第2章
第12話
俺は恵美と相談して次のコーチング配信の予定日を決めた。
念のため、飲まず食わずの不眠を貫く。有り余った時間は動画編集の勉強にあてた。
なにぶん素人ゆえ、難問にぶつかってばかりだが……知識と技術が血肉に変わっていく感覚は悪くない。
そして金曜日の放課後、俺と恵美はダンジョンの第1層にもぐっている。
“待ってました! 今日も手ごろなハプニング期待してるわ!”
“切り抜き動画から来ました!”
配信を始めた途端、リスナーが続々とコメントしてくれた。
現在の登録者数は15万人、同接数は6000人。反応があるっていうのは最高だな。
探索は順調、第1層の中盤まで到達した。
「どれどれ……こっちのルートをたどると遠回りになるけど比較的安全。あっちはボス部屋までほぼ一直線だけど危険かー」
先頭を行く恵美がスマホとにらめっこしてうなっていた。
第1層のマップ情報は漏れなく埋め尽くされている。何万もの冒険者の、数十年に渡る探索の成果だ。それが初心者に還元されている。
恵美が振り返って問いかけてくる。
「せんせー、遠回りしたほうがいいっしょ? ウチは初心者だし」
俺はちょっとだけ考えこんでから口を開く。
「……いや、直通ルートに向かってもいいかもしれない」
「え、マヂ!?」
恵美が虚を突かれたようにうめいた。
「お前の資質なら突破できると思う……安心しろ、ヤバくなったら俺が手を貸す」
若干、チャット欄が不安そうな雰囲気になるも――
“レオポルトがいるなら万が一にも危険はない、か”
“レオポルト、エミルに大ケガさせたら承知しないかんな!”
一応、俺を信用してくれたってところか。
恵美が若干、怖気づきつつタンカを切る。
「じょ、上等だしっ! やってやろうじゃん! ここで逃げたらオンナがすたる!」
勇ましい顔つきとは裏腹の、慎重な足取りで分岐路を進んでいく。
通路を抜けて広間に差しかかった。
早速、モンスターのご登場だ。人面の樹木トレントである。
この第1層は基本的にやさしい難易度だ。ポップの頻度的に一体ずつしか襲ってこない。
しかし、このルートだけは複数同時に現れる。第2層に行く前の『慣らし』として有用だ。
複数のトレントが恵美に迫りくる。根っこを足代わりにするサマはコミカルだが、その移動速度はあなどれない。
数メートルの距離をへだてて恵美を包囲した。枝をムチのようにしならせ、打ち据えんとする。
その威力たるや、スキルを持たない人間であれば、一撃で肉を潰して骨を砕く。
「うぁお! ひゃあああ! ヤバいってええええ!」
恵美が絶叫しながら矢継ぎ早の打撃をかいくぐっていく。反撃の余裕もない。
「あだ!? ……っ痛!」
枝の一本が腕に直撃、恵美を吹き飛ばした。
恵美がよろよろと起き上がり、腕をさする。
「ドッジボールよりも重いし!」
俺は混乱中の恵美に大声で呼びかける。
「落ち着け! 相手の動きをよく見ろ! 複数の圧力にひるむな! そいつら一体一体の力はお前より劣る!」
俺はするどく指示を飛ばしていく。
「全員を同時に相手にしようとするから手こずるんだ! マルチタスクにしようとするな! 隙を作って一体ずつ処理しろ!」
「う、ウィッス!」
恵美がそれに応えた。身軽な体さばきを披露、群れを引っかき回し、一対一の状況を作った。
「こンの! よくもやってくれたなああ!」
恵美が腰をひねって腕を引きしぼる。体術スキルの恩恵で、格闘技未経験者であろうと有段者くらいの動きが可能だ。
渾身の正拳突き――
「お返しじゃあああ!」
途端、そいつが木っ端みじんに粉砕される。
俺はすかさず声を飛ばす。
「一体たおしただけで油断するな! 後続が追いすがってきてる!」
「りょーかい!」
調子が出てきたか、恵美が威勢よく返事をしてきた。
