第3話 なんでも屋のネネとルル
スーは正体不明の少女の手を引き、入り組んだ下層の道を歩いていた。
あの後、空から落ちて来た少女にスーがなにを聞いても、少女は「わからない」としか答えなかった。自分の名前も、住んでいる場所も、なにもかも。記憶がないらしく、ここがどこかもわかっていない様子だ。
「ねぇ、どこにいくの?」
「このまま放置しても野垂れ死ぬだろうから、頼れる奴のところに行く」
記憶喪失の奴を下層の貧困層で放置すれば、食いものにされるに決まっている。自分にはなにも特がないが、放置するにも夢見が悪いと、スーは少女の手を引いて、ネネの店に向かっていた。
下層の入り組んだ道を抜け、階段を少し上がるとアパートの一室の扉の前にたどり着く。『便利屋ネネ』と書かれた看板が掛けられた扉をスーが開ける。
「きゃあっ⁈」
その瞬間、甲高い悲鳴とともにドンガラガッシャンっとものが落ちる音がした。スーに手を引かれる少女がビクリと身体を固くする。
「い、いいい、いらっしゃいませ……?」
部屋の中から顔を出したのは、ルルーナ・ミミィという少女。赤毛の癖毛のショートヘアーに、そばかすが浮かぶ顔、栗色の瞳。白いポンチョに茶色いショートパンツと黒いタイツを身に着け、皮で出来たショートブーツを履いている。
「よぉ、ルル。ネネいるか?」
「ひゃあっ⁈」
ルルはスーの顔を見た途端、悲鳴を上げて部屋の奥に引っ込んでしまう。いつもこんな感じで、スーがネネのところに赴くたびにルルは悲鳴を上げてドタバタと慌ただしい。しばらく待っていると、もう一度ルルが顔を出した。今度は丸眼鏡をかけており、酷く不安げで、いまにも泣きそうな表情を浮かべている。
「ご、ごご、ごめんなさい……な、なにか御用ですか……?」
「ネネはいるか?」
「ね、ネネなら、部屋の奥に……」
「わかった。ありがとう」
少女の手を引いて部屋の中に入ると、ルルは「ひっ」と小さな声をあげて、ソロソロと部屋の奥に引っ込んでいった。小さくため息をつきながら、スーは少女を連れて部屋の中に向かう。
ルルはネネの妹のような存在で、ネネと共になんでも屋を営んでいる。二人がいつ出会ったのかはわからないが、気が付いたらネネがルルを拾ってきて、共に暮らしていたのだ。あのお人好しな幼馴染は、困っている人を放っておけない性格で、今回もどうにかしてくれるかもしれない。
ネネとルルの住む部屋は、店も兼ねている。小さく狭い部屋で、部屋に入ればすぐにリビングとキッチンが現れ、客と話をするためのテーブルと椅子がある。その奥にも小さな部屋があり、そこはネネとルルの部屋で、ネネの作業場になっている。
リビングには所狭しと棚が並んでおり、棚の中には小さな歯車やネジなどの部品が並んでいて、スーに手を引かれる少女はキョロキョロと部屋の中を見回していた。
「ネネ」
スーが奥の部屋の扉を開けると、作業机の前に座り、何かの修理をしているネネの後ろ姿が見えた。ネネとルルが眠るための二段ベッドが狭い部屋に置かれている。
「ちょっと待って……もうちょっとだから……」
ネネは集中して手元を動かしている。その手にはバタバタと翼を動かす小さな鳥のメカニックアニマルが握られており、ネネはピンセットを使って、羽毛が剥げ、露出した機械部分を隠すために布のようなものを張り付けているようだった。鳥が暴れるせいでやりづらそうだ。
ネネは便利屋の仕事として、メカニックアニマルの修理なども行う。いつどこでその技術を学んだのかを知らないが、手先が器用でなんでもこなす。
しばらくすると修理が終わったのか、ネネは「よし!」と言って立ち上がると、作業机の前の窓を開け、握っていたメカニックアニマルの鳥を外に放した。
「もう、怪我しないでよー!」
「治したところでなにも特はないくせに」
「いいの! 放っておけなかったんだもの。さて、なんのよう———」
振り返ったネネが、スーが連れて来た少女を見て目を丸くする。そして、すぐ怪訝そうな表情を浮かべた。
「……だれ? その子。見ない顔だけど」
「空から落ちて来た」
「はぁ?」
ネネは訳が分からないというように言った。ずっと心ここにあらずといった様子であたりを見回していた少女が、ようやく自分の話であることに気が付き二人を見る。
「嘘じゃない。本当に落ちて来た」
「そりゃ、クローズド・ロウェル・シティはよく人が落ちるけれど……落ちて来たってことは上層か中層の子でしょう」
「この格好で?」
「それは……そうね。その恰好はちょっとまずいわ。こっちにいらっしゃい」
ネネが少女の手を取って自分に近づける。少女は驚いた様子だったが、ネネにされるがままに引っ張られていった。
「そんな恰好でうろうろしてたら襲われちゃうわ。なにかあったはずだけど……」
