第148話 色づく恋が実るまで

 パラパラと雨が降り出した。湧き上がる熱を冷ますように、乱れた呼吸で走り続ける俺の肌を流れる。

 運動不足も祟り口の中に血の味が広がり出す。けれども足は不思議と止まらなかった。

 見える空模様はどんよりとした灰色だ。

 こんな日でも、俺には太陽は笑ってくれないらしい。

 自分で大切だったものに順序をつけて、必死に振り返らないように胸が痛み続けても走っている今日という日ですら。

 青春の隅っこにいるような、そんな俺には相応しい。なんて灰色の青春だろう。

 俺は嘲笑して、地面を蹴る足に力を込めた。

 


 駅を通り過ぎた頃、本格的に雨が降ってきた。

 体が震えそうになる理由が雨のせいか緊張のせいなのかはわからない。

 ただ不思議と、あの坂を登りいつもの公園にたどり着くとその震えはぴたりと止んだ。

 いつもの蔦で装飾されたパーゴラの元に、見慣れた背中を見つけ、俺は歩み寄る。

冬の夜闇に灯る明かりを見つけたような安心感があった。


「茉白」


 意味も意思もなく、その名前が口を衝く。

 茉白の近くに立っても、彼女は返事をせず、向こうの景色をただ真っ直ぐに見つめている。

 けれど茉白が長椅子の隅の方へと体を寄せたから、俺は自分が濡れていることを気にしながら座る。


「天気予報、見てないでしょ」

「・・・はい」


 茉白から差し出されたフェイスタオルを受け取ると、俺は適当に水分を拭う。

 雨が俺たちを覆うように降っていて、周囲は確からしい輪郭を持たない。

 俺はなんと話し出せばいいのかわからず、茉白から貰ったタオルを握りしめた。


「終わったんだね」

「・・・あぁ。ついさっき」

「そっか」

 互いが互いを捉えずに、正面を見据えたまま、茉白はそっと呟くように言った。


「私、なんにもしてない」


 雨音が強くなった気がして、俺は声をいつもより張る。


「それは俺が茉白を頼らないって決めたからであって」

「それが嫌だって言ったんだよ!」


 慣れない大きな声を震わせて、茉白は感情を叫ぶ。スカートの裾を握って自分の足元に叫ぶ。


「色見くんは一人で頑張ってる。だから私は何もしちゃだめなんだって思って我慢してた。色見くんは頑固だから私に頼っては来ないだろうなって。でも、私たちの関係とか、これまでの関係値とかってそんな意気地になれば無視出来るほどなんだって悲しくなって、だったら失敗しちゃえとか思うようになっちゃって。・・・もう自分がどうしたいのかわからなくなってきたんだよ」


 最後はもう嘆くような口調だった。

 全く持って理路整然ではなく、書き殴ったような感情に、彼女自身が困惑しているようだった。


 すると、茉白の片手にあるスマホの液晶が、光っているのを見つけた。それはこの夜闇の中で、何よりも輝いていた。

 そこには、裏生徒会のみんなで出かけた時に撮った記念写真が映し出されていた。

 雨粒のせいで淡く発光する思い出は、どれだけ彼女が裏生徒会を、あの日々を大切にしているかを示していた。そして、そんな日々を壊した要因の一つは俺なんだ。


「悪かった」

 すると茉白は俯きがちだった顔を上げ、俺を睨む。

「いつもそうだよ!一人で悩んで変な方向に拗らせる。変な考え方だから周りも遠ざかってひとりなんだよ」

「ちょっと待て、急になんだよ」


「急だからだよ!」

 茉白は俺の目をまっすぐに、いつも以上に潤んだ瞳で見据える。


「こんな雨の日だから来ないだろうって思ってたのに、来るんだもん。それじゃ私だって準備できなくてこんなんになっちゃうよ」

「だからってな・・・」

「だからじゃないんだよ」


 必死な声色に俺は押し黙る。

 自分の足元を見つめる彼女の瞳は未だ揺れていて、何かに必死なことを俺に告げている。


「わたし、わかんない。自分が何を思ってるのか、もう、わかんないよ」

 囁くように茉白は言った。

 

