答を聞いて、水瀬は微かに頬を赤らめていた。ふむ。先程の水瀬のいたずらに対し、これで少しは仕返しができたのではないだろうか。


 そう思うと、少しだけいつものペースを取り戻すことができそうだった。


「うん、おいしいぞ」


 俺はナスの煮浸しを一つ箸で掴み、一口頬張ってみた。口の中には煮汁が広がり、切れ込みを入れたナスはほろほろと口の中で崩れる。


 正直、もう少し味を染み込ませるべきだとは思うが、初めて作ったにしては十分美味しい。


「ほんとう?!」


「ああ、本当においしいよ。これなら、七瀬さんも驚くだろうな」


 水瀬は俺の返答を聞くと、驚きと嬉しさが混ざったような口の緩ませ方をした。いつものえへへっとした笑い方を見ると、見てるこっちも同じ気持ちになる。

 

 それから、水瀬もナスの煮浸しに箸を伸ばして、一口頬張る。数度よく噛んでから呑み込むと、水瀬は先程見せた表情と同じような顔をしていた。


「うん、おいしい。ちゃんと火が通ってるし、しっかり味がする!」


「いや、美味しいの基準どうなってんだ」


 そんな俺の冷静なツッコミもに対しても、水瀬は嬉しそうな顔で笑っていた。


 トマト煮込みの方も完成度は低くはなく、二人で絶賛しながら食べ進めていった。


 それから、他愛もない会話をしながらご飯を食べ終え、食後のコーヒーを貰っているときだった。


「……学校でも、こんなふうに三月君と話せたらいいのにね」


 水瀬が静かにそんなことを呟いた。少しのしんみりとした声色。


 どこか寂しそうな表情から、それが難しいことまでも理解しているようだった。


「そんなことしたら、俺がクラスのみんなに磔の刑をされてしまう」


「ふふっ、そうはならないでしょ」


 俺と水瀬がクラスで会話をする光景。それは、クラスメイトからしたら異様な光景として映るのだろう。


 クラスカーストトップとただのモブ。モブが背景ではなく、表舞台に立とうとしたとなれば、非難をくらうことだってあると思う。


 でも、それ以上に水瀬がそんな目で見られるのはなんか嫌だと思った。


「まぁ、七瀬さんに勘付かれるわけにもいかないしな」


「うん。せっかく三月君に協力してもらってるんだもんね。バレて一人暮らし終了、なんてのは嫌だなぁ」


 水瀬の声はしみじみとした静かな声だった。納得はしていないけど、理解はしている。そんなことが察せられる声だった。


「私がみんなの期待に応え続けようとする限り、私がちゃんと一人暮らしできるまで、学校でも一緒にいるっていうのは難しいのかもしれないね」


「うん、難しいだろうな」


「だからさ、いつかそういうの解決できたら、さ、」


 水瀬はそれまで外していた視線をこちらに向けてきた。恥じらいのため、今すぐ離れてしまいそうな視線をぐっと堪えるように。


「三月君と一緒に、学校でお昼ご飯、食べたい」


 そう言い終えた水瀬の顔は朱色に染まっていた。頬に溜まった熱は、そのままその熱を耳の先まで伝えようとしている。


「だめ、かな?」


 断られることを不安に感じたのか、水瀬の瞳の色が変わっていく。それでいて、瞳の熱量は変わらず俺をじっと見つめていた。


 上目遣いのような視線も相まって、早まっていたはずの脈拍がもう一段早くなるのを感じた。


 どくんと激しい心音に逆らうことができない体温の上昇。


 それらを誤魔化すように、俺はその熱視線から逃れようと顔を逸らした。それでも、視線を向けられているような気がしたので、俺は頭の中を高速で駆けまわり、掛けるべき言葉を探し回った。


