第34話
視界が開けた時、そこは氷の大空洞だった。天井に氷柱がびっしり敷きつめられている。
俺の眼前、狼が屹立していた。数十メートルを超える――生物の域を超えて建造物のスケールに到達している。
まとう威圧感は、俺がこれまで出会ってきたモンスターとは比較にもならない。
間違いなく第7層のフロアボスだろう。
「ほう……ついに我の前に現れたか。命を吹きこまれた木ぎれが」
狼が俺を見下ろして語りかけてきた。
俺はあ然と大口を開ける。
“も、モンスターが!?”
“喋ったあああああ!?”
“ラーフ「強靭な体躯に知恵も合わさるとなれば、ひと筋縄ではいくまい!」”
俺はモンスター辞典アプリを起動して狼をスキャンする。
分析結果がすぐに表示された。
「フェンリル……! 出典は北欧神話か!」
フェンリルがいまいましげに口を裂く。
「我の力……かつての何万分の一にまで貶められているのだろうか? よもや人間ごときに枷をはめられようとはな! 劣化した神秘を蟲毒のごとく混ぜ合わせ、相争わせる……まさしく神をもおそれぬ冒涜よ!」
俺との対話を望んでいるわけじゃない。発言内容も意味不明。
ゲームのNPCのように、決まった言葉しか発さない印象だ。
「まあよい。再度、顕章できたというのであれば……果たせずじまいの使命をまっとうするまでのこと。我が呼び水となってやろう。いまだ訪れぬ黄昏の!」
フェンリルが咆哮した。
大気がおびえるように振動する。
俺は怖気をこらえて特大剣をかまえる。
フェンリルが俺めがけて駆け出した。速い! 俺でさえ、目で追いきれない!
俺をアッサリ間合いに捉え、前脚の爪を振り下ろさんとする。
俺はすんでのところで横合いに身を逃がした。
直後、爪が地面に叩きつけられた。
射爆のような轟音を立てて大地が陥没していく。
……直撃してたら肉片も残らなかったな。
「落ち着け! 相手に主導権をにぎらせんな!」
俺はみずからを鼓舞してフェンリルに切りかかる。
フェンリルが悠々とその一撃を受け止めた。
「……っ!?」
俺は苦痛にうめいた。なんつーカタさだ! 反動が柄越しに腕へと伝わり、ジンジンしみやがる!
無防備な脇腹に喰らわせたというのに、相手は無傷。獣毛の一本も切り落とせていない。
「徒労と分かって火に飛び入るのが、人間のサガであったな?」
フェンリルが前脚を水平に薙ぎ払った。
「ご、ぽぁ――っ!」
俺は特大剣で爪撃をガード――しきれず、遠くまで吹っ飛ばされた。
空中を舞いながら現状把握につとめる。今の衝撃で内臓がいくつか逝った。刀身にヒビが走っている。
俺は押し流される勢いを逆利用、クルリと回転して身体の向きを変えた。壁面に叩きつけられるのを防ぎ、足をついて壁面を蹴った。
砲弾と化してフェンリルへと突き進む。
そうして仕切り直し。剣戟を交わしていく。
いや、戦いになってるのか怪しい。俺が一方的に傷付けられているだけだ。
“や、ヤベエ! レオポルトがこんなに圧されてんの、初めてじゃねえか!?”
“パワーも手数も! 敵のほうが上とか! どんだけインフレしとんねん!”
そこで俺は距離をとっての魔術戦に切り替えるも――
「人知の及ばぬ神秘、とくと味わえい!」
フェンリルが
ブラックホールのように俺の大魔術を呑み込んでしまう。
アレは致命的だと直感した。食いつかれたが最後、こちらの耐久も耐性も無視して千切られてしまう。概念的な強制力を秘めていそうだ。
“アイツの口ん中、のぞいてるだけで不安にかられちまう!”
“ラーフ「間近で目撃する彼にしてみれば! 発狂しそうな心地だろう!」”
“頼む! 勝ってくれ!”
