第十二話 世界一の願い

 毎晩ネットで検索していると、徐々にコツのようなものを掴めてきた。いくつかのワードを組み合わせたりして複数の検索エンジンに掛け、細かな情報まで拾い上げていく。


 最初は一晩に一、二名しか送れなかった情報も、今では十から数十名送っている。今日の成果を送った直後、七神から電話が入った。


『いた。十六番目の写真に写っている』

 その写真は国内で行われたチェス大会の決勝試合。少年と成人男性がテーブルを挟んで対戦していて、周囲を観客が取り囲んでいる。優勝を決めた中学生は、最近の国内大会で連勝を続けていた。


「中学生の男の子ですね。……まさかとは思ったんですけど、念の為に送ってよかったです」

『違う。その後ろの髪の長い少女だ』

「え?」

 七神の指摘で写真を見直すと、中学生を見守るように背後で立つ長い髪の少女が小さく写っている。控えめな茶色いワンピース姿が可愛らしい。


「少年じゃなく、この女の子に憑いているってことですか?」

『そのようだ。少年の方には強い指導霊が憑いている』

 そう言われても私には全くわからないことが寂しい。可能な限り拡大してみても、何も見えないし感じない。


「とりあえず、この少年に会う方法を探しますね」

『ああ。すまないがよろしく頼む』

 大会か試合の見学か。なるべく早く会わなければと、私はチェス関連のサイトを開いた。


      ◆


 少年に会う機会はすぐにやってきた。チェス関連のサイトでは、世界規模のチェス大会の予選の見学者を募集していた。


 土曜日の午後から行われる試合に合わせて、私は土日の休暇を申請した。予選が行われる会場は遠く、車で約四時間掛かる。私は原付免許しか持っていないので七神の運転に頼るしかない状況。合間に休憩の時間と余裕を入れると約六時間。


 車に乗り込むと、七神が口を開いた。

「……音楽を掛けてもいいだろうか」

「はい。どうぞ。でも、どうしたんですか? 車では音楽を聴かないのかと思っていました」

「……朝木に散々注意を受けた。無言で運転しているだけでは、怖いだけだと」

「怖い? 大丈夫ですよ」

 特に話すことが無くても平気だし、七神の運転はとても安心できる。


「そうか。それは良かった」

 七神が安堵の息を吐く姿は、少々情けない。年上の男性を可愛いと思ってしまった私の感性は理解し難い。


 カーオーディオから流れてきたのは、初めて会った時に流れていた和風のロック。

「ロックがお好きなんですね」

「ジャンルは特に決まってはいない。このアーティストが作る曲なら大抵好きだな」


 運転している最中に話し掛けるのは気が引けるから、口を閉ざして音楽に耳を澄ませる。スムーズに走る車は高速道路へと入り、速度を上げた。


      ◆


 途中、サービスエリアで二回の休憩を取って目的地へと到着した。鮮やかな緑あふれる自然と、果樹園に囲まれた廃校を利用した施設は、村おこしの為に格安で貸し出しされているらしく、毎週末何らかのイベントが行われている。


 今回は世界的な企業がスポンサーになった新しい大会で、優勝賞金が桁違い。チェス愛好家の中でも、とても話題になっていて予選の参加者も多い。


 運動場を利用した駐車場は満車で、係員から案内された別の臨時駐車場へと車を停めた。周囲は果樹園と畑だらけ。舗道には次々と車が入ってくるので、人が歩く場所は畑に挟まれた農道になる。


「結構遠い場所ですね」

 歩いて五分と言われたけれど、たっぷり十分は掛かりそう。見学者とみられる人々も三々五々のんびりと農道を進む。途中、地元農家が設置した無人の農産物販売所と自動販売機は盛況で、せっせと商品を補充する姿が見えた。


