第1話 野心を持つ少年

 陸も海も続かぬ世界に浮かぶ断崖の孤島の一つである国、閉鎖的な歯車の街クローズド・ロウェル・シティ


 歯車と蒸気機関で出来た機械仕掛けのこの国は、浮島であるために国の面積が狭いため、建物を上へ上へと作り上げ、地上から見上げても上に伸びる建物の頂上が見えることはない。建物から建物へと移動するための道も、上空に橋のように無数に張り巡らされている。


 街の上層にいけばいくほど、街は美しく煌びやかになり、街を牛耳る王族や貴族などの富裕層が住んでいるが、反対に、町の下層にいけばいくほど、太陽の日も届かない、酷くじめじめとした治安の悪い貧困層が広がっている。貧困層の人々は、国の地下にある魔鉱石の鉱脈で魔鉱石を掘り出し、それを上層部に渡して毎日を何とか生き延びている。どこまでも搾取され続ける弱い存在。


 クローズド・ロウェル・シティの最下層、唯一この町で世界の地面を踏めるその場所で、下層に住む少年、ストレリチア・メイソンは地下の鉱脈で丸々一晩魔鉱石を掘り、薄汚れた格好で、張り巡らされた道に阻まれ、ほとんど見えない朝方の空の色と、その空へと伸びていく街並みを眺めていた。


「おい、スー! 上ばっか見てると、変なもんが落っこちてくるぞ!」


 下品な笑い声をあげながら、近くの飲み屋で酒をあおっている鉱脈で働く男たちが、スーに絡んできた。スーは小さくため息をつき、相手にもしない。


 濃い緑色の少し長めの髪を右側だけ編み込んで乱雑に一つにくくり、汗と埃で薄汚れた白い半袖のTシャツに、同じく薄汚れ、所々穴の開いたブカブカの茶色の長ズボンを身に着けたスーの銀色の瞳には、頭上に広がる街が広がっている。どれほど先を見ようとも、上層の煌びやかな街並みは見えてこない。


 その時、スーの足元に一羽の小さな鳥が飛んで来た。ふわふわとした小さな白い鳥は、くりくりとした大きな瞳でスーのことを見つめている。


「……俺も、お前みたいに翼があればなぁ」


 スーがしゃがみ込み、鳥に手を伸ばそうとすると、鳥は羽ばたいてどこかに飛んで行ってしまったが、その鳥の後ろは羽毛が剥げており、機械で出来た身体が覗いていた。


 クローズド・ロウェル・シティの王族の間で娯楽として、旧世界に存在し、いまは破壊神によって滅ぼされた人間以外の動物を模して作られた機械仕掛けの動物たち、機械動物メカニックアニマル。人間の愛玩用として作られたその機械たちは、どこから見ても旧世界に存在した、生きた動物にしか見えないが、それらは王族が娯楽目的に作った偽物で、魔鉱石を動力としているために、魔鉱石の力が切れるまで動き続け、多少の損傷で死ぬことはない。


 愛玩用として作られたメカニックアニマルは、王族の人間によって放棄され、野生化したものが多く、それらの多くが下層へと降りてきて、下層の貧困層は野生化したメカニックアニマルの巣窟と化している場所もある。


 下層の人々の中には、完璧な見た目のメカニックアニマルを作り上げることこそできないが、用途重視のメカニックアニマルを作り、自分たちの生活の役に立てている者もいる。


「俺もいつか、上になりやがってやる……!」


 クローズド・ロウェル・シティで下層の者たちが上層にいく手段は、空を飛ぶほかに、クローズド・ロウェル・シティに一つだけ存在するエレベーターを使うほかない。そのエレベーターは上層の王族貴族以外に使用することはできず、使われることもほとんどない。


 スーはクローズド・ロウェル・シティの最下層で生まれ、父と母の記憶も物心ついた頃からなく、貧困層でずっと一人で生きて来た。日も当たらない貧困層で明日を生きるため、毎日鉱脈を掘り、上層に搾取され続ける生活。貧困層の人々が好き勝手に作った道のせいで、入り組んだ複雑な下層の奥でひっそりと息をひそめて生き続ける。それは酷く息苦しく、この世界に生まれ、生きている気がしない。


 いつか、この街のエレベーターに乗り、上層に上り詰める。そのためには———。


「おい‼ 誰か落ちてくるぞ‼」


 突然聞こえた誰かの声に、その場にいた人々が上を見上げる。上空から小さな男の子が落ちてきているのが見えた。クローズド・ロウェル・シティは上へ上へと建物が伸びる街。高い位置にある道から足を滑らせ、子供が落ちてくることは多々あることだ。落ちてきてそのまま地面に衝突することもあるが、足を滑らせ街の外側に落ちれば、そのまま奈落いき。


 ものすごいスピードで落ちてくる男の子は、このまま地面に衝突すれば間違いなく絶命することは明確だ。人々が男の子を助けようと大きな布を持って来て、クッションにしようとしているが、間に合いそうにない。


 スーは思わず走り出し、男の子が落ちてくるであろう場所で手を伸ばした。


「スー‼ やめろ‼ 巻き込まれて死ぬぞ‼」


 先ほどスーに絡んできた男がスーに向かって叫ぶ。受け止めてもスーごと死ぬのは明確だ。でも、だからと言って見捨てることもできない。このままでは男の子は間違いなく死ぬのだから。


 その時、スーの頭上を人影が横切って、落ちてきていた男の子を連れ去った。あっけにとられたスーがその場で立ち尽くす。


 男の子を抱きかかえ、地面に着地したのは王族直系騎士団『エル』の男。まっさらな白いコートに手足につけられた甲冑。背中には機械仕掛けの翼を背負い、その翼は男が着地した瞬間に折りたたまれた。コートに付いた天使の羽を模した紋章が、王族直系の騎士団『エル』の者であることを物語っている。


 王族直系騎士団『エル』は、クローズド・ロウェル・シティの王族に遣え、街の治安維持を行う騎士団である。エレベーターの使用を許可され、街で唯一翼をもち、空を飛ぶことができる者たち。そして、クローズド・ロウェル・シティのエリート。


 騎士団の男に救われ、腕の中に抱えられた男の子はしばらく呆然としていたが、急に安心したのか声を上げて泣き出した。


「君、心がけはいいが、そんなことをしていると巻き込まれて死ぬぞ」


「あ、ああ……」


 男に冷たく言い放たれ、スーは気の抜けた声で返事をする。男はスーにたいして興味なさげに背を向けると、機械仕掛けの翼を広げ、上層へと飛び上がっていった。その姿を見ながら、スーは羨ましさを覚える。


 いつか自分も王族直系騎士団『エル』に加入し、上層へとなり上がって、エリートになる。自分が生きて来たこの劣悪な環境から抜け出し、翼を広げて飛び上がってやるのだ。そのためにも、騎士団の目に留まるよう、日々行動せねばならない。


「……上層の坊ちゃんだから助けに来やがったんだ。あれが下層の貧乏人だったら、助けになんて来やしねぇ……」


 誰かが呟いたのが聞こえた。確かに先ほどの男の子は質の良い服を着ていた。上層から落ちて来たのだろう。下層の者たちは、見下され、蔑まれ、誰も手を差し伸べてくれたりはしない。だから、ここから抜け出すのだ。それをしようとしない者たちに未来はない。

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