第15話 覚醒

 うっすらと目を開けると、そこはがらんとした部屋だった。内装は上質だけれど、家具が何も無い。手入れはされているようで、床に敷かれた絨毯は鮮やかな色を保っている。私はその上に無造作に寝かされていた。布団も何もかけられていないから、少しだけ寒い。


 この状態をかんがみれば、拐われてきたであろう事は容易に知れた。殿下の婚約を受け入れてから、こうなる事も覚悟の上だ。王太子である殿下は為人ひととなりまつりごとへの姿勢から、まだお披露目前だというのに国民にとても人気がある。


 でも、それ故に敵も多かった。玉座を狙う宰相は勿論、王女殿下を支持する一派や民主主義などの反王権派、神を民の中心に置こうとする神権派、更には自分こそが正当な王家の血筋だと主張する者もいる。


 殿下の婚約者となれば、そういう人達の格好の餌食だ。警戒していたつもりなのに不甲斐ない。ネフィも、もう帰っている頃だろうし、殿下のお耳に入っているかも。心配、しているだろうな。


 ともすれば、零れそうになる涙をぐっと堪える。


 泣くな。泣いても何も好転しない。まだ頭はぼーっとするけれど、何かひとつでもいい。犯人に繋がる物が見つかれば、優位に立てるかもしれない。


 よし、と気合を入れて体に力を入れる。手と足を縄で結ばれ、床に寝転がったまま、なんとか周囲を確認した。身をよじりり頭を後ろに回すと、かろうじて見えた窓の外は薄暗い。私が拐われたのは昼間だったから、かなり時間が経っているだろう。


 確か……お茶を飲んでいて、賊が侵入してきたのよね。そして背後から羽交い締めにされて、薬を嗅がされた。


 ……背後。


 それが意味するのはひとつの真実。後ろにいたのはヒメリア様だけだ。私は重い息を吐き出す。やっぱり、格下の私に奉仕するのは耐え難かったのだろう。家格で言えば、侯爵令嬢であるヒメリア様の方が殿下の婚約者には相応しい。


 それなのに、子爵家上がりの伯爵令嬢がその座に収まっているのだから、気に食わないのも頷ける。その子爵家だって、騎士爵が順当だったのに、当時の国王陛下が強引に与えたものだもの。それだけご先祖の働きがよかったって事なのだけれど、今の状況では逆恨みしてしまいそう。


 また出そうになる溜息を飲み込んで、他に何かないかと視線を動かす。その時、遠くに人の声が聞こえた。でも、なんだかおかしい。妙にはっきり聞こえる。靴音も何も、他の音は聞こえないのに、声だけが聞こえるのだ。


――幼い声……どこかで聞いたような……。


 そう思った瞬間、目の前に光景が浮かび上がった。


――何、これ……っ!?


 まるで、あたかもすぐ傍にいるような光景。けれどここではないと何故か分かる。言葉もはっきり聞こえてきて、その内容に背筋が粟立あわだった。


「いい? まずは髪を切ってやりなさい。貴婦人にとって、髪は命の次に大事なものだものね。泣き叫ぶのが目に浮かぶわ。それからドレスを切り裂いて、犯してやりなさい。なんでもいいわ、できるだけ屈辱的にね。顔も気に入らないの。口でも裂いてやったら、少しは可愛くなるかしら?」


 きつい紫のドレスをまとった、ふくよかな赤髪の少女が顔を歪めて嗤っている。その足取りは軽く、楽しげで迷いはない。その姿は一度見たら忘れられない程に強烈なもの。間違いなくユシアン様だ。その後ろには複数のメイド。それぞれ手には短剣が握られていて、何をしようとしているのか、聞かずとも分かった。後ろに控えたメイド達に表情は無い。ただ無言でユシアン様に続いている。


 これは、どこだろう。豪奢ごうしゃな壁紙の廊下は広く、華美な美術品が飾られている。雰囲気からここではない気がした。


 すると、浮いたような感覚と共に光景が変わる。


 扉の前に座り込む粗雑な男が一人。視点が動いて、廊下から階段を降り、門扉から前庭へ。そこまでに十人に満たない男達が点在している。やっぱり、ユシアン様がいるのはここじゃない。おそらく公爵邸だろう。


 そして次に浮かんだ光景に、私は胸が高鳴った。馬にまたがり、凛々しくも雄々しいその姿は、まさに白馬の王子様。高鳴る鼓動は、どんどん体を熱くしていった。自然と、頬を涙が伝う。


 ああ、助けに来てくださる。


 殿下は、もうすぐそこに。


 目を閉じて、その姿を瞼の裏に焼きつける。それだけで、勇気をもらえた。


 これは、たぶん殿下が言っていた私の魔力。だから分かる。先に到着するのはユシアン様だ。魔力で意識を空に飛ばすと、ここは公爵邸からそう離れていないのが見て取れた。 


 ならば。


 私がやるべきは、ユシアン様の気を引き、時間を稼ぐ事。


 できるだけ傷を負いたくはないけれど……そうも言っていられない。この程度、乗り切れなければ殿下の足手まといになってしまう。ただ待つだけではだめだ。


 私は、私の戦いをしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る