「冬登さん? どうしたんですか?」

 七神の歩みが遅い。何かあったのだろうか。

「久しぶりに生きている土の上を歩いていると実感している」

 微笑む七神の顔が優しくて、何故かどきりとした。生きている土。そう言われれば、街ではずっとアスファルトとコンクリートばかりで、公園も遊園地も土は圧し固められている。


 周囲はのどかな畑と果樹園。遠景には森。清々しい風の中では、怪異も遠い出来事。早く文葉を助けたいと焦る気持ちが緩んでいく。


 歩いていると、コンクリートブロックが一メートルの正方形のような状態で積まれていた。上は鉄の扉が付いていて、頑丈な錠前が五個も取り付けられている。錠前の形状も状態も不揃いで異なる時期に付けられたものだとわかった。


「その古井戸には近づくな」

 七神の表情でピンときた。

「何か視えているんですか?」


「蓮乃と同じ年代の女性だな。友人が欲しいそうだ。厳重に封じられているが、気配はにじみ出てい……」

「さ、早く行きましょう! もう試合は始まっています!」

 早足で歩き始めて気が付いた。七神は、いつの間に私のことを名前で呼ぶようになったのだろうか。思い出せないことが悔しいけれど、名前を呼ばれることの方が嬉しい。


 不謹慎と思いながらも、ほんのりと熱くなっていく頬を誤魔化す為に、私はさらに歩く速度を上げた。


      ◆


 体育館を使用した会場内は大勢の人がいるにも関わらず異様な程に静まり返っていた。フロア内は九つに区切られていて、九つのテーブルで試合が行われている。


『お静かに』と書かれたプラカードを掲げた係員があちらこちらに立っていて、誰もが息を詰めて対戦を見守る。


 チェス盤を挟んだ二人は、駒を動かすごとに時計が二つ並んだような形状の対局時計のボタンを押し、手元に置いたノートに何かを記入していて常に緊迫した空気が漂っている。


 将棋とは違っていて、他者が記録したりすることはないらしい。独特の雰囲気に押しつぶされそうで緊張する。


 七神が私の手を指で軽く叩いた。視線で示された先、淡いブルーのカジュアルシャツに黒のカーゴパンツの少年が、成人男性と対戦している。注目の対戦なのか他のテーブルよりも観客が多い。観客の顔を見ていくと、長い髪で水色のワンピースを着た少女の姿がある。少女は胸の前で両手を組み、祈るように少年の試合を見つめていた。


 少年の手は素早く駒を動かし、男性も素早い。どちらもトップクラスの力を持っているのだろう。さっぱりわからないながらも、その迫力は伝わってくる。


 しばらく見守っていると男性が駒を動かした直後、自分の額を叩き、周囲がざわめく。何が起きたのかわからないまま、男性が少年に握手を求めて試合が終了した。


 挨拶をして立ち上がった少年は勝利したというのに、口を引き結びながら納得いかないという顔をしていて喜びは感じられなかった。


 少年と対戦相手は係員に連れられて退場し、少女はその背中を見送っている。どうやって声を掛けるかと考えていると、少女は体育館の出口へと向かって歩いていく。


 七神と後を追うと、少女は校庭を横切り青々とした葉が茂る大きな木へと向かっていた。

「どこへ行くんでしょうか……」

「おそらく、木から霊力をもらうのだろう」

「霊力をもらう?」


「ああ。彼女が持つ〝捕縛者〟は、彼女自身に負担を掛けたくはないようだ」

「どういうことですか?」

「〝捕縛者〟が持つ祟り神の力を使えば、彼女の心身に歪みを生じさせる。それを防ぐ為に、自然から集めた霊力を使用しているのだろうな」


「何に使用していたんですか?」

「先程のゲームで少年の対戦相手は駒の置き場所を間違って自滅した。ほんの些細なミスだが、チェスでは致命的だ。そのミスを誘発する為に霊力が使われた」

 七神はチェスを理解しているらしい。私にはさっぱりわからなかったけれど、相手のミスなら少年が勝利を喜ばなかったのも理解できる。


 少女は人目に付かないように大木の影に隠れ、ポケットから御札を取り出して木の幹に触れさせた。御札は木から何かを吸い取るように淡い光を帯びる。


「こんにちは。その御札のことで話をしたいの」

 私が声を掛けると、少女が御札を背に隠した。膝下丈の水色のワンピースに白いサンダル。長い髪に白いカチューシャが少女の華奢な可愛らしさを強調している。おそらく少年と同じ中学生だろう。


 緊張した面持ちの少女にどう説明すればいいのか。迷う私に向かって少女は逆らうように声を発した。

「これは私がもらったものよ。何か文句でもあるの?」

「その御札は……」


 私の言葉を少女は鋭い声で遮る。

「死んでもいいの。私は自分の命を掛けてでも、彼を世界一にする」

 少女は運命に挑戦するかのごとく胸を張って微笑むから、さらに痛々しく感じる。誰かの為に死ぬことを軽々しく考えていると感じて、私自身も同じであることに気が付いて胸が痛い。


 それでも、御札を回収しなければと声を出す。

「その御札が危ない物だって、わかっているのね?」

「わかってる。だって、前の持ち主……私の家庭教師の先生は死んじゃったもの。……先生は、恋人の奥さんが死ねばいいって願ったら叶ったって。でも、その恋人は奥さんが好きだったから自殺しちゃったんだって。もう生きてる意味がないからって言って、私にこれを渡していなくなったの」

 大人びた表情で話す少女は、その意味を理解しているのだろうか。


「私は人が死ねばいいなんてことは願わない。ただ、彼が勝てればいいの。彼がチェスで世界一になれれば、それで私の夢が叶うの! 夢の為なら死んでもいい!」

 御札を胸の前で握りしめて少女が叫ぶ。ちらりと見えた御札は困ったような優しい笑顔。この少女から御札を取り上げることに罪悪感が湧いてきた。


「――お前の夢って、俺のお嫁さんになるっていうのじゃなかったのかよ」

 唐突に聞こえた声に振り返ると、淡いブルーのカジュアルシャツに黒いカーゴパンツの少年が顔を赤くして立っていた。


「あ……」

 少女が声を詰まらせ頬を赤く染めていき、少年は大きな溜息を吐いた。

「最近、おかしいなって思ってた。対戦相手は全員些細なミスでの自滅。運も実力のうちっていうけど、俺は全然勝てた気持ちになれなかった」


「俺は自力で世界一になる。だから、そんな妙な御札はいらない。それに俺の夢は医者になることだ。チェスで世界一の医者を目指してる。……正直言って日本ではチェスで食えないからな」

 肩をすくめた少年は、随分としっかりとした将来の夢を描いていた。


「お前が死んだら、俺の一番の夢が叶わないだろ」

 真っすぐな目をした少年の言葉は、少女への不器用な愛の告白に聞こえた。少女にもそう聞こえたのか、顔を真っ赤にして少年と見つめ合う。


 私が手を差し出すと、少女は素直に御札を手放した。

 顔を赤くしたままの二人を残し、私と七神は静かにその場を後にした。


      ◆


 廃校から出て、のどかな農道を七神と並んで歩く。御札は七神のポケットの中へと納まっている。


「〝捕縛者〟とは、一体何なのでしょうか。美織や飛田さんのように殺されてしまう人もいれば、文葉のように体を乗っ取って他人を襲うこともある。それでいて、優しく願いを叶えることもある……」

 鮫島さんと少女が持っていた御札は、他と同じ顔をしているのに微笑んでいるようで、見ても恐怖を感じなかった。


「人の願いの違いだろう。力を手にした者が何を願うか。それによって〝捕縛者〟の善悪が決まる。〝捕縛者〟は、神の力を捕縛する者であって、それ以上でもそれ以下でもないはずだった。ところが強すぎる力と人の願いは〝捕縛者〟に意思を発生させてしまったらしい。自分は人の願いを叶える存在だと考えるようになったと推測する」