「み、水瀬さんがちゃんと一人暮らしできるまで、か。と、途方もないな!」


「そんな意地悪なこと言うんだ。そこは、素直に応援してくれていいのに」


 いつになくゆっくりな水瀬のペース。加速し過ぎた俺のペースと合う訳がなく、俺は一人で調子を外していた。


 水瀬の声色から、水瀬の言葉が真剣なものであることは察せられた。それなのに、一人で勝手に空回りしてる場合じゃないだろう。


 俺は深く深呼吸をして、なんとか加速している心音を落ち着かせる。落ち着いたふりを決め込んで、俺は脳に浮かんだ素直な気持ちを吐露することに努めることにした。


「そうだな、応援してるよ。俺も水瀬さんと、一緒にお昼食べたいしな」


「……うんっ、ありがとう」


 安心したような笑みを浮かべている水瀬を見て、なんで初めからその言葉を掛けられなかったのかと自身に問いてしまう。


 しかし、その答えは至ってシンプルで明確なものだった。


 つまるところ、思春期が悪いのである。


「そろそろ、帰るかな」


 時計を見ると、すでに時刻は夜の8時を回っていた。この後、特に用があるわけではないのだが、あまり夜遅くまで女の子の部屋にいるべきではないだろう。


「そっか。もうこんな時間なんだね」


「買い物から料理までしてたら、結構な時間がかかったからな」


「そうだったね。三月君、今日もありがとうね」


 俺が立ったのに合わせて、水瀬も立ち上がって玄関まで見送ってくれた。


 少しだけ湿りけがあるような水瀬の声色が気になった。さっきまでの会話が後を引いているのだろうか。


「えっと、三月君。また来週」


「おう、また来週な」


 俺は水瀬から向けらえた静かな笑みを受けながら、玄関の扉を開けた。


 また来週。やはり、俺は毎週水瀬の家に来ることになっているらしい。


 表情には出さないように、俺は心の中で笑みを浮かべていた。


 ばたんと扉が閉まる直前、俺は水瀬に大事なことを伝え忘れていたことに気がついた。


 別に今伝えなくてもいいことなのだが、わざわざ後からチャットするよりも、今言った方が楽だろう。


 そう思って、俺は水瀬の家の玄関が閉まる寸前に扉に手をかけ、その扉を開けた。


「水瀬。言い忘れてたけど、ナスの煮浸しは冷蔵庫に入れても4日くらいしか日持ちしないからーー」


「えへへっ。また来週来てくれるんだ、三月君。……え? 三月、君?」


 俺が扉を開けた先にいたのは、どこか乙女の顔をした水瀬だった。きゅっと閉じた手を胸元に当てて、想い人を思い出すかのような表情。


 そんな仄かに赤く染まっていた頬は、俺の乱入によって突如、沸騰したやかんのように熱を持った。羞恥で染まったのは頬だけに留まらず、耳の先までを真っ赤にしていた。


「~~っ! な、なななっ、なんで?! さっきバイバイしたはずなのに、なんで三月君がいるの?!」


「あー、いや、ナスの煮浸しの賞味期限をお伝えに、えーと、参りまして」


「き、聞いてないよね?! 私何も言ってなかったよね?!」


「ん? あー、おう、うん」


「~~~~っ!」


 どうやら、俺の気を遣った発言は、羞恥でぷるぷると震える水瀬には逆効果だったらしい。淡い恋心を抱いたかのような少女はどこへやら、目の前には羞恥に呑まれて潤んだ瞳でこちらを睨む少女がいた。


「…………なんかすんません」


「……み、三月君が、私の家に強引に入ってきて、私を辱めたってみんなにーー」


「今回につきましては私に非があるみたいですがそれだと私明らかに容疑者になっちゃうんで誰にも言わないでください本当に何卒!」


 もはや犯罪者になってしまう俺の悪評を止めるべく、俺は誠心誠意頭を下げた。これ以上、水瀬の顔を眺めていたら、本気でみんなに相談されそうだったので、いつもよりも長めに頭を下げた。


 今回のばかりは、俺が悪いな。うん思春期も悪くない。


 俺はバクバクとうるさい心臓をそのままに、深く深く頭を下げることにした。

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