33日目「白馬は馬に非ずの論理」

Aという人が、国から国の移動の際、遠路であるので、白馬に乗っていた。関所を通ろうとした時、門にいる役人が「馬には通行税がかかっている。もし関所を通りたいのならば、税を払うことだ。」と言った。そこで、Aは次のような詭弁を言い連ねた。「白馬は馬ではない。」しかし、役人は「何を言っている。白馬は馬で、お前は通行料を払わなければならない」と言い返し、一歩も引かない。Aは結局通行税を支払うことになってしまった。


これが、兒説の唱えた「白馬は馬に非ず」のエピソードだ。今回はこの論理について書こうと思う。


この話は、化学の元素と単体の話にとても似ている。似ているところというのは、同一の名前が、大きな区分と小さな区分に使われていることある。酸素と聞いただけでは、元素の酸素か、元素の酸素の単体かはわからない。


それと同じように、馬と聞いただけでは、馬という区分全体を指すのか、馬という存在のことを指すのかはわからない。

例えば、ここに馬がいる、という文での馬はもちろん馬という存在を指しているが、馬にはさまざまな種類がある、という文では、馬という区分を指している。


もう一度この視点で兒説の論を見てみよう。


白馬というものが白い馬の存在を指しており、馬は区分を指しているのだとすれば、集合の元は集合それ自身でないように、白馬というのは馬ではない。


つまり、馬は集合であり、白馬というのはそれの要素に過ぎないということだ。







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