恵美は要領がいい。俺の意図を汲み取って実行していく。
「パルクール経験者をナメんなし!」
トレントどもに壁際へ追いつめられるや、それを逆手にとってのける。岩壁を蹴って三角飛びの要領で包囲網を越えた。
無防備な一体の背中を殴り飛ばして撃破する。
出来過ぎだった。実戦の最中に、こうも動きを改善してみせるとは。
いつの間にやら、トレントが全滅していた。
俺は拍子抜けする思いだ。いつでも飛び出せるようにしていたのが無駄になった。
「どうよ! ウチの活躍は!」
恵美が子犬のように近付いてくる。ブンブンと尻尾を揺らすかのよう。
全身で喜びを表現するさまを見ていると、こっちまで小躍りしたくなる。
俺はまぶしくなって目を細める。
「スゴかった……嫉妬しちまうくらいには」
俺がこのルートを通れるようになるまで数ヶ月はかかったのだから。
恵美がズズイと身を乗り出してくる。
「ねえねえ! どうやったら、せんせーみたいな動きが出来るようになんの! こう、ズバババア! ヒューンって感じで!」
血気盛んに、恵美がシャドーボクシングをはじめた。
躍動の拍子、恵美の胸部がたわわに弾む。皮鎧を圧し上げる立派な双丘をお持ちだ。
俺はたまらず目をそらす。
「す、スキルは体さばきの補助をしてくれる――けど、それに甘えている内はまだまだだ! スキルに使われるのではなく、技術を自分のものにしていかないとな!
格闘技を習うのも手だが……あれらは対人を想定した技術だからな! 基礎以外は実戦でみがくしかない!」
早口で一般論をまくし立てた。
“照れてて草”
“さては、女慣れしてないなオメー!”
“まあ気持ちは分かる……嗚呼、眼福にござるよ!”
俺を揶揄するようなコメントがチャット欄に湧いていた。
そんな反応には無頓着なようで、恵美がいきなり密着してくる。俺に背をあずけるような体勢だった。
俺は鳥のような奇声をあげる。
「ふぁっ!? いったい、なにを――!?」
「んー? 具体的な身体の動かし方を教えてもらったほうが手っ取り早いっしょ?」
恵美が俺を見上げ、あっけらかんと告げた。
「こうしたほうが体感的に理解できるかな、と」
俺は生唾をゴクリと呑み込んだ。蠱惑的な丸み――胸の谷間が目に入ってしまう。
こ、これは不可抗力だ! 断じて、やましい気持ちはない!
恵美は純粋に教えを請うているだけ。余計な気持ちを交えて相対するのは失礼だ。
俺は発作のような動悸をおさえつけた。俺自身の身体を恵美の身体に寄り添わせ、拳闘の動きを再現していく。
「手首のひねりはこう、踏みこみはこう……そんな感じで拳を振りぬけばいい。『動作はするどく小さく』が基本だ。大ぶりな攻撃は、避けられた際の隙がデカい」
「ほへー! ためになるわー!」
……なんというか、生殺しのような時間だった。我慢スキルをチャージできそう。
「うん、なんとなく掴めたかも……ありがとね!」
恵美が身を離し、屈託なく笑いかけてきた。
「…………」
詰まったように、俺のノドから言葉が出てこない。
それを見とがめ、恵美がイタズラげな表情になる。
「あっ、もしかして! ……ドキドキしちゃった? ウブですなー!」
からかうように片目をつぶった。その頬が朱に染まっているのは演技なのか本気なのか、サッパリ読めない。
「う、うるさい!」
俺は悔しまぎれに怒鳴った。思ったより声量が小さかったけど。
“あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!? エミルが穢されたああああ!”
“レオポルト、お前は同類だと信じてたのに! 裏切ったな! 俺の想いを裏切ったんだ!”
“役得じゃのう! うらやま――けしからん!”
“許せねえ! ちょっと表出ろや! ボコボコにしてやんよ!”
