第6話 男の子の直したいもの

ようござったよくきたね。雨も雷もおそぎゃあなかったんか?」


「おそ?」


 再生屋にやってきたのはどうやら男の子だった。小学生ぐらいだろうか?もしかしたら中学生になったところか。学年全体でも大して高い方じゃない亜希よりも身長が低い。そして何より、高校生の男子にはない声の高さに幼さを感じる。


「おそぎゃあ……怖いってことだよ。雨も雷も酷かっただろう? 怖くなかったかい?」


「はい。大丈夫です」


「雨が降って雷が鳴ったってことは、何か直したいことがあるのかな?」


 亜希は目の前で繰り広げられる不思議な会話に目も耳も釘づけだった。やってきた男の子は女の名古屋弁に躊躇したものの、その後は何も戸惑わずに話を続けていて、驚いて会話が会話にならなかった亜希とは全然違う。


「お母さんに、謝りたいんだ」


「お母さん?」


「うん。酷いことを言っちゃった。それでその後、事故に……まだ入院してるけど、意識が戻らなくて……」


 男の子の言葉が尻すぼみに小さくなっていった。その様子を思い出してしまったのか、泣きそうな顔を堪えた様子が亜希の心に響く。


「良いだろう。そしたら、やり直すチャンスをあげよう。お母さんの意識を戻すようにすれば良いかな?」


「できるの?!」


「もちろん。お母さんに酷いことを言ったその時間をやり直すこともできるが、それにはもう時間も経っているからね。それなりの対価が要る。おすすめなのは意識を戻すことだと思うなぁ」


「それでいい! きちんと謝ることができればそれで。でも、僕、対価になるようなもの持ってなくて……お金ならあるだけ持ってきたんだけど」


「対価はそんなものじゃない。勇悟くんはもう払ったじゃないか。目を瞑ってごらん。病院まで送ってあげるからね」


「えっ?! 僕。何も払ってない……」


 勇悟くんと呼ばれた男の子の言葉が終わる前に、彼の体は二人の目の前で店の中から消えた。


「えぇっ? どこ? あの子、どこ行ったの?!」


 それまで静かに事態を見守っていた奈津が、勇悟くんが立っていた場所で足踏みをする。ジャンプをする。手を広げる。ありとあらゆる動作で、勇悟くんがその場にいないことを証明した。


「ほほっ。楽しいダンスだが、そろそろお帰りいただこうかな」


「あのっ。オルゴールの修理代は?」


「それは返す時にいただくよ。気を付けて帰るといい」


「え、えっと、さっきの男の子は?」


「病院さ。そう言っただろう?さぁ、もう帰りなさい」


 亜希にはまだ女に聞きたいことが山ほどあった。それでも女はこれ以上話すことはないと言わんばかりに、話を切り上げる。

 女に追い出されるような形で店を出た二人は、門を出た先の景色に驚きを隠せない。あれほど大きな音を立てていたはずの雨の痕はなく、二人の頭上には綺麗な星空が広がっていた。


「雨……降ったんだよね」


 奈津が濡れてもいない足元の道路を見てつぶやく。


「うん。あんなに大きな音が聞こえてたのに」


 亜希が近くに停められていた車を見てため息混じりに声を漏らした。


「あの女の人だって、雷雨が来るって言ってたよね」


「あの音はどこの雨音だったんだろう。一体、どこに雷雨がきたんだろう」


「亜希、オルゴールの修理代は今度だって言われてたよね?」


「う、うん」


「あの男の子からは対価はもらったって言ってたけど、雷雨と関係あるのかな?亜希、今度何払わせられるの?」


「わ、わかんない」


「それって、大丈夫なの?!」


「わかんない」


 奈津の疑問は当然だ。それでも、その疑問に的確な答えを返せるはずもない。亜希には奈津の言葉がまるで自分を責め立てているように聞こえていた。


「オルゴール、取りに行くのやめたら?」


「そんなことできない!」


 亜希は奈津に向かって大声を出すと、奈津をその場に置き去りにして走り出した。体中に熱が巡っていく様だった。イライラした気持ちが、走って早くなった鼓動が、頭痛を引き出す。

 亜希にとってオルゴールは何よりも大切なものだ。それを手放すなんて想像もできない。頭痛が、奈津に言われた言葉が、今度は涙を誘う。とめどなく零れ落ちる涙をぬぐうことなく、亜希は自転車を走らせた。

 奈津だって、亜希のオルゴールが大切なものだということぐらい理解していた。それでも、亜希の身に何が起こるかわからなくて、不安で、心配で、あんな言い方しかできなかった。

 亜希が走って行った方向を見ても、もう亜希の姿はない。二人にとって、初めての喧嘩だった。

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