第一話 前半 『花房山稲荷神社』

 さてさて、「花のお江戸は八百八町」とか申します。

これはその広い広いお江戸の一角、藤堂様のお屋敷から御成おなり街道の方に進みまして、武家屋敷と町人長屋の入り交じるあたりを神田の方へちょいと入りましたところにある小さなお稲荷さんのはなしでございます。


 この稲荷、「ひさや」と言います煮売にうり屋の裏手の喜平長屋の横にあるんでございまして、正式には「花房山稲荷神社」と申しましたが、誰もそんな名じゃぁ呼んだりいたしません。

なんでもかんでも願いがよく叶うってぇんで「叶え稲荷」と呼ばれておりました。


 ◇ ◇ ◇


 「ワシらの仕事とは……?」


 弁天様のごとき微笑みを浮かべてオサキ様はそう言った。

オサキ様は、この「花房山稲荷神社」の稲荷神の使役キツネの元締めである。

白髪、いや、白い毛の混じったツヤツヤした豊かな髪を粋なつぶし島田に結って、やけにピンとたったキツネの耳を隠しもせず、ニコリと笑った尖った口元に覗いた牙が鈍く光る。


 後ろ姿は裕福な町屋のちょいとばかり小太りで粋な女将さんという出で立ちで、さすがにふさふさした尻尾はキッチリ隠している。

ところが前から見ると顔はキツネで、人間に化けた損ねたキツネの図そのまんま。

なぜかこれがオサキ様のお気に入りの姿なのである。


 「……売った「恩」ならいざ知らず、貸した「恩」には利子つけてキッチリ返してもらう。

それがワシらの仕事ってもんだ。」


 オサキ様は黒繻子の帯をポンと叩くと、目の奥に閻魔さんの炎を宿らせて眼前に並ぶ使役の管狐たちを睥睨へいげいして続けた。


「だから、お前たち。

返してもらうまではくれぐれも手ぶらで戻ってくるんじゃないよ。

わかったね。」


 居並ぶ管狐くだぎつねたちは一斉に頭を下げた。 


 ここ「花房山稲荷」通称「叶え稲荷」は願いが良く叶うと有名な稲荷である。

人々はここにいろいろな願いを持ってやってくる。

やしろの前で一心に祈っていく。

ワシらはそんな人々の願いが叶うように「めぐみ」を

そうしてしかるべきのちに、たものを返してもらう。

中にはありがたがって早々に「」に来てくれる殊勝な人もいる。

しかし、種々の理由で返さない人また返すことを思いつきもしない人も、また多いのだ。


 ワシたち管狐くだきつねの仕事を簡単に説明すると、つまるところ貸した「恩」の回収、取り立て屋である。

実に単純な仕事。

素直に返してくれる相手ばかりなら、こんなに良い仕事はないくらいだ。


 だがもちろんそんな相手ばかりではない。

それどころか海千山千の猛者……もとい、顧客がたくさんいるのだ。

いつの間にか習い性になった胃の腑の痛みをさすって誤魔化し、青空をにらみつける。


「はぁぁぁ。」


 ――なんて青空だ。

空で魚釣りでも出来そうじゃねぇか。

あぁ、行きたくねぇなぁ。

気分にあわせて土砂降りってのもいただけねぇが、こうお天道さんがピッカピカってぇのもねぇ。


「はぁぁぁぁ。」


 今回の取り立て先は、今年十になる長吉だ。

こいつの下には三人の幼い弟妹がいて、その上を怪我で仕事が出来なくなったお父つぁんとこれまた同じく怪我をして髪結いが出来なくなったおっ母さんの面倒まで見ているっていう、しっかり者。

確かにいい子なんだけど……それだけに厄介な相手なのだ。

 

 かくしてワシは憂鬱と尻尾をずるずると引きずりながら、長吉の住む吉兵衛長屋へと足を運ぶのだった。


 ――あ、忘れてやしたね。

ワシはオサキキツネが配下の管狐。

名前は、狐太と書いてコウタと読みまする。

どうぞ以後、お見知りおきを。


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