第3話 黒髪の少女
前回の任務から三日後。
ラッツは組織を去るための準備を進めていた。
まず副隊長に部隊の引継ぎを行い、各部署に挨拶回りをし、施設内にある僅かな私物をまとめていく。
そして最後に、彼は組織の司令部であるオメガ部隊の長、ガレス長官のいる部屋へと向かった。
「……貴様の最後の任務は、ウィンターフェル家のデイモン大佐を消すことだ」
カイゼル髭の似合う六十代の男は、執務机の上にある書類から視線を移すことなく、淡々とした口調でラッツに命令を下した。
二十年も忠実に従い続けてきた者に対する、
だがそれはそれも慣れっこだ。彼との付き合いは長い。
そもそも孤児院に居た自分をこの組織に誘ってきたのが、このガレスという男だった。勧誘された理由は分からないが、使い捨てにするには丁度いい存在だったのだろう。
「ウィンターフェル家といえば、軍部の大物じゃないですか。国の上層部にとって、なにか不都合でも?」
「……それをお前が知る必要はない」
「そうですかい。まぁ、俺はいつも通り言われたことをやるだけですがね」
書類越しにギロリと睨まれ、ラッツは肩をすくめた。
余計なことはしない。言わないし、聞かない。それがこの組織での掟だ。
「あぁ、ラッツ」
「……なんですかい」
「今回は部隊での行動ではない。貴様が単独で任務をこなせ」
それだけ言うと、ガレスは再び手元の書類へと視線を落とした。これ以上の会話はする必要がない、ということだろう。
ラッツは背を向け、退室しようと扉へ向かう。ドアノブに手を掛けた瞬間、これで彼と会うのも最後だ――そう思った。だがやはりというべきか、名残惜しさは無かった。
任務自体は前回に比べると、かなり
ウィンターフェルが住む屋敷は、王都の富裕層が住む地区にあった。
辺りは警備兵たちで厳重に守られており、正門から侵入するのは困難を極める。そのため裏口からの潜入を試みることにしたのだが――これが思いのほか上手くいったのだ。
「随分と多くの使用人を雇っているようだな。だが俺にとっちゃ都合が良い」
ソウルドライヴを使った武装には、偽装を可能にするアイテムもある。主に諜報を担当するカッパー部隊が得意とする技術なのだが、様々な武装を扱うラッツが使えないはずもなく。
数いる使用人の一人になりすまし、戦闘を避けつつ目的の人物が居るであろう部屋へと向かう。
「さて、ターゲットは……アイツか」
ラッツはドアの隙間から中を覗き見る。
どうやらここは寝室のようで、ベッドの上で裸の女に腰を振る巨漢の男がいた。
デカいといっても、その体は筋肉質で鍛え上げられている。ラッツと同じ程度の
事前にベータ部隊から得た外見の情報とも合致する。間違いないだろう。まだ夕飯時だというのに、随分とお盛んである。
内心で「良い御身分だな」と少し羨みつつも、ラッツは懐から小さな筒を取り出す。その中身を、そっとベッドの下に転がした。
それは特殊な液体が入ったスモーク発生装置であり、たちまち白い煙が立ち込めた。
「――ごほっ!? な、なんだこれは……!」
男は突如発生した煙を見ると、激しく咳き込む女を押し退け、ベッドから飛び降りた。そして辺りを見回し、壁に飾ってあった剣に手を伸ばす。
ひと息で昏倒するほどの煙だったのだが……腐っても軍人というべきか。どうやら完全には効かなかったようだ。
だが、もう遅い。既に勝負は決しているのだ。
「……ぐはっ!?」
男の背後から突然、血しぶきが上がった。彼の腹部からは、一本の剣が生えている。ソウルドライヴ製の緑色に輝く刃は、肉や骨を容易く貫いた。
首だけで後ろを振り返った男は、背後に立つ人物を見て目を見開いた。
「お、お前は――」
「悪いな」
ラッツは剣を引き抜くと同時に、そのまま男を蹴り飛ばした。床を転がっていった彼は、何度か口をパクパクと動かしていたが……それもすぐに止んだ。
ターゲットに抱かれていた女は煙で最初の時点で意識を失っており、ラッツの姿は見られていない。このまま放っておいても大丈夫だろう。