“匿名希望の最強冒険者「勝つに決まってんでしょ! アイツはアタシに土をつけた男なのよ!」”
刻一刻と俺の命がけずられていく。HPは瀕死のラインに達していそうだ。
死に体と反比例して、力が湧き上がってくる。ついにフェンリルの身体へと浅い傷をつけることに成功した。
「その執念と小賢しさは、あなどれぬ! かつて何度、煮え湯を飲まされたことか!」
フェンリルが警戒もあらわに吐き捨てた。
「ならば! 有無を言わせず、食いちぎるまでのこと!
大口を開けて突っ込んでくる。進路上のすべてを虚無に還す気だ。
俺のスタミナは限界が近い。この一合で決着に持ち込んでみせる。
「攻性術式展開――
過去最高のスピードで魔法陣を完成させる。
「顕章せよ、
俺は魔術を発動させた。
フェンリルの軌道上の重力を増幅、地に縫い留める。
正面から攻撃しても無駄だ。口腔の闇に吸収されてしまう。
だからこそ、上からの圧力によって胴体を押さえつけた。
“よし、今だ! 畳みかけろ!”
“これが最後のチャンスっぽい!?”
“アゲート「レオポルト様! 私は信じております! いかなる苦境に立とうとも! 貴方は必ず乗り越えてくださると!」”
フェンリルがうつ伏せになって、もがいている。
「我を弑するというのか!?
重力の縛鎖を引きちぎるまで幾ばくもなさそうだ。
俺は助走をつけて天高く跳ぶ。フェンリルの首、その付け根めがけて特大剣を投擲した。
切っ先が首元に食いこんだ。しかし浅い。頸骨に届いていない。
“ダメだ! 仕留めきれねえ!”
“バカ! 俺らがあきらめて、どうすんだ!”
“ムチャを押し通してこそ! 俺たちの見てきたレオポルトだろ!”
“いぶし銀のヒゲダンディ「いい顔になったじゃないか! 今のお前さんが! 負けるなんざありえん! 胸を張りな!」”
身体が破裂しそうなほど、俺の力が天井知らずに上昇していく。
生存本能が警鐘を鳴らすにつれ、俺の中の想いが強まった。
「はやく……いますぐエミルに会いたい!」
一日千秋……昔の人間はよく言ったものだ。満たされたかと思えば、すぐに恋しくなってしまう。
よくよく考えれば当然か。持ってる者からしか奪えないんだから。
この想いを我慢しよう。その鬱屈を敵にぶつけてやればいい。
スキルのチャージ倍率が限界を超えた。以前の、背負っていなかった俺では決して辿り着けなかった領域へと!
“エミル「せんせええええええ!」”
遠くで恵美が俺の無事を祈っている。そう感じたのは錯覚じゃないはずだ。
俺はフェンリルの背中へと垂直降下する。その勢いを殺さず、特大剣の柄へと踵落としを叩きこんだ。
特大剣がフェンリルの首に埋もれていく。
負荷に耐え切れず、刀身がくだける――より速く、フェンリルの首を貫通、そのまま切断した。
「莫、迦な……! 新たなる創世……くだらぬ机上論の贄なぞが我を打ち破っただと!?」
首だけとなったフェンリルが血泡を吹きながら言葉を紡いでいた。
「ああ……それゆえの……まったく、人間の可能性はおぞまし――」
なにやら納得したような呟きをもらし、光の粒子となって消え去る。
“うおおおおおおおおお!”
“ラーフ「よくやってくれた! 貴方こそ新宿の救世主だ!」”
“信じられん! 男の背中に感動しちまってる!”
“配信見てガチ泣きしたのなんざ、初めてだわ! 責任とれっつーの!”
もうろうとする視界のなか、俺はスマホ画面をたしかめる。同接数は50万オーバー。普段なら小躍りするような快挙だが、そんな余裕はない。
“エミル「約束まもってくれた! ウチもせんせーのことが大好き!」”
そのコメントを読んだのを最後に、俺の意識は暗転した。
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