「意思が発生した〝捕縛者〟に性格が加わっているとしたら、願いが誘導されることもあるだろうな。人が普段考えようともしない心の闇を増幅させることもあるだろう」


「死んだ者は自身への過剰な幸福を願い、バランスを崩して不幸を招いた。体を乗っ取られた者は自らの願いがわからなかったか、願うことができなかった。死ななかった者は他者の為に何かを願った。……とも考えられるが、実際はそうではないかもしれない」


「随分あやふやなものなんですね」

「ああ。人が様々に考えて生きるのと同じで、これが絶対正しいという答えはない」

 

 あと三枚。七枚すべての御札を集め、文葉の魂を探して体に戻す。

 誰かの為に私自身の命を掛けるということが、他者から見ると軽々しくて痛々しい行為だと気が付いても、後悔しないためにはそれしか考えられなかった。


 隣を歩く七神も、私のことを痛々しいと思っているのかもしれない。ふと見上げると目が合う。ふっと緩む口元はどこまでも優しい。


「朝木に勧められた郷土料理店が近くにある。食べて帰らないか? どうした?」

「……今日こそは私がおごります」

 毎回毎回、私がご馳走になってばかり。せめて一度くらいはお返ししたい。それなのに、七神は苦笑する。

 

「それは私が朝木に怒られるから無理だな」

「朝木さんには黙っておけばいいと思います」


「あの朝木に隠し事ができると思うか?」

「……そ、それは……」

 勘の鋭い朝木に隠し事をするのは難しいと思う。


「まぁ、諦めて私におごられてくれ」

「断固拒否します」

 決意表明もむなしく、結局私は、また七神におごられてしまった。


      ◆


 夢の中、私は洞窟の中で岩の一つに座っている。洞窟はさほど大きな物ではなく、上部にいくつかの穴が開き日光が差し込んでいるので、内部は明るい。


 同じく目の前の岩に座るのは、黒い狩衣姿の男性。その顔は差し込む日光で陰になっていた。

「龍神さまに雨を頂いたお陰で、今年はどの村も豊作です」

『それは良かった。……今日は収穫の祭りがあるのではないのか?』


「はい。……遠い都から、偉い方がいらっしゃるので、私は隠れておくようにと言われました」

『何故だ?』

「……その偉い方は〝あめふらし〟を娶りたいそうです。村の皆が相談して、身替わりを立てることになりました」

 雨乞いを行えば、必ず雨を降らせる〝あめふらし〟と、私は呼ばれるようになっていた。その噂は遥か遠くの都にまで広まっているらしい。


 身替わりになったのは、私の従妹。煌びやかな都の生活に憧れていて、自ら志願したと聞いている。


『お前は婚姻したいのか?』

「いいえ! 私は一生、龍神さまにお仕えします! 龍神さまが好きなんです!」

 咄嗟に本心を叫んでしまった羞恥で、一瞬で頬と頭が熱くなる。


『…………ならば、私の嫁になるか? い、嫌なら断って構わない。断ってもお前の願いはこれまでと変わらず叶える』

 龍神の顔は見えなくとも、恥じらいの空気を感じる。


「龍神さまと、ずっと一緒にいられますか?」

『ああ。お前がそう望むなら』


「嬉しいっ!」

 喜んだ私は子供のように龍神へと抱き着き、龍神は優しく私の背を抱きしめる。

『嫁に迎える為には、準備が必要だ。整えるまで待っていてくれ』

「はい!」

 そう勢いよく答えたところで目が覚めた。


 目が覚めると、洞窟ではなく見慣れた白い天井。

「嫁? ……えーっと、何だっけ?」

 記憶に残っているのは、ほわほわとした空気感だけ。内容は零れ落ちて拾えなかった。あの世界一を目指す少年と少女に影響されたのだろうか。


「……浮ついている場合じゃないのに」

 何故か痛む心を感じつつ、私はベッドから立ち上がった。

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