「はぁ、これで俺のクソみたいな兵士人生も終わりか。――いや待て」
廊下から何者かの気配を感じ取った。だがそれはプロの警備兵のものではなく、明らかに素人の動きであった。
「使用人に見られたのか? よしてくれよ、まったく……」
ラッツはその人物を迎え撃つべく、身構えた。
「おいおい、マジかよ」
ドアの隙間から現れたのは、一人の少女だった。
年の頃は十代後半だろうか? レースのついた、黒のスリープウェアを着ている。上等な身なりをしていることからも、メイドじゃない。ターゲットの関係者だと分かる。珍しい黒髪をしていているため、この国の人間には見えないが……。
少女は怯えた表情でこちらを見ていたが、やがて覚悟を決めたのか、こちらへと歩き出した。
「お前さんの名前は?」
なるべく怯えさせないように
「私は、ミカ・ウィンターフェル。そこで血達磨になっている男の娘よ」
「……髪の色が違うが。母親の遺伝か?」
「お母様のことは知らないわ。それよりも……ねぇ。貴方は私のことも、その緑の剣で殺すの?」
ミカと名乗った少女はラッツにそう訊ね返し、彼は言いよどんだ。
「目撃者は消すのが組織の
「そう……」
少女の表情からはもう、恐怖の色が消えていた。ラッツの目から見れば、むしろ安堵しているようにさえ見えた。
「なぁお前、どうしてそこまで落ち着いていられるんだ? これから死ぬんだぞ?」
「……そうね。でも、仕方ないわ。お父様は悪人だったし、いつか正義の味方が殺しに来ると思っていたもの。むしろ殺してくれて、清々しているぐらいだわ」
開き直りとも、強がりとも違う。少女はどこか凛とした雰囲気を漂わせている。ラッツにはそれがどこか不思議だった。
「でも、夢を叶えられなかったのは残念かも」
「……夢?」
思わず聞き返すと、彼女は寂しそうに笑ってこう答えた。
「私ね、教師になりたかったの。大好きだったお兄様が孤児院の教師でね。優しくて、それでいて芯が強くて……ずっと憧れていたのよ。でもそれは叶わないみたいね……」
「……そうか」
そこで会話が途切れる。余計なやり取りで時間を潰してしまった。任務を終えた以上、ここに長居することはリスクでしかない。
彼女の父を殺めた剣の刃を、ミカの首元に当てる。だがそのとき、彼女の黒髪を見て、ふと懐かしい女の面影が彼の脳裏をよぎった。
「……やめておく」
「えっ?」
「俺は女子供を殺さない主義なんだ。だからどうか、組織に見つからない場所へ身を隠してくれ」
握っていた緑色に燐光するナイフを彼女の首元から外し、
少女はポカンと口を開けたまま、
「終わったぜ、ブライアン。早く解毒薬をくれ」
合流ポイントへと向かったラッツは連絡役である旧友、ブライアンに声をかけた。
今まで幾度となく繰り返したやり取りだが、それも今回で終わり。
だが彼の口から返ってきたのは、予想外のセリフだった。
「すまない、解毒薬はないんだ」
「どういうことだ? いくら最後だからって、笑えねぇ冗談はよせよ。解毒剤が無いとどうなるかなんて、お前だって知っているはずだろうが!」
動揺したラッツは思わず声を荒げてしまう。するとブライアンは静かにこう言った。
「組織はお前を生かしたまま、除隊させるつもりはないらしい。……そして俺も毒を盛られた」
彼はそれだけ言うと、そのまま口から大量の血液を吐き出し、膝から崩れ落ちた。
「おい、ブライアン! しっかりしろ!」
慌てて抱き起こそうとするが、すでに彼は事切れていた。
「くそっ、一体どうなっているんだ……!?」
混乱しながらも周囲を見渡すが、状況を教えてくれる者はいない。
それどころか、あの男を殺したことに警備兵が気付いたのか、誰かがこちらへと駆け寄る気配まで感じられた。
このままここに居てはまずい。
「クソッ、『ソウルカクテル』が効いてきやがった」
力なく膝をつき、倒れた。
そしてそのまま、ラッツの意識は闇の中へ深く落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます