第102話 言葉にしても伝わらない

 次の日の放課後、俺は急ぐようにして教室を出た。

 去年度が終わる頃から、俺は息苦しさを覚えていた。

 しかし、昨日の茉白の依頼を受けてからというもの、俺はその息苦しさはどこへやら。身軽になった気すらする。

 

 ようやく着いた目的地を前に、俺は深呼吸をする。コンコンと扉をノック。

 答えを待たずして俺は中に入ると、やはりもう既に中で誰かを待つようにして座っているその人に俺は言う。


「朝日凪、彼女の応援演説をすることになりました。なので生徒会立候補の話はなかったことにしてください、会長」


 俺の言葉を最後まで表情ひとつ変えず、意味ありげな笑みを絶やさなかった会長は言う。

 それまでの吐息すら耳に届くほど、変な緊張感を持って。


「それが、君の判断なんだね。色見くん」

「はい。せっかくのお話でしたが、すいません。ただやっぱり自分に会長の座は重いです」

「そうかそうか。・・・らしくないね、まぁいいよ」


 俺が正確に聞き取れるか怪しい声量で何かを呟くと会長は一枚の紙を俺に差し出す。

 そこには生徒会長立候補・朝日凪と。そして右下の応援演説の欄はやはり空白のままだった。


「彼女はまだ決まってないと言ってたんだが、まさか君の方から出てくるとはね」


 何か探るような・・・と言っても、この人はきっと俺の身に何が起こっているのかある程度推測できているのだろうし、それはきっとかなりの精度で事実と一致するだろう。

 なので俺は会長の話を適当に流しながら名前を記入していく。


「まぁ、俺が回答を保留していたので。・・・でも、まぁ、やってみてもいいかなと

思いまして」


 シャッ、力強く最期の止めを行い、自分の名前を書き終えるとその紙を会長へと渡す。


「・・・うん。確かに受け取った。これで正式に君は朝日凪さんの応援演説者だ、頑張ってくれよ?僕は本当に君に期待してたんだから」


 ハハッ、と笑うと会長はその紙を手元に移動させると俺の方を向き直す。


「さ、もう行っていいよ。川霧さんは強いだろうしね、心してかかるんだぞ?」

「はい、わかってますよ。ここ最近はずっと近くで見てましたから、あいつの凄さは。それじゃ、失礼します」


 俺は会長にお辞儀をすると廊下へと出た。やることはもう、決まったんだ。


–––––––––––––––––––––

 色見和樹が退室し、扉が閉まると、現会長である二宮航はふぅと姿勢を崩した。


 (先輩に続いて、色見くんにもフラれちゃったなぁ)


 二宮は忘れようとしていた失恋の記憶を呼び起こしてしまい、頭を振って思考を今に戻す。

 センチメンタルになっているのは、ついさっき一人の少年のせいだ。

 二宮は一人でつぶやいた。その声は後悔で満ちていた。


「僕は、反対すべきだったのかな」


 手には、色見から受け取ったばかりの紙が。


「選挙が終わると、きっと君はボロボロになる。それをわかって止めなかった僕なん

かより、やっぱり君が会長であるべきだよ、色見くん」


 彼は校庭に見える青々しい風景に目を細めては唇を噛んだ。

 ––––––––––––––

 生徒会室を出た俺は、自教室へと向かっていた。

 朝日に会って応援演説の件を伝えるためである。元々保留にしていたくせに、さらには俺が勝手に書類に記入までしたのだ。流石に自分勝手がすぎた。

 

 俺が教室に戻る頃には、部活動や帰宅でほとんどの生徒は残っておらず閑散としていた。

 そんな教室の奥の席に、彼女はいた。


 朝日に応援演説の話を伝えると、朝日は「一緒に頑張りましょう!」と俺の手を取ってはしゃぎ立てた。

 そうと決まればということで、今の俺は朝日と机を挟んで向かい合い、公約を書く紙を睨んでいた。


「なんかいい案あります?」


 早速俺頼りですか・・・


「定期考査廃止、早帰りできる日を作るとかどうだ。あと体育で好きに二人組作れとかいう時代錯誤な晒し上げの廃絶は?ほら、いっぱいあるぞ」

「テストのは採用。それ以外は却下です」


 意気揚々と校内順位最下層な朝日は俺の戯言を書き込んでいく。

 あれだよね?とりあえず手を動かして、案をたくさん出すって寸法だよね?