 自分のことがわからない。それは俺自身も感じていたことだった。

 ずっと自分の信念だとかに基づいて生きてる自分。

 そんなのは幻想だと知って、自分がどうしたいのかわからなくなった俺に、井伊は考える時間をくれた。


 俺はもう一度、自分のことを振り返る。

 井伊はあの月が輝く夜空を見上げてこう言った。カタチやそれにつく名前は振り返ったらわかるものだと。


 もう終わってしまった裏生徒会での日々。あれを振り返ると、きっとつく名前は、ひどくありふれていて不明瞭で、青臭い名前がつくだろう。

 であればそれ以前の、ひとりぼっちだった頃の名前はなんだろうか。

 孤独?

 いや違う。寂しさとかそんなものは他人がいて初めて思うことであってあの頃の俺にはそんな概念すらなかったはずだ。

 であればあの日々につく名前はなんなのか。

 考えだして、答えはすぐに見つかった。


 きっとまだ、終わってないんだ。


 一人でいた頃に探していたものは、裏生徒会での日々でも見つからなかったんだ。だからピリオドが打てていないんだ。ほとんど直感だった。

 一人で世間を傍観しながら、漠然と思っていた。

 友達、親友。どうして彼、彼女らはそんな脆く不安定なはずのカタチを確固たるものと信じて嘯けるんだろうかと。

 相手が思っていることなんて真にわかる時が来るわけもないのに、どうしてそこまで強情になれるのだろうと不思議でたまらなかった。でも、それは裏返しなんだ。俺自身も厚かましく、一歩的な勘違いでも、他人に押し付けて、押し付けられてみたかったんだ。

 決して短期的な押し付け合いじゃなく、それこそ生涯にわたってそんな押し付け合いを許容できるような関係が。もし本当にずっと続くカタチがあるのなら、みてみたい。そう思ってたんだ。

 いや、見てみたいだなんて、俺がそこまで純粋なわけがない。きっと俺は手に入れたかったんだ。でももう裏生徒会はなくなって、川霧と朝日との関係も大きく変わってしまった。だからこそ、

