第8話:イクスという少女(前編)

 翌日。


「えっと……」


 目を覚ましたライラは、昨日、気絶するほど怯えていたレヴが、ミオと暖炉の前で談笑しているのを見て、どういう状況か分からず、言葉を失っていた。


「おはようライラ。色々あって、こいつとは友好的な関係を築こうと思ってね。というわけでライラも仲良くしてやってくれ」


 ライラの方へと振り向いたかと思うと、すぐに顔を逸らしたレヴ。それを見て、ミオが意地悪そうな笑みを浮かべつつ口を開いた。


「そういうことなんで、よろしく頼むよ。それとレヴ君に代わって言うが、寝間着の前がとんでもなくはだけていて、その素晴らしく立派なおっぱいが見えているよ」

「キャアア!」


 悲鳴を上げながら、ライラが腕で胸を隠した。その顔が真っ赤になるのを見て、ミオがさらにからかうような言葉を投げる。


「ふふふ、別にいいじゃないか。ここには女しかいないのだから、乳なんて丸出しにして堂々とすればいい。なあ、レヴ君」

「殺すよ、ミオ」


 レヴの殺気の籠もった言葉に、ミオがおどけた態度で両手を上に挙げた。


「怖い怖い。さあ諸君、さっさと食事をしてきたまえ。朝食は早く行かないと混むぞ」

「ううう……私、寝相悪くて暑がりだから……わざとじゃないの……」


 ライラがブツブツ言いながら、制服へと着替えていく。


 その衣擦れ音を聞きながら、レヴは動悸を収めるべく精神を集中させていた。

 四人部屋でなくて良かったという思いと、二人部屋でも危ういな、という危機感が同時に彼を襲っていった。


 そんなレヴへと、ミオが小声で囁いた。


「君も涼しい顔をしているわりに、わりとウブな反応をするね。さては巨乳派だな、君」

「手を組むのをやめるぞ、ミオ」

「わかったわかった……ちょっとしたジョークじゃないか。やれやれ」


 ミオがお手上げとばかりに、レヴから離れていく。


「ああ、そうだ。今日の午前中は学園案内と各講義の内容や受け方の説明会があるから、受けといた方がいい。一年生はほぼ全員参加するだろうしね。あんまり目立つなよ?」

「せいぜい、大人しくしているよ」


 レヴがニヤリと笑いながら、そう言葉を返した。


 既に着替え終えている彼は、ライラの準備が終わるのを待って、立ち上がる。


「ごめんなさい、レヴ君。お待たせしました」


 綺麗に髪を梳かし、薄らと軽く化粧をしているライラを見て、レヴが微笑む。


「凄く可愛いよ、ライラ」

「あ、ありがとう。でも、何もしなくてもそこまで綺麗なレヴ君に言われると、ちょっとだけ複雑かも」

「親に感謝しておくよ。さあ、行こう」


 心にもないことを言って、レヴがライラを連れて部屋を出た。階段を降りて、談話室へと入ると、そこは一年生達による情報交換の場となっていた。


「十時から講義案内だって」

「何取る?」

「基礎魔術学と歴史学、それに練金学と算術は必修なのよねえ」

「やっぱり、魔女なら領域の作り方を学べる〝夜の降臨術〟の講義は必須でしょ」

「私は〝精霊学〟かなあ。召喚魔術学びたいし」

「それなら、ユーレリア先生の〝魔術理論および制御式〟の講義がいいんじゃない?」

「知ってる? 昨日、早速〝星〟の一年生が〝お茶会〟で上級生を倒したらしいよ」

「マジ? 凄いなあ……」


 そんな会話を聞きながら、レヴとライラが談話室を通り過ぎる。


 しかしその進路を塞ぐように立っていたのは、オレンジ髪をショートカットにした少女だった。背はレヴと同じぐらいで比較的高く、その整った顔はどこか生意気そうな印象を見る者に与える。

 

 少女は怒ったような表情を浮かべていて、唇から八重歯を覗かせていた。


「あんたが、問題児のレヴだろ」


 そんな敵意の籠もった視線と言葉を、レヴが笑顔で受け流す。


「問題児かどうかはともかく、僕がレヴ・アーレスだよ――イクス・サザールさん」


 その言葉に、その少女――エクリシスが舌打ちする。


「ちっ。その余裕そうな面が気に食わねえ。あたしの名前を知っていながら、その態度でいられるのはもっと気に食わない」


 不満を露わにするイクスを見て、レヴが首を傾げた。


「君に何かした覚えはないんだけども」

「あたしは、あたしより目立つ奴が嫌いなんだよ。どこに行ってもお前の話ばかりだ」

「昨日来たばかりだし、入学式に出られなかっただけだけど? 大袈裟じゃない、それ」

「うるさい! とにかく、お前が気に入らない!」


 何かに苛立っている様子のイクスを見て、レヴはさてどうしたものかと考えていた。


 ミオの話によれば、この子は〝夜庭園ガーデン〟に入りたがっているそうだ。ならば、少し怒らせればすぐに決闘を申し込んでくるだろう。


 目的の為ならこの子がどうなろうが、どうでもいいと思っているレヴだったが――


「あ、あの」


 なぜかレヴの後ろで怯えていたライラが、イクスへと控えめに声を掛けた。


「あん? お前とは喋ってないんだけど!?」

「い、いや、えーっと。あの……その……イクスさんは、何をそんなに怒っているの? 何をそんなに……?」


 ライラがまっすぐにイクスの顔を見て、そう問うた。ライラ本人もなぜ、そう感じたのかは分からないし、なぜそれを聞いたのかも分からない。

 だけどもなぜか、このまま放っておくと良くない気がしていた。


 それは、レヴから漏れる僅かな殺気を、ライラは無意識のうちに敏感に感じ取っていたからかもしれない。


「あん!? 怒ってねえし、焦ってもいねえよ! あたしはただ……! ちっ! もういい!」


 言葉を途中で切り上げ、イクスが背を向けて去っていく。


「……そうなんだ」


 その背を見て、ライラが悲しそうな声で呟いた。それを聞いたレヴがライラの顔を見つめる。


「何か知っているの?」

「私……昔あの子に会った事あるの」

「へえ」


 ライラが目を瞑り、少しだけ間を置いた。まるで何かを思い出そうとしているような、そんな様子だ。


「夜域同士の交流会でね。私もあの子も、母親が夜域を支配する魔女だから、幼い頃にそういう場に出席させられたの」

「そのわりに、仲は良さそうには見えなかったけどね」

「うん。話したのは今日が初めて。でもさっきの言葉を聞いて、少しだけ分かった――あの子、昔の私に似ている気がする」


 その言葉の意味が分からず、レヴが聞き返す。


「昔の私?」

「うん。あの子も私と同じで、偉大な母と優秀なお姉さんがいるんだよ。そうするとね、どうしても比べられちゃうの。私もそうだった」

「……まあそれは何となく分かるかな。でも、ライラはあいつみたいに焦ったり苛立ったりしているように見えないけど」


 レヴがそう言うと、ライラが笑みを浮かべた。

 それはとても寂しい笑顔で、それを見たレヴはなぜか少しだけ嫌な気持ちになった。


「私はもう諦めたから。でも、あの子はきっと諦めきれずにいて、ここで頑張ろうとしているんだと思う。きっと、お母さんやお姉さんに認めてほしいだけなんだよ。だから、目立つレヴ君にああして敵意を剥き出しにしてる。でも、あの感じは良くない方向に向かっている気がする。もし何かのきっかけがあったら、本気で向かってくるかも」

「きっかけか……例えば、決闘とかね」


 レヴがそう言うとライラが真剣な顔付きで、珍しく強い口調でこう言った。


「レヴ君。あの子と決闘なんて絶対にダメだよ。勝ち負け関係なく、そんなことをしたらあの子は……」


 ライラがそれ以上何も言わず、顔をうつむかせた。


「……売られた喧嘩は買うつもりだけどね。まあでもライラがそう言うなら、少し考えるよ」


 レヴの言葉を聞いて、ライラが顔を上げると小さな笑みを作る。


「ありがとう、レヴ君」

「さあ、いい加減朝食にしようか」

「うん! お腹空いた!」


 ライラと共に食堂へと向かいながら、レヴはどうしようかと悩んでいた。


 ライラにはああ言ったが、目的の為ならイクスがどうなろうが構わないという気持ちに変わりはない。

 でもライラのあの小さな笑みを、裏切りたくないなという気持ちがなぜか湧いていた。


 なぜなら、あの寂しさと悲しさが入り交じった笑顔は、どこか亡くなった妹のユウィを思い出させるからだ。

 

「ああ……そうか」


 レヴが小さく呟いた。


「ライラも、イクスも……ユウィと同じなのか」


 偉大な母と姉……あるいは兄を持った少女達。


 そんな彼女達の共通項に気付いてしまったレヴはますます悩むことになるのだった。


***


 朝食後。


 今日、この日の午前中は城の中にある各講義室で、教師達が自分の受け持つ講義の説明回を行っていた。そこを一年生は自由に出入りでき、自分が受けたい講義を見付け、期日までにそれを申請することになっている。


 そんな講義案内をひとしきり回ったレヴとライラが、廊下を歩きながら喋っていた。


「人気な講義は抽選なんだって。〝エステル〟の生徒が優先的に受けられるから、それだけで定数になっちゃうこともあるとか」

「へえ。ここまで見たなかだと、やっぱりユーレリア先生の講義は絶対に受けたいね。魔術式を使えるようになると、使える手が大幅に増えるし」

「うん。でも、あの講義も人気だから取れるかどうかは運かもね」

「講義を取った〝星〟を始末すれば席は空く」


 レヴが半分本気でそう言うと、ライラが呆れた様子でため息をついた。


「それ、絶対にやめてね。ただですら、レヴ君は目立つんだから」


 レヴはその美貌と、クラス分け試験で物議を醸した新入生という噂のせいで、どこに行っても注目の的になっていた。そのうち半分は好奇の目で、残りは敵意や嫉妬だった。


「あとは〝夜の降臨術〟は気になるかな」


 魔女の切り札である、領域を展開する術の基礎を学べるというその講義は、レヴとしては是非とも受けたい講義だった。もちろん知的好奇心もあるが、純粋に魔女を殺すために必要な知識であると思っているからだ。


「強い魔女になるなら必須だしね。でもあれも人気で、しかも上級生が優先されるとか」

「まあそうだろうなあ」

「あとは聞いた話だと、学園内での序列が高いと優先してもらえるとか。どうやってその序列を決めているかはわかんないけど」

「序列、ね」

「あんまり気にしない方がいいと思うよ。そんなことしなくても、ちゃんと真面目に講義を受けていれば先生が推薦してくれることもあるし」

「そうだね」


 レヴが上の空でそう答えた。


 やはり何をするにしても、〝夜庭園ガーデン〟で成り上がるのが早道だとレヴは確信した。

 分かりやすく自分好みのやり方ではあるが、ライラがそういうのを嫌っていることもまた分かっていた。


 とはいえ、忘れてはいけない。

 自分は復讐のためにここに来たのであって、決して勉学に励む為でも、友達を作りに来たわけでもないことを。


 そういう自戒も込めて、レヴが口を開いた。


「ま、僕は僕のやり方、ライラにはライラのやり方がある」

「うん。でもレヴ君、いくら強いからって無茶しちゃダメだよ」

「無茶はしないよ。僕には死ねない理由があるからね」


 そのレヴの言葉を聞いて、ライラがその可愛らしい眉をひそめた。レヴのそれが、どうにも前向きな理由には思えなかったからだ。


 その死ねない理由の為なら――自分の命すらも犠牲にしそうな、そんな矛盾した決意にライラには聞こえた。


 それを見たレヴが笑顔でライラの肩をポンと叩いた。


「そんな顔をしないで、ライラ。さあ、そろそろお昼かな。午後からは早速必修の講義が始まるね」

「講義、頑張ろうね」

「うん。でもその前に、中庭にあるっていう噴水を見に行かないかい?」


 そうレヴが提案すると、ライラが頷いた。


「え? うん、いいけど」


 なんとなく、レヴは噴水とかそういうものには興味なさそうに見えるが、ライラは自分の思い違いかと考え直した。


 しかしそれは概ね間違っていない。レヴも噴水自体には全く興味がなかった。


 だけども彼は昨晩、ミオから教えてもらっていた。


 〝城の中庭にある噴水の前は代々、決闘を申し込む場所になっている〟、と。


 それをライラに伝えることなく、レヴが城の中庭へと足を踏み入れた。そこは屋内とは思えないほど、様々な植物が植えられていて、まるで植物園のようだった。歩道にはいくつかベンチがあり、生徒達の憩いの場となっている。


 そんな中庭の中央にある竜を模した噴水の前で、一人の少女が待ち受けていた。


「絶対にここに来ると思っていたぞ、レヴ・アーレス」

「……イクスさん」


 その少女――イクスの覚悟の決まったような顔を見て、ライラが悲痛そうな声で彼女の名を呼んだ。


「何の話?」


 レヴがとぼけるが、イクスは敵意を剥き出しにするだけだった。


「白々しい。ここに来たってことは、そういうことだろ。いいから、あたしと勝負しろ!」


 そんな言葉と共に――イクスが疾走。


「……ライラ、下がってて」

「レヴ君!」


 止めようとするライラを無理矢理下がらせて、レヴがイクスの突進をジッと見つめた。


 その目が、イクスの両手の周囲にまるで陽炎のような揺らめきがあるのを彼へと伝えていく。

 それは魔術発動に必須な、エーテルの反応を視覚したもので、当然ながら常人には見えないものだ。


「うわああああ!」


 叫びながら突っ込んでくるイクスの右手が、まだ、五歩以上距離があるにもかかわらず、レヴへと突き出された。


 その瞬間、右手から火花が散り、まるで導火線のようにレヴの方へと伸びていく。


「爆発の魔術か」


 冷静に見ていたレヴがその魔術の正体を見抜き、即座に行動を起こす。


「爆ぜろおおおおお!」


 イクスの言葉と同時に、火花によって空中に描かれた線が彼女の右手側から連鎖するように爆発。


 爆炎と衝撃が周囲にまき散らされた。

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