 流石にこれは無理だと思うよ、言い出しっぺだけども。

 そんな風に、悩んでいると最初こそあれやこれやと質を問わなければ案は出るのだが、やがてその勢いは尻すぼみになり、俺たちの元気は無くなっていった。


 すると、廊下の方から声がした。


「・・・あら、一瞬生気がなさ過ぎて朝日さんの背後霊が見えてるのかと思ったわ」


 教室の入り口に立つ川霧は、俺そして朝日の順に視線を送ると意地悪そうに笑った。


「るせーよ。あとそれお前が思ってる以上に威力高いから乱用すんなよ」


 その仕草はいつも通りの川霧であり、彼女は特に何かを追求するわけでもなくただ世間話をしにきたようだった。

 けれど、そのわかりやすすぎる川霧の気遣いに、朝日は一瞬乗るべきか悩んだ末に、食い気味に


「あ、あのね凜ちゃん。私、和樹くんに協力してもらえることになったの」と、切羽詰まった風に言った。

 そんな朝日を前にしてもなお、川霧はいたって平静に「そう。だから?」と短く返す。


 朝日は悲しげに顔を伏せると苦しそうに「何でもない。ただ、言っておかないとズルな気がしたからさ、それだけ」と呟いては川霧の涼しげな視線から逃れるよう、顔を伏せた。

 俺は変わらず朝日の後ろから川霧を見つめ続けていた。


 もちろん、俺にだけ向けられた川霧からのシグナルが送られたりだとか、俺にしかわからない感情の示唆なんかがあるわけでもなく、ただ一方的に、淡々と見つめる。


 すると、何かを言いかけては思いを押し留めるように黙る川霧の様子に気づく。この所作に、朝日は気づけていないようだった。

 やがて、そんな葛藤を感じさせない声色で川霧は言う。


「これで私とあなたは正式にライバル、敵というわけね。まぁせいぜい副会長目指して頑張りなさい。・・・その程度で、十分だから」

「やるからには、会長しかないよ。そうじゃないと追いつけないもん、凜ちゃんに」

 朝日はそう言うと力強く笑う。


 挑発をされてなおも揺るがない朝日凪の心根に触れ、川霧もつられるように純粋に笑う。まるで昔を思い出すような笑みの後に、ようやく川霧は俺の視線を受け止めた。


「・・・和樹くん、私の欲しいものはわかるわよね?」


 その言葉で思い出されるのは、俺と川霧が静かに、けれど確かに食い違ったあの日の帰り道のこと。

 川霧も朝日も俺とは違って、もう前を向いているのだと痛感した時のことを思い出し、俺の口の中に苦みが広がる。


「会長の座だろ、中等部のころから変わらずにな」


 どこか否定されることを願っている自分に気味悪さを感じ、自嘲気味に俺は笑う。

 そんな俺とは違って、川霧は冷静に、それこそ初めて会った頃の冷徹さをもって俺を見つめる。いや、睨んでいるのかもしれない。


 人の熱すら感じさせないかと思われたその視線は程なくして哀れみを帯び、川霧は小さく笑って


「これじゃあ、正反対ね」


 それだけ言うと川霧は廊下へと踵を返し、歩き出す。


 朝日はすかさず「ば、ばいばい!」と手を大きく振る。すると川霧は朝日を振り返り、微笑んで小さく手を振った。

 

 俺は何か、大事なものをまた見落としたのかもしれない。けれどそれが何なのか、彼女の背中が教えてくれることはなかった。

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