 きっとあの日々を、そして裏生徒会をなくした今も、俺はずっと探している。


 あるかどうかもわからない、実るかもわからない

 居場所という、カタチを。


 それに気づくと、心臓が静かにそして激しく脈打っていることを自覚する。

 これは何回目かの勘違いかもしれない。

 それでもこの昂りは収まってはくれなかった。


 茉白も俺も、カタチが欲しかったんだ。

 茉白は自分の感情に。

 俺は不確かな人間関係を確固たるものとする、そんなカタチが、欲しかったんだ。



 俺は胸一杯に新鮮な空気を吸い込んだ。

 ずっと近くにいたのに気づけなかった。

 そんな当たり前に気づけたこの瞬間の空気は、降り続けた雨が止んだせいで、どこまでも澄んでいた。


「茉白」

「なに」


 すっかりいつもの無感情を忘れ、怒ったような口調の茉白は俺を見る。

 茉白がキュッと下唇を噛んだのがわかって、俺は焦って言葉にする。

 客観性はどこかに行ってしまっていた。


「あのさ」

 頬が熱い。言葉が思いを追い越して音になる。


「俺は、茉白がいるから、茉白と話したいから頑張れたんだ」

 思い出すのは、初めて空き教室の扉を開けたあの放課後。


「裏生徒会に入って、いいことも嫌なこともたくさんあった。」

 価値観が違う奴らと密接に過ごして、すれ違いも、それを経て得た思いもあった。


「これまでじゃ考えられないくらい、色んな経験だってした。苦しいことの方が多かった」

 誰かと喧嘩したり、人間関係に悩んだり、興味もないイベントをやらされたり、散々だった。


「でも、そのどれもが、名前も色もなく消えてくのが、嫌なんだ」

 どんな素敵な感情も、経験も、未来になれば忘れ去られ『思い出』として血が通わない別のものへと変貌してしまうんだろう。

 どうせ忘れ去られてしまうから、どんなに価値があると思っていても、それはその時の価値に過ぎないから、みんな未来に生きようと、成長しようとするんだ。


 それでも俺は、俺にとっては、過去の思い出も、関係も、感情も何もかも、きっと遠い未来になっても今と同じくらいに大切だから。


「関係も、感情も、思い出にも、カタチが欲しくてしょうがない。でもそんなあるかもわからないものを必死に探すのは疲れるし無駄かもしれない。だから・・」

「だから?」

 

 茉白はどこか怯えているように見えた。

 俺は小さく息を吸う。真っ直ぐに、茉白を見つめて。

 

「カタチを、どこまでも一緒に探してほしい」


 瞬間、蔦を伝った雨粒が、俺と茉白の間を落ちていった。

 俺の言葉に、茉白は信じていないというような態度でつっけんどんに聞き返す。


「・・・それは、いつまで」

「そんなの、見つかるまでだ」


 瞬間少しだけ目を丸くし、茉白は俺から視線を外すと、横目で遠くを見つめる。

 思い出したように伸ばした手で、自分の髪を整え始める。


「えっ、と。その・・・。そ、そんなゴールが見えないものに誘うならさ、それなりの態度があるんじゃないかな」

「た、態度?」


 一体彼女がほしいものがなんなのか、俺は逡巡する。

 自身の感情に悩み、仲間を失い、自分を疑い、自分がわからなくなった彼女に何をすべきか俺が悩んでいると、目の前の少女は恥ずかしそうに笑ってから、努めた無機質で囁いた。


「誰も、名前で呼んでないね」

「それは茉白も」


 キュッと俺の服が掴まれ、俺は言葉に詰まる。顔を上げると茉白の顔はすぐそこにあった。

「和樹くん。・・・色見、和樹くん」


 確かめるように、不安げにこちら見上げる茉白。その瞳の中の光が少し揺れただけで俺は固唾を飲む。息を吸い込む。

 この関係に、想いに、相応しいカタチは今はまだわからない。

 それでも、もう逃げないって決めたんだ

 不確かさを確かに歩くと決めたんだ


「依真」

「はい」


 俺は優しくて愛おしい視線を受けて、静かに息を吸い込んでから、言葉を紡ぐ。


「カタチを、俺とお前の関係につく新しい名前を、どこまでも一緒に探してほしい」

 不安げな瞳にそう告げると、俺のシャツの端がより強く引っ張られる。

「・・・うん」


 小さなその声も、決して聞き漏らさない程に、密着した依真は、自分の存在を確かめるように、強く、強く、俺の体に自身の体を預けた。


 けれど俺たちは、どこまでもめんどくさく疑り深い。

「本当に、カタチって見つかるのかな?」 


 依真の言葉が想起させたのは、文芸同好会での思い出だった。

 俺はあいつらみたいに強くない。強くなれるかもわからない。

 それでも、信じてみたくなったんだ。


「名前は、後からついてくる。きっと、多分」

 そう言って、俺も居場所を確かめるように腕を回した。


 

 俺と依真は公園を出てここまで続く坂を見おろした。当たり前に広がっていた景色は今日も変わらない。

 ただ、少しだけ俺たちの世界だけは、色づいて見えた。


 まだ坂の途中だから俺たちの後ろにも坂道は続いている。けれども今ならどこまでも登っていけそうな、そんな気もした。

 俺と依真は見つめあって小さく笑ってから歩き出す。


  きっとここまでの道は遠回りだった。そしてこれが俺の最短だった。

 かすかに芽生え始めた大人の気配を感じながら、子供な俺は小さく願う。


 この数ヶ月の苦悩と後悔塗れの日々と、そしてこれから続くであろう日常が、いつの日か確かで鮮明な名前がつくようなものになればいいと。

 そして、それまでの過程を。

 それからの日々も。


 共に、歩んでいきたい。

 色づく恋が実るまで。

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