ちしゃ姫を、届ける。

神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ)

第1話

 幼児を胸に抱いた男がひとり。

「お久し振りです、前橋まえばし教授」

 僕は、顔を上げた。不審を隠しもせず。

 家の中庭に立っていたのは、かつての教え子であった。それも、僕が解剖したはずの、菅沼恵太すがぬまけいただった。

「随分、顔色が良さそうだ」

 何なら、生前より太っている気がする。生前? 首を傾げる。

 菅沼くんが、笑い声を上げる。縁側に腰掛け、子供を抱き直している。そっと、顔を覗き込む。とび色の髪を持つ少女。

「もしかして、あれかい。例の、女の子…」

 変な汗が流れる。僕は、目の前の少女に良く似た若い女性を思い出していた。あれは、随分と綺麗な娘だった。これもまた自分の手で解剖したはずだったのだが。

「ご名答です。きっとこの子は、母親に似て美人になりますよ」

「うん、解った。今、のろけはいいから」

 片手で制し、片手を額に押し当てる。

 これは、一体全体どういう話なのだ。

「夢? 夢には違いないだろうが…」

 うんうん唸っていると、家の中から足音が近づいてくる。菅沼くんと僕の肩に手を置き、小さい子を見やる。

「わあ」一気に口角が上がる。「可愛い子!」

 振り返り、娘を座らせる。と、菅沼くんが、目を瞬かせ、大きくする。

「もしかして、前橋教授のお嬢さんですか。やあ、なんて愛らしい。涼しげな目元がそっくりだ。きっと利発なんでしょうね」

 娘は言われてにこにこする。慣れない褒め言葉に、僕は目を逸らす。

「この子はね、夢の中だけの住人なのだよ。何せ、死後に会いに来た恋人があちらで産んだ娘だから」

「はい?」

 沈黙。無表情から、すっと笑みを見せる。菅沼くんは、僕と手を重ねた。

「それなら、ちょうどいい絵師を知っています。まずは、 前橋教授のご許可を得てからと、こうして訪った訳ですが」

 話が見えない。

 とりあえず、小さい子を座敷に寝かせる。畳の上に寝転がる娘。可愛い、可愛いとずっとしゃべっている。

「結局、あのとは一緒になったのかい」

「はい」

 菅沼くんは、簡単に頷く。

 俗に言う、死後結婚である。あちらには、恋バナ命の仏様がいらして、あることを条件に仲人をしてもらったのだと。

 そもそも神とは悲劇から生まれるものなのだそうだ。

 そこで、かの仏様は菅沼くんとあの娘に目をつけた。条件とは、通い婚に、子を生すこと。二人に異存はない。見事、娘が誕生。晴れて、二人は新たな神となった。

「しかしね、娘を現世に送れというのですよ」

 まあ、悲恋は悲恋として、別に死なずとも二人は現世で子を生せたはずなのである。罰というわけでもないが、それで娘を外に出さなければならないらしい。

「今更、親戚に預けるのも、何か違うよなあと妻と話しまして」

 恐らく、二人とも積極的な親戚づきあいはしてこなかっただろう。

「そうだ。 前橋教授に預けようと」

「何が?」

 呆れ果てる。

「よくもまあ、独身男に大切な娘を押しつける気にもなれるものだね」

「それはまあ、乳飲み児ならば断る理由にもなりましょうが。前橋教授もなんとか世話できる年頃まで育て上げたという訳です」

 いや、そういうことではなくて…。頭を抱えていると、我が娘が近寄ってくる。

「お父さまは、この子がお嫌い?」

「きら…。ってはいない」

 えへへーと菅沼くんにも笑って見せる。

「犬や猫じゃないんだから…」

「あ、キャベツ。この子には、キャベツを与えておけば、まず大丈夫です。この子は、キャベツから生まれたので」

 真面目な顔をして何を言う。絶句していると、ちょんちょんと娘が指でつつく。

「だから、この子は神様なのですよ」

 そうか。それで、髪がとび色なのか。

「それで、いずれ嫁に出すまで、僕に育てろって?」

「はい。駄目でしょうか。今なら、こちらのお嬢さんも、現世にお連れできるのですが」

 鼻息が荒い。一度、窓外に目を遣る。

「なんだって?」

「だから、忙しいお父さまに代わって、私が姉としてお世話します!」

 だから、犬猫かよ。

「その、何とか言う絵師に頼むのかい」

青谷実範あおたにみのりです。あの世とこの世の両方で、絵を描いていらっしゃるので、正直、過労死が心配なレベルで」

「そこにまた新しい仕事を頼むのか。人でなしだなあ、君は」

「まあ、そうですね。今は神なので」

 からりと笑う。菅沼くんも、随分と図太くなったものだなあ…。

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