第145話 傷つくたびに強くなりたい

 文集ができた


 俺はそれを聞いて放課後すぐに文芸同好会の部屋へと急いだ。

 扉を開けると安芸と新井、そして井伊が楽しげにその中身を見ているところだった。


「社長出勤だ、和樹。はい、これ」


 手渡されたのは3人が見ているものと同じもの。

 表紙は何かイラストがあるわけではなく簡潔に


『栞』 と達筆で書かれているだけだ。

 それは確か、俺が安芸を説得する時に使った言葉だった。


「地味だよね、それ。やっぱイラストがあった方が」

「いいから!あんな不気味なオリキャラとかない方がマシだから!」


 不服そうに一枚の用紙に伸ばそうとする井伊の腕を安芸が力強く掴む。

 そこには変なイラストが。

 きっと、元々はあれが表紙だったんだろうな。安芸、ナイス判断だ。


 そんなやりとりの中で、新井だけがペラペラと文集に収められた思い出をめくっている。


「あ、それ初めて批評しあおうってなって書いたやつだ!懐かしい」


 新井のもとに安芸は飛ぶようにして近づく。

 するとそこに井伊も集まり、すぐに三人は元の様子になる。


「この時、花にめちゃくちゃに悪く言われて腹立ったの覚えてる」

「そうだったっけ?」

「そうだよ!それで私たちが言い合いになってるのに静は我関せずでぼーとしてた」

「フミ、それは違うよ。私は仲裁したかったんだけど、花に『書いてない奴が口はさむな』って睨まれたんだ」


 そこで語られるのは、俺がまだ干渉する前の、きっとまだ健全だった頃の文芸部の思い出。


 ページが捲れる音と楽しげな会話だけが教室で響いていて、俺はつい表情が緩む。

 ようやく、こいつらのために何かはできたのかもしれない。あの時に安芸の背中を押した事は正解だったんだ。

 俺は自分にそう言い聞かせながら、ひっそりと自分の数ヶ月を振り返る。

 しばらくすると、その懐古は突然の沈黙によって中断された。


「・・・こんなことも、あったね」


 沈黙を破ったのは安芸の声だった。努めて他人事のような口調で語るせいで、中身を見ていない俺でもわかった。きっと『文芸部』としての最後の作品のページに辿り着いたのだろう。

 新井のめくる速度も心なしか早くなっている。


 みんなが気まずさを誤魔化すための言葉を探す重苦しい時間。


「ごめんね」

 そんな沈黙の中、異質なほどに感傷がこもったその声にみんなが振り向いた。


 視線の先の井伊は端麗な顔を軽く歪める。


「私のせいで、この時、最後まで文集作りできなくなっちゃって」


 改めて自分の行いを謝罪する井伊に対して安芸が何か言おうとするが、それに被せるようにして新井が語気強く答える。


「もういいわよ。私たちのためだったんでしょ。それにあの頃は私たちもカタチにこだわりすぎてたし」

「そっか」


 井伊は並んだ安芸と新井をまっすぐ見つめる。そして視線を安芸にスライドする。


「フミ、文集作ってよかった?」

「えっ。・・・そうだね。部がなくなったり、その次には同好会がなくなるかもとか正直散々だなって思ったけど、こうやって楽しかったことを振り返るとさ、意外とこれからもどうにかなるのかもって思える。不思議な感じ」


 安芸は恥ずかしそうに笑う。

 その笑顔を見て、井伊は美しい微笑を見せた。


 そして、少しだけ間を作る。

 井伊の横顔は何かを決心しているようだった。


 小さくその口角を上げると、井伊は囁いた。


「今日で最後にする。私」


 シンと静まる教室。

 遅れてやってきた理解に焦り、安芸は井伊ににじり寄る。


「な、なんで?せっかく文集ができてこれからも活動頑張ろうってなったところじゃん」

 信じられないという様子の安芸に、井伊は微笑み返す。

「私さ、少し焦りというかそんな感じがさ、部の最後の方からあったんだ。私たちこのままでいいのかな。私って今のままでいいのかなって」

「何言ってるの?」

「そうだよね、私も我ながらそう思う。ただ、こう、もっといろんなことを経験したほうが良いんじゃないかみたいなさ」


 決してこの告白が、井伊にとっても軽々しいものではないということは、いつもの飄々とした様子とは一変した表情から伝わってくる。


「だからさ私、この文集で一区切りしようと思ったんだ。3人との楽しかった思い出をカタチにしてさ」

「ちょ、ちょっと待ってよ!なんで今それを言うの?」

「だって大切な思い出を記す文集にさ、悲しみなんていらないよ。フミに、もし予め伝えてたら説得するなり私に気を遣った文集なりにするでしょ。そういうの、私は望まない。正直、フミから部の最後に書いた作品を入れてって連絡が来た時はびっくりしたよ。フミも私と同じ考え方と思ってたからさ。あんな苦しい思い出を文集に入れるなんて、ビックリした」


