「頭の悪い女を妻にする気はない」と人を見下す次期宰相様は、ニコニコしてるだけのほんわか令嬢がなぜか気になる

阿井 りいあ

第1話 フェリクスの憂鬱


 類稀なる美貌を持った黒髪の青年が、長閑な田舎町にある伯爵家の屋敷前に立ち、うんざりした顔をしている。

 なぜなら今日から一カ月間、まったく面識のない人物しかいないこの屋敷で過ごさねばならないからだ。


 屋敷の主人であるノリス伯爵とは多少の面識があったのだが、王都で近衛騎士として働く彼がこの屋敷に来ることは滅多にない。

 つまり、現在この屋敷にはノリス伯爵夫人とその娘三人、そして使用人しかいないというわけだ。気が重くなるに決まっている。


まだ誰もいない門扉の前でならいいだろうと、青年は今のうちに大きなため息を一つ吐いた。


 そんな姿さえも絵になる美しい青年、フェリクス・シュミットは次期宰相という立場にある。有能な彼は、普段であればいくら気が乗らなくても態度に出すことはない。

 そもそも、こんな理不尽極まりない命令などいつもであれば得意の屁理屈で回避するのだが、今回ばかりはそうもいかなかった。


なぜなら王命により、フェリクスはこの一カ月でノリス伯爵家の三姉妹の中から婚約者を決めねばならないのだから。


(さて、どんな問題を抱えたお嬢様方なんだか)


 そんなおかしな申し出など、絶対に訳ありだ。厄介ごとの気配しかない。その予感が余計にフェリクスの気を重くさせている。

 そうはいっても今更、逃げることなど出来やしない。フェリクスは一度眼鏡をかけ直し、重い足をまた一歩踏み出した。


「遠いところまでよくおいでくださいました。わたくしはディルク・ノリスの妻、ユーナです。お待ちしておりましたわ」

「フェリクス・シュミットと申します。この度は急な話だというのに滞在を受け入れてくださり、誠にありがとうございます。極力、ご迷惑をおかけしないよう努めますので」


 使用人の案内で屋敷内に足を踏み入れたフェリクスを迎えたのは、領地経営を一手に担う女傑、やり手と噂の伯爵夫人であった。

 プラチナブロンドの美しい髪をしっかりと結い上げた美人で、やや吊り目がちの目元といい、ピンと伸びた姿勢といい、仕事が出来る女性だという印象を受ける。


 そんなユーナ夫人の後ろに三人の女性が立っていた。彼女たちがノリス家の娘たちなのだろう。この中から一人を妻として選ばなければならないのかと思うと気が滅入る。フェリクスは意図的に彼女たちから視線を逸らしていた。


(しかし、さすがはノリス伯爵に代わって領地経営をこなしているだけあるな。ユーナ夫人が只者ではないことは一目でわかる)


 仕事の出来る、すなわち頭のいい女性は好ましい。夫人に対するフェリクスの第一印象は良かった。


「あら、未来の息子になるのですもの。あまり畏まらないでもらえたら嬉しいわ。娯楽など何もない領地ですけれど、せっかくですからこの機会にのんびりと過ごしてくださいな。普段はとても忙しくしておいででしょう?」


 しかし、どうやら夫人の中でもすでにフェリクスが娘の誰かと結婚することは決定事項らしい。いくら好ましい人柄であったとしても、それとこれとは話が別だ。


フェリクスは内心で盛大なため息を吐きつつ、胸に手を当てて隙のない礼をしてみせた。


「お心遣い、痛み入ります」


 頭を軽く下げたことで、フェリクスの黒髪がサラリと揺れる。

 美しい所作に、美しい容姿。誰もが見惚れるその仕草に、ユーナ夫人もまたほぅと感心したようなため息を漏らした。


「疲れているでしょうから、今は簡単に挨拶だけさせるわね。きちんとした紹介は夕食の時に。貴女たち、前へ」


 ユーナ夫人がそう告げながら顔を後ろに向けると、これまで黙って待機していた三姉妹が一人ずつ前に出てくる。


「長女のフランカですわ。……どうぞよろしくお願いいたします」


 最初に挨拶をしたのは長女のフランカ。夫人と同じプラチナブロンドの長い髪を高い位置で一つに結った、気の強そうな女性だ。

 夫人に似た顔つきのせいなのか、感情が隠しきれていないのか。どうもフェリクスを睨んでいるように見える。恐らく気のせいではないだろう。


「次女のナディネです。初めまして!」


 続けて挨拶をしたのは次女のナディネ。濃いオレンジ色の髪を短く切りそろえた明るい女性で、こちらは姉のフランカとは違い朗らかに笑っている。

 この中で最も背が高く、どことなく筋肉質な体格をしていた。なんとなくだが、単純そうな性格のように感じる。


「三女のメアリと申します」


 最後に挨拶をしたのは三女のメアリ。姉二人の髪色を混ぜたような蜂蜜色に輝く金髪をしており、髪を下ろしたスタイルで大人しそうな印象を受ける。

 フワフワとしたウェーブがかった髪質なのも相まって、ニコニコとした愛らしい微笑みを浮かべる彼女はフェリクスの目にはどこか頼りなく映った。


「僕はフェリクス・シュミットです。どうぞ、気軽に名前でお呼びください。今日からしばらくお世話になります」


 彼女たちに思うところはあったが、それら全てを胸の内にしまい込んだフェリクスは当たり障りのない言葉で挨拶を返す。


 彼女たちの反応も三者三様で、性格はそれぞれ全く違うようだ。

 フェリクスは、誰を選ぶかによって今後の自分の人生が決まる……とまでは思っていないが、面倒な女だけは避けたい、とは思っていた。


(消去法になる、だろうな)


 だいぶ失礼なことを考えつつ、まずはそこで彼女たちと別れたフェリクスは、使用人の案内で一カ月間過ごすことになる部屋へと向かった。


(頭の悪い女を妻にする気はない。どうせ訳ありな娘を押し付けられるのなら、しっかり見極めさせてもらうとしよう)


 自分もまた彼女たちに見定められるのだろうことはフェリクスにもわかっている。だが、最終的な決定権を持つのはフェリクスだ。


 その事実が、彼の少し人を見下しがちな部分に悪い影響を与えるのである。

 初日からフェリクスは、いずれ婚約者となるかもしれない彼女たちを思い切り下に見ているのであった。

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