第4話 不貞発覚?

 こんなことは初めてだ。誰かに気にされることはあっても、誰かに求められることなんてなかったから。

「私、は……その……」

 アイリは驚きつつも答えようとした。断ることもできるだろう。そもそも婚約を誓うべきはエレオノーラであり、アイリではないのだから。

 隣のマリアはアイリに向けられた突然の婚約宣言に固まってしまっている。だがユリウスの眼差しはまっすぐで淀みがなかった。嘘や冗談でこんなことをしているとは到底思えない。

 遠くに見えるエレオノーラがわなわなと肩を震わせている。本来であれば彼女が婚約者になるはずだ。従者の男性が駆け寄る中、アイリは断ろうと首を振る。

「そ、それはお受け」

「お待ちください!」

 アイリの言葉を遮って一人の女性が人波をかき分けてユリウスの横に飛び出てきた。仕立てのいいドレスを着ているが、まとめた髪は少しほつれている。女性は取り乱した様子で声を張り上げた。

「私との約束はどうなったのですか、ユリウス様!」

「あなたは……?」

 ユリウスが驚いた様子で女性を見やるが、女性はそれを見てさらに髪を振り乱して叫んだ。

「お忘れですか、あの晩共に婚約の誓いを立てたヒルダです!」

 参列者がどよめき、ユリウスはさらに驚いて目を丸くした。だが、アイリは動じなかった。この声に聞き覚えがあったからだ。

「そんな記憶は私にないが……第一」

「ユリウス様!」

 従者が止めに入ろうとする中、ヒルダと名乗った女性はドレスの袖をまくり上げ、むき出しの腕を見せた。

「これがその証拠です! どうして覚えてくださらなかったのですか、あの時交わした言葉は嘘だったのですか!」

 女性の腕には、崩し字のような紋様が浮かんでいた。ただの傷痕ではない。魔素干渉の痕だ。その痕は魔素に反応してぼんやりと赤く光っている。

 アイリは胸元がズキンと痛んだ。この痛みの種類を、アイリは知っている。

 魔力が人体に干渉すると体の一部に魔素の痕が残るのだ。そして、エミネントは魔素を元とする生命体。人とエミネントが交われば、必ず魔素の痕が残る。

 純潔を至上とするエミネントの良識において不貞や放縦は最も堕ちた蔑むべき行為である。純潔を捧げる婚約の儀においてそれを汚すようなことをしている、とヒルダは訴えているのだ。

「ユリウス様、そんな……」

 エレオノーラがショックを受けたのかふらつき、側に控えていた侍女に抱きとめられる。周りからはユリウスへの驚きと侮蔑交じりの視線が容赦なく突き立っていく。

「待ってくれ、私はそんなことをした覚えは……!」

 うろたえるユリウスがアイリの手を取り落としそうになる。とっさにアイリはその手を取ってユリウスを見つめた。揺れる紅い瞳が子供のように不安げで、アイリはユリウスを助けたい、と思う。

 はっとするユリウスに、アイリはそっと言って聞かせた。

「大丈夫です、あなたは嘘をついていません」

 アイリはヒルダに向けて落ち着いた態度で言った。

「あなたにお伺いしたいことがあります」

「っ、何よ、私はユリウス様にお話があるの」

「あなたはいつ、この方と一緒に過ごされたのですか?」

 まっすぐ問いかけるアイリに、ヒルダは動揺の色を目に浮かべる。

「い、一週間ほど前よ。こっそり抜け出して、会いに来てくださったの」

 アイリはユリウスの側に駆け寄った従者らしき赤毛の男性に目を向ける。

「お伺いします。一週間前、ユリウス様は何をなさっていたのですか?」

 従者の男性はすぐに答える。

「一週間前は魔素の循環不調で屋敷から出ておられない。一時間おきに私が様子を見ていたし、屋敷を出てすぐ戻って来られるような状態ではありませんでした」

 ヒルダが声を詰まらせる。アイリはさらに問いかける。

「ヒルダさん。あなたの痕は、本当にエミネントと交わった痕なのですか?」

「み、見ればわかるじゃない! あなたに何がわかるの!」

「いいえ、わかります」

 アイリは着ていたワンピースの胸元をはだけさせる。ユリウスがとっさに目をそらす中、アイリは堂々と胸元の痕を見せつけた。

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