 そう言うと、井伊は安芸の手を大切そうに両手で握る。


「でもさ、あれって、しっかりと前を向くっていう表明だったんでしょ」

「・・・そんなんじゃ」


 ギュッと一層力を込める井伊の手の平から意思の固さを悟ったのか、安芸は尻すぼみになる。

 しかし抑えられない衝動は、温度を含んで安芸の表情を濡らしていく。


「いやだよ、私たちずっと一緒がいい」

「それはきっと、無理なんだよ。フミ」

「無理じゃない!」


 自分の想いの強さを示すように、井伊の両手の中で安芸は震える手を強く握る。

 表情を見せないように俯く安芸を、痛ましそう井伊は見つめる。


「同好会を離れたからって、疎遠になるわけじゃないよ。同じクラスなんだし」

「でもカタチがないとやっぱりまだ私は不安だよ!」


 甲高いその声は、俺の胸に突き刺さる。

 突き刺さった体のどこかから血が噴き出すように、身体中を熱が走り出す。

 嫌な熱さだった。

 結局俺は、また失敗したのか。そう思考がよぎると、俺はほぼ床を睨んでいた。


「大丈夫。離れても私たちは変わらない」

 けれどその疑念に井伊はきっぱりとそう告げた。

 優しく笑って、井伊は壊してしまわないよう、丁寧に安芸の顔を上げさせた。


「そのための『栞』でしょ」


 安芸と井伊は見つめ合う。


 肩で息をしていた安芸は呼吸すら忘れて井伊の瞳を覗き込む。その奥に潜むものがなんなのか、俺にはわからない。

 一瞬の時が永遠に感じられるほどの緊張感。その後に井伊は囁いた。


「もう大丈夫だね、フミ」

 瞬間、堰を切ったように安芸は声を荒げ井伊に顔を埋める。


「静のバカああぁぁ!!」


 小さな体全部で呼吸をしているかのように激しく上下する安芸の体を両手で優しく包み、背中を摩りながら井伊は告げる。


「花もありがとね」

「何が」

「気づいてたでしょ、私が抜けようとしてるの」

「さぁ」


 そう言って二人は小さく笑いあう。


「花は一番私たちのこと好きだからね」

「関係ねーよ。それに、お前が飽きっぽいのは知ってるし」

「乙女の命は短いからね」

「何言ってんだが」


 井伊は天井を見上げ、震える安芸の頭を撫で続ける。


「私もさ、ずっとみんなのこと大好きだよ」


 その声は、耳の奥まで届いて、優しい熱となって溶けていった。

 俺は今になって、理解した気がした。

 これは、川霧の問いに対してだった。


 なんで俺がこいつらに拘るのか。

 それは、助けて欲しかったんだ。


 俺たちと文芸部はどこか似ていた。カタチがなくなったり、不揃いに前に進んでバラバラになったり。そういうものが、俺たちは一緒だった。

 だからこそ、裏生徒会の在り方もしくは終わり方で悩んでた俺は、この問題のピリオドを誰かに打って欲しかったんだ。俺でも、朝日でも川霧でも、茉白でもない、他の他人に。

 俺は相手を考える時に自分を基準に考える癖がある。

 だからきっと、俺がこいつらに何もできないと分かっていても近くにいたいと思ったわけは、もし俺がこいつらの最後に決定的な何かをできれば俺たちにも、そんな存在の他人がやってきて、簡単に、あっけなく、名残なく、終わりを迎えられるかもしれない。そう信じたかったからなんだ。

 

 突発的な思い込みのまま、俺は目の前をもう一度見る。

 

 で、結果はどうだった。

 俺がこいつらにやれたことは何かあったか。

 答えはノーだ。

 

 だからこそ、そういうことなのだ。

 俺の体に熱が走る。嫌でもなければ、良いものでもない。初めての感覚だった。


 俺は決意と共に踵を返す。


「和樹」


 呼び止められて俺は振り返る。

 俺を呼んだ井伊は安芸の頭を抱きながら視線だけを俺に向けていた。


「居場所を守る。だっけ?」

「え?」

「ほら、今回の話を最初に持ってきた時の理由」


 確かにそれは俺が最初に井伊に言い寄るために使った口実だった。俺は無言で首肯する。


「あれ、全くの出鱈目でもないと思う。絶対に」


 驚きにも、困惑にも似た何かが俺の中で湧き上がる。

 井伊はやはり大人びた風に、だからさと続ける。


「居場所って要はカタチにつく名前だと思うんだ。私たちはさ『文芸部』って場所は無くしたかもしれない。でもバラバラになって居場所を失ったわけではないじゃん」


 井伊は優しい瞳で俺を見る。


「人とが繋がる引力みたいなのに名前がつくんだよ。友情・愛情・温情・同情。それにどんな名前がつくのかはわかんないけどさ。私たちだって、仲良しだけどその過程では喧嘩して疎ましく思ったり、嫌いあったり、嘘をついて裏切ったりもした。でも、私たちを繋いでるのは友情。私はそう言い切れる」


 思い出すのは昨日の夜の、月に照らされた井伊の笑顔。

 井伊は静かに俺の恐怖を見抜くように微笑んだ。


「カタチは、きっと振り返ってわかるんだよ」


 俺はいつからか呼吸を忘れていた。

 井伊の言葉の耳の奥での残響が絶えると、俺は丁寧に一つ息を吸い込んだ。


 喉が強張って上手く声は出なかった。

「行ってくる」


「行ってらっしゃい、少年」


 井伊は目尻を輝かせながら歯に噛んだ。

 それを目に焼き付けると、俺は教室からかけだした。


 何回も傷つけて何回も間違えて、そして

 何回も眩しさに当てられた文芸部。


 俺はまだ振り返らず、ただひたすらに前を見つめ続けた。

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