ふと、ネネがスーのほうを見る。ネネは何食わぬ顔でその場にとどまっていたスーの首根っこを掴むと、そのまま部屋の外へと引きずり出した。
「いてて‼ なにすんだ‼」
「着替えるって言ってるの‼ この変態‼」
バンッと勢いよく扉が閉められ、部屋から追い出されたスーは頭を掻いてその場に座り込む。
「ひゃあっ⁈」
すると悲鳴と共にものが落ちる音がして、スーがそちらを見ると、キッチンにいたルルが慌てた様子で落とした食器を拾っていた。
「なぁ、いい加減慣れてくれね?」
スーが立ち上がり、キッチンに散らばった食器を拾い始めると、ルルはまた小さく「ひっ」と声を上げて、怯えた様子でスーを見た。
「ご、ごごご、ご、ごめんなさい……る、ルルは……お、男の人は……」
「苦手なんだろ。でも、何年一緒にいると思ってる」
「ひっ。よ、四年ぐらい……」
「いい加減慣れろよ……」
食器を拾い終わると、ルルは小さな声で「あ、ありがとうございます」と言ってスーに深々と頭を下げた。すると、奥の部屋の扉が開き、ネネが顔を出した。
「ねぇ、スー。なんか、あざみたいなのが浮き上がって来たんだけど、なんか知らない?」
「は?」
「ほら、おいで」
ネネと共に出て来た少女は、白いブラウスにサスペンダーのついた黒いショートパンツを身に着け、黒と白のボーダーのハイソックスに、黒い皮で出来た靴を履いていた。そして、右頬に五芒星のあざのようなものがある。
「ね? これ、なにかしら」
「そんなこと言われても、俺だってなにも知らないんだよ」
「そう……いいわ。とりあえず、怪我の手当てをしましょう。こっちにいらっしゃい」
ネネに手を引かれるまま少女がリビングの椅子に座ると、ネネが手際よく怪我の手当てを始めた。少女の手足には、かすり傷のような怪我やあざなどが浮かんでいる。スーは少女の隣に座り、ルルはスーから少し離れた場所で三人のことを見守っていた。
「それで? 名前も、住んでいた場所も、ここがどこかもわからないの?」
「……わからない」
「記憶喪失? 上から落ちて来たなら、上層か中層だろうけど、それすらわからないのね。それに、なにがどうしてこんなに傷だらけで落ちて来たっていうの?」
「わからない……」
「う~ん……本当になにもわからないのね……」
「ここはどこ?」
少女がネネに問いかける。少女の金色の瞳がネネをとらえ、ネネも少し困惑している様子だ。この少女はどこか不思議で、その瞳にとらえられると呑み込まれてしまいそうになる。
「クローズド・ロウェル・シティ。何の変哲もない、世界に浮かぶ国の一つよ。いくら記憶がないとはいえ、あなたもこの街の住人のはずだけど」
「……わからない。でも、私はここに来たことがない気がする」
「クローズド・ロウェル・シティの住人じゃないってこと? 無理よ。翼でも生えてなきゃ、他の国から他の国に行くことなんてできない」
「……つばさ……?」
「陸も海も繋がっていないこの世界で、生まれた国以外の場所に行くなんて、ほぼ不可能よ」
「……」
少女はなにかを考え込んでいる様子だ。その間にネネは少女の怪我の手当てを終わらせた。
「さて。ねぇ、スー。この子、どうしたらいいと思う?」
「それがわからないから連れて来たんだ」
「結局、私任せなの? もう……いいわ。こんななにもわからない状態で放置したら、この子死んじゃうもの。下層で素性がわからない子なんてゴロゴロいるんだから、一人増えても変わらないわ。私も人手が欲しかったし、この子、引き取ってあげる。その代わり」
ネネが不敵に笑う。スーは嫌な予感がして表情を曇らせた。
「これまで以上に私の仕事を手伝ってよね!」
「なんで、俺が……」
「連れて来たのはスーなんだから。この子が増えたら今まで以上に稼がなきゃならないし、あたりまえでしょう? それから、あなた!」
ネネが少女を指さして、少女がビクリと身体を固くした。
「働かざる者食うべからずよ! きびきび働いてよね!」
「ね、ネネ……」
いままで黙って話を聞いていたルルが口を開いた。
「な、名前がないと……呼びずらいよ」
「ああ、それもそうね。う~ん、名前、名前……」
ネネはしばらく考えた後、パチンと指を鳴らした。
「メリア。メリア・リンセントにしましょ! ね、私天才じゃない?」
「はいはい、そうですね」
「じゃあ、メリア! これからよろしくね!」
ネネがメリアに手を差し出す。メリアは唐突な展開に困惑しているようだったが、おそるおそるといった様子でネネの手を取った。
「よろしく……?」
メリアがためらいがちに笑うと、ネネは満足げに微笑んだ。
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