第15話 フェリクスの確信
メアリは爆弾発言をした後、フェリクスの反応を気にした風もなく焼きたてのパウンドケーキを二つ切り分けた。それから一つをテーブルに用意されていた小皿に乗せ、フォークを添えてフェリクスに差し出してくる。
今や、このパウンドケーキも最初からこうするために用意されていたとしか思えない。フェリクスは戸惑いながらも小皿を受け取った。
「どうぞ、座って召し上がってください。まだ熱いので気を付けてくださいね」
そう言いながら、メアリ自身も椅子に座ってケーキにフォークを刺した。ふうふうと息を吹きかけて口に運ぶその姿は小動物のようで愛らしく、無害な少女にしか見えない。
フェリクスは、この屋敷に来てからどこか緩んでいた気を張り直す。それから探るように目を細め、メアリを見つめた。
フェリクスの中で彼女はもはや年下の娘ではない。対等で、油断ならない相手となっていた。
「あの、そう警戒なさらないでください……」
黙ったまま見つめていたからか、何かを察したメアリはどこか居心地悪そうに縮こまる。その様子を見て、フェリクスはハッと我に返った。
油断がならないのは確かだが、メアリはまだ十七歳の少女だ。田舎町で大切にされてきた令嬢に、腹の探り合いの経験などあるわけがないのは考えればすぐにわかることである。
(冷静になれ、フェリクス。怯えさせてはいけない)
フェリクスは一つ息を吐くと、フォークでケーキを一口サイズに切り分ける。そのまま口に運ぶと、ふわりと甘い香りが口の中いっぱいに広がった。
クルミの歯ごたえやドライフルーツの程よい酸味と甘み。久しぶりの糖分に脳が喜んでいるのを感じ、フェリクスはようやく口元に笑みを浮かべた。
「失礼いたしました。ですが、あまりにも確信めいた物言いでしたので」
「い、いえ。ほぼ間違いないとは思っていましたが……その、不確定ではあったので。小娘の、ただの勘ですから」
「そうは言われましても、ね。ここまで言い当てられると、さすがに警戒しますよ」
続けて二口目を切り分けながら苦笑しつつ告げると、一瞬の沈黙が流れる。出来るだけ気にしないように努めながらもチラッとメアリの様子を窺うと、彼女はわずかに寂しそうに微笑みながら口を開いた。
「気味が悪い、ですか?」
「っ」
「……ごめんなさい。これも言い当てるつもりはなかったのですけれど。ああ、ダメですね。少し、黙ります」
思わずフェリクスが息を呑んでしまったことで、メアリは罪悪感に襲われたようだった。その宣言通り、彼女は黙々とパウンドケーキを口に運び始める。
(もしかすると、気味悪がられた経験がある、のか?)
正直な気持ちを言うならば、気味が悪いとフェリクスも思った。人を良く見ているだけで、ここまで色々と察してしまえるというのは特殊能力といえる。
それは腹に一物を抱える者には脅威だろう。フェリクスには探られて痛む腹はないが、出来れば知られたくないことはたくさんある。だからこそ警戒するのだ。
(僕が婚約者を渋々選んでいることにも気付いていた、か)
先ほどの口ぶりから察するに、メアリは早い段階でポーカーフェイスを得意とする自分のことを見抜いていたことになる。
この、何も考えてなさそうで、頭が悪い娘だと思っていた三女のメアリに。
彼女は、一体何を望んでいるのだろうか。家族を大切に思っているだろうメアリにとって、自分は姉の幸せを邪魔する男でしかないはず。
だというのに、彼女からは敵意を感じない。追い出そうという素振りもないし、いつでも優しく丁寧な態度だ。邪魔をする様子も一切見受けられない。
(……僕と同じタイプ、か? 確かに、彼女が何を考えているのかは読みにくいが)
腹黒いか、と言われると違うような気もするが、自分という例があるため侮れない。
フェリクスも人を見てある程度の考えは読めるが、メアリほど鋭く察せるわけではなかった。
ただ、自分の言葉が失言だったと黙り込む彼女を見ていると、素直で優しい気質であるようにしか思えない。
「ああ……なるほど。だから貴女は、あまり多くを語らないのですね」
嘘を吐くタイプではない、とフェリクスは判断した。別に、彼女がかわいそうに見えたからでは決してない。自分の人を見る目を信用した結果だ。
「警戒して申し訳ありませんでした。貴女を見誤っていたのは自分だというのに」
フェリクスがそう言いながら軽く頭を下げると、ずっと黙っていたメアリが慌てたように手を横に振った。
「いえ。私は……姉様たちのように特別何かに秀でているわけではありませんから」
ノリス家の姉二人は、確かに優秀だ。フランカの経営を引き継がんとするその固い意思や能力の高さ、ナディネの騎士たらんとする志と実力の高さ。
だが三女のメアリもまた、人とは違った能力を持っているとフェリクスは確信する。それをひけらかすことなく、控えめな態度であるのも好感が持てた。
「言いたいことを胸にしまって黙っているというのは、誰にでも出来ることではありませんよ。人の話をちゃんと聞くということも、人を良く見て対応を考えるということも」
その能力は、簡単には計れない。だからこそ曖昧で、彼女を平凡に見せているのだろう。目に見えてわかる結果だけが優れた能力というわけではないのだ。
「ありがとう、ございます。でも、先ほどは胸にしまうことなく、話してしまいましたけれどね」
フェリクスからの褒め言葉を受け、メアリはわずかに頬を赤くしながら照れたように冗談を言う。
そのはにかんだ微笑みには年相応の可憐さがあった。いつものように少し大人びた笑みではない。
フェリクスは、こちらの方が彼女には似合っていると思った。
「それにしてもメアリ嬢、このパウンドケーキはとても美味しいですね」
気付けば、手渡された皿の上のパウンドケーキは綺麗になくなっている。焼きたての美味しさを堪能したフェリクスは、自然な笑みをメアリに向けた。
「お口に合ったようで良かったです」
その素直な感想を受け、メアリもまたふわりと微笑む。先ほどまでのピリピリとした雰囲気はすでにそこにはなかった。
(三女のメアリ嬢、か。十以上も歳は離れているが、候補にしてもいいのかもしれない)
そうは言っても、やはり年が離れすぎている気もする。
これまで十代の娘は眼中になかったフェリクスに、迷いが生じ始めるのであった。
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