真面目系眼鏡女子は、軽薄騎士の求愛から逃げ出したい。

たまこ

第1話

 


 神様。どうしてこんな試練を与えるのですか。



 神様。品行方正、謹厳実直に生きてきたのに。



 神様。どうして、目が覚めたら大嫌いな男が隣で眠っているのですか?






◇◇◇






 アンダーソン子爵家の長女カレンが目覚めると、知らない部屋のベッドの中にいた。一応、服は身につけているようだ。隣にはよく知っている大嫌いな男、ウィルソン伯爵家の次男ウィリアムがすやすやと幸せそうに眠っている。




(まつ毛、長いなぁ。)




 人はパニックになり過ぎると、逆に冷静になるらしい。カレンはキョロキョロと眼鏡を探すと、サイドテーブルに丁寧に折り畳まれている。手を伸ばし、眼鏡を掛けてから、ウィリアムをじっくり観察した。



 幼い頃から腐れ縁で、会いたくないのに何故だかしょっちゅう会う、この男は、それはそれは美しい容姿で、社交界で流れた浮名は数知れず。



 どの令嬢と付き合っている、とか、どの未亡人と一夜を共にした、とかカレンは耳にタコが出来そうなほど聞かされた。



 カレンは王宮職員として資料課に勤めており、ウィリアムは近衛騎士として王太子に付いている。王宮内では、美しすぎる近衛騎士、ウィリアムは噂の的だ。




 カレンは小さく息を吐き、昨夜の記憶を辿る。昨日は仕事が終わり帰る途中に、いつものように、ばったりウィリアムに会った。




「明日、休みでしょ。付き合ってよ。」




「いえ。早く帰りたいので。」




 軽薄に誘うウィリアムを、カレンはつっけんどんに突き放し、早歩きで足を進めるが、ウィリアムは後ろを着いてくる。



「ああ。カレン、お酒弱いからなぁ。俺より飲めないもんな。」



 憎たらしくニヤニヤと笑うウィリアムに、思わずカッとなり、居酒屋に駆け込み、競うように呑んだ所までは覚えている。その後は………。




「いたた………。」




 重たくズキズキと痛む頭が、二日酔いを物語っている。明らかに飲み過ぎだ。自分の頭を摩っていると、隣の美しい男はもぞもぞと動き始め、そして。



「カレン、おはよう。昨日は可愛かったね。」



 寝ぼけ眼でも美しすぎる顔が至近距離に来たかと思ったら、ウィリアムはカレンの額に勝手に口づけを落とす。



「………………!!!!」



 カレンが声にならない叫びを上げるのを、ウィリアムは嬉しそうにニコニコと笑いながら見つめている。








 神様………本当に、私、この男と一夜を共にしてしまったのでしょうか。






◇◇◇





シーツの中で抱き締められ、初めは身体を固くしていたカレンは、時間が経つうちにどこか他人事のように冷静になっていた。



 初めてそういう行為をした時は、身体の痛みがあると聞く。しかし、今のカレンは二日酔い以外は、特に不調は感じない。



 そして冷静になると別の問題に気付く。カレンは、徐々に血の気が引いてくるのを感じた。




「カレン?どうしたの?」




 カレンの顔色の変化に気が付いたウィリアムが心配そうに尋ねた。




「お、お父様とお母様、きっと心配しているわ。」




 辺りを見渡せば、ウィリアムの私物が多くあるので、恐らくここはウィリアムが一人暮らしをしている部屋だろう。そして、窓の外はすっかり明るくなっている。



 カレンは実家暮らしだ。そして、この国では女性は婚姻時、純潔でなければならないと言うしきたりが根強く残っている。



 カレンもウィリアムも、もう二十七歳。最近ではカレンの両親は、カレンの婚約者探しに奔走している。そんな中、カレンが一晩帰らなかったとなれば、両親はどれほど心配していることか。



 それに加えて、このフラフラした男と一夜を共にしたと分かれば、婚約者探しに大きなダメージを与える。





「ああ。大丈夫だよ。連絡しておいたから。」




 ウィリアムは、顔を青くしているカレンへにっこり笑ってウインクを贈る。このウインクにどれ程の令嬢達が騙されたのかと、カレンは腹立たしくなる。




「れ、連絡って……?」





「お嬢さんはこちらに泊まるので心配しないでください、って。」




「…………!!!!」




 カレンは本日二度目の声にならない叫びを上げた。





◇◇◇





 早く家に帰ろうと、慌てて身嗜みを整え、出発しようとすると、何故だかウィリアムが着いてきた。玄関を出て、人通りの少ない路地を進むが、一向に離れる気配が無い。





「なんで着いてくるのよ!」




「カレンのご両親にご挨拶しようと思って。」




「はぁ?!」




「昨日の事、ちゃんと責任取るよ。結婚したいってお願いしに行くんだ。」




 どこかにピクニックにでも行くかのように楽しそうにウィリアムは言った。




「貴方、何を言って…………。」




「俺と結婚する方が色々ダメージは少ないと思うけどなぁ。カレン?」




「うっ…………!」




 悔しさの余り唇を噛むカレンの手を、ウィリアムは愉快そうに取った。






◇◇◇





 ウィリアムと辻馬車に乗ったカレンは、悶々としていた。




 ウィリアムの言う事は当たっている。純潔を良しとする風習でも、婚約者相手の性交渉であればそれほど悪くは言われない。



 逆に、ウィリアムとこんなことになってしまった後に、他の婚約者を見つけるのは困難を極める。


 カレンは、昨夜の事を殆ど覚えていないが、二人で遅くまで彷徨いていた事を誰に見られているか分からない。万が一、昨夜の事をバレずに誰かと婚約を結べたとしても、真面目なカレンは隠し通して一生を過ごす事は嫌だった。



 そして、少なくともカレンの両親は昨夜の外泊の事を知っている。娘と同様に、真面目が取り柄な両親だ。婚約どころか付き合ってもいない相手と娘が外泊したなんて知ったら、卒倒するだろう。カレンは、両親への適切な言い訳が思い浮かばない。




 だから、ウィリアムの提案は、カレンにとって本当は魅力的なものだ。近衛騎士で王太子付き、爵位も伯爵家であるウィリアムは、かなりの優良物件だ。しかし。




(こんなチャラチャラした男と結婚なんてイヤ!!)




 そんな数々のメリットを覆すデメリットがこの男にはある、そんな思いを込めて、カレンは幸せそうに隣に座る男を睨みつけた。





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