“返り討ちが関の山で草”
コメントがすさまじいスピードで流れていく。俺への嫉妬だったり煽りだったり……収拾がつかなそうだ。
恵美がなんの脈絡もない行動に出る。
「このイヤリングさ……この前、会った時と変えてみたんだけど……気付いてた?」
自分の耳を指差して問いかけてきた。
俺は素直に答える。
「いや、まったく……ってか、ホントに変えたのか? 俺の目には同じデザインに見える」
恵美が不服そうに抗議してくる。
「ハア!? ありえないんですけど!? ゼンゼンちがうし! この前のはマリスクワート! 今日はキルスペリン!」
聞きなれない横文字だった。脳内が疑問符で埋め尽くされる。
このやり取りに何の意味があるのだろう、と俺は戸惑う。
「マリスなんだって……? キルなんちゃら……?」
「アクセのブランド名だっつーの! 常識だし!」
「し、しるか! 女もののファッションなんて!」
俺は壁際に追い詰められてしまう。
「オトコでも知ってる有名どころなんだけどなー? ……まあでも、せんせーのファンは安心できたかもね? ガチでオンナいない感があるし!」
「よ、余計なお世話だよな!?」
すこしカチンときた。俺はそっぽを向いて不貞腐れる。
「アハハ! マヂ、ウケる!」
それがツボに入ったのか、恵美が手をたたいて爆笑していた。
“マリクトとキルペ知らないってマジ?www 俺でも知ってるんだがwww”
“でえじょうぶだ! こいつにならエミルを任せられる! いかがわしい仲になることは万が一にもない!”
“よっ、非モテの星!www”
恵美に便乗し、リスナーが俺を全力でイジってきた。
「こ、こいつら!」
俺はリスナーたちに食ってかかる。
「ああだこうだ、やかましいわ! ファッションにうとくたってなあ! 生きるのに困らないんだよ! 最低限の清潔感――マナーを守るだけで十分だろ!
それに! お前らだって俺のこと言えんのか! 平日の! こんな時間帯にコメントしてるヒマ人どもがよぉ! 仕事はどうした、仕事は!?」
“に、にににニートちゃうわ!”
“残念でしたー! こちとら、現役の社会人ですー! 職種によっては平日が休みになることも知らないんですかー?www”
“ガチで顔真っ赤なヤツ、はじめて見たわwww”
「ぐぎぎ! 口の減らない連中だ!」
俺はムキになって反論していく。正直、そこまでキレてはいない。配信の空気に乗せられただけだ。
思ったよりリスナーの反応が良かった。俺とのプロレスを楽しんでいるようだ。
ケンカやイジメにならないよう、たがいに注意して応酬する。そんな駆け引きが、俺のほうも途中から楽しくなってきた。
「そんなカンジそんなカンジ」
恵美がささやきかけてきた。こちらに親指を突き立て、脇で見守っている。
「…………」
そういうことか。遅まきながら、俺は恵美の狙いに勘付いた。
俺がリスナーと距離をつめられるように、コミュニケーションをとりやすいように。イジりのキッカケを作った。
結果はご覧の通りだ。すっかり、手のひらの上で踊らされた。悪い気分じゃないのがまた、悔しいな。
しばしリスナーとの殴り合いに興じたあと――
「って、こんなコトしてる場合じゃなかった! エミル、先を急ぐぞ!」
恵美には実家の門限がある。使える時間は有限だ。
俺はスタスタと道を進んでいく。
「あっ、ちょっと待って!」
恵美があわてて後に続いた。
「ホラ、走れ! 遅い遅い遅い! 移動移動移動!」
俺はむすっとした顔で恵美をせかした。
「……もしかして、せんせー。怒ってる?」
恵美が冗談めかしてたずねてきた。
俺は無表情をとりつくろいながら返答する。
「べつに……根に持ってなんかない」
「いや、怒ってんジャン! ごめんて!」
恵美が軽い調子で手をあげて謝意をしめした。
「せんせーにも、いい相手が見つかるって! きっと! たぶん! もしかすると!」
「徐々に確率をさげんな!」
俺たちは軽口を叩き合いながら岩床を駆けていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます