第17話 フェリクスの推測


 ノリス家に滞在して二十日ほどが過ぎた頃。

 フェリクスは今日も自室で本を開いていたが、苛立ちによって内容が一文字も入って来ない状態であった。


 苛立ちの原因は、当然ながらノリス家に滞在する期間が予定より長引いたことにある。当初の予定では今頃、婚約者を決めて王都に帰り、仕事をしていたはずだった。


 フェリクスとていい加減、婚約者を決めて話をつけたいと切に願っている。

 思っているというのに、どういうわけかいまだに彼の中で答えを出せずにいた。この屋敷に来る前は、誰でも同じなのだからさっさと決めてしまおうと思っていたというのに、だ。


(頭の悪い女は嫌だ。それを基準に考えれば、やはりフランカ嬢一択……だが)


 最初から決めていたことのはずなのに、柄にもなく彼女たちの事情を考え始めてしまったせいで悩む羽目になっている。

 別に、本人の了承など関係なく「フランカに決めたい」とフェリクスが言えばそれで終わることだ。簡単である。


(メアリ嬢……は、やはりさすがに罪悪感が湧く)


 もっと大人になればこの程度の歳の差など気にならないのだろうが、まだ若い彼女の自由を奪っていいものかと考えてしまうのだ。


 人らしい感情を抱ける心があって何よりではある。


 なぜ、自分がこんなにも悩まなければならないのか。

 そう考えたところで、フェリクスはハッとする。


(もしや最初から、父上と陛下の罠だったのでは……?)


 絶対に訳ありだとは思っていた。年頃の娘が二人ともまだ婚約者を決めていないなんて、何かあると言っているようなものなのだから。

 だが、蓋を開けてみれば姉二人は単純に自分のやりたいことのために婚約を先延ばしにしていただけだった。思っていたほどの事情は抱えていないように見えたのだ。


 まぁ、やや性格に難はある気はするが、よくある範囲の短気さと性癖だ。許容出来ないわけではない。


(大方、フランカ嬢を結婚させるために仕組んだことなのだろう。もしかすると、発端はノリス伯爵か? くそ、どうしてすぐに気付けなかったんだ)


 このままではノリス家の娘は全員問題有りとされ、誰も結婚出来なくなる恐れがある。そう考えた当主、ディルク・ノリスが相談を持ち掛けたのかもしれない。

 そしてその話を耳にした宰相が、いつまでたっても結婚を決めない息子を使おうと提案した。


 宰相の息子であるフェリクスが言えば、フランカは結婚せざるを得なくなる。確かに領地を引き継ぐ問題はあれど、結婚出来ないよりはマシといったところか。


(僕に選択権を与えたのは、多少は罪悪感があったからか?)


 もしフェリクスがフランカを選ばなかったなら、フランカはこの状況に危機感を覚えて婿入りしてくれる男性を探す気になるはずだ。

 ナディネもまた、この話をキッカケに結婚を考えてくれるようになるだろう。


 いずれにせよ、ノリス家にとっては良い方にしか転ばない。恐らく、領地問題については婚約者が決まってから考える腹積もりなのだとフェリクスは推測する。


 そういう思惑あっての今回の話だったと考えれば辻褄が合う。

 だいたい、三姉妹の中の誰かを選べ、などというおかしな話をもっと疑うべきだったのだ。


 ただ、婚約に変な条件を付けるのは、婚期を逃しかけている子のいる家ではよくあることだ。

 おかげでフェリクスは、ノリス家が危機感を覚えてヤケを起こしたのだと思って疑っていなかった。


(つまり、推測通りならフランカ嬢の悩みである領地問題について、僕があれこれ考える必要はないということだな)


 すでに、ノリス家側ではある程度の対応策を考えているのだろう。ただし、それがフランカの望み通りかどうかまではわからないが。


(……ふん。人の望みまで考えていたらキリがないな。誰しも何かを我慢しなくてはならない。僕もまた、興味のない女との結婚を我慢することになるのだから)


 このままフランカを婚約者に選べば、父やノリス伯爵は思い通りになってさぞ喜ぶことだろう。非常に癪だが、それ以上にこんなことでいつまでも頭を悩ませる方が嫌だった。


 彼はいい加減、長閑な田舎暮らしで無為に時間を過ごすことに嫌気がさしているのである。数日程度なら休暇で良いリフレッシュになったかもしれないが、半月以上も続けているとどうにかなってしまいそうだった。


 本来、フェリクスは仕事人間なのだ。書類の溜まった自分の執務室が恋しいのである。


 決断したフェリクスの行動は早かった。本を置いて立ち上がると、部屋を出て真っ直ぐフランカの執務室へと向かう。

 道中ナディネに引き留められたが、大事な話があると真剣に告げたことでさすがに何かを察したのか、あっさりと引き下がってしまった。


「うぅ、フランカ姉様……ごめんなさい」


 背後で聞こえてきた泣きそうな声も、今は無視だ。余所のお家事情に付き合わされて、フェリクスの方は腹を立てているのだから。


 自然と歩くスピードも速くなる。険しい表情で廊下を歩いていると、ちょうどフランカの執務室からメアリが出てくるのが目に入った。丸いトレーを抱えているところを見ると、お茶の差し入れでも持って行ったのかもしれない。


 本来ならメイドがやる仕事をメアリがしている。つまり、また自分でお菓子でも作ったのだろう。

 そう思い至ったことで、フェリクスは少しだけ冷静になれた気がした。なぜかはよくわからない。


(ほぼ確信しているとはいえ、推測の域を出ない。いくらストレスが溜まっているからといって、冷静さを欠くのはよくなかった)


 フェリクスは一度目を閉じ、ゆっくりと長い息を吐いた。そうして再び目を開けた時、メアリがニコニコしながら歩み寄ってくる姿が飛び込んでくる。


「どうかしましたか?」


 彼女がこの状況を知ったら、一体どう思うのだろうか。自分と同じように腹を立てるだろうか。それとも、仕方のないことだからと受け入れるのだろうか。


 そもそも、今回の婚約話にはあまり関係のない立ち位置にいるメアリは、この奇妙な婚約者選びについてどんな意見を持っているのだろうか。


 メアリのほんわかとした穏やかな笑みを見た瞬間、フェリクスは急にそれが気になった。


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