謎のプリント4

「ただいま茜さん」


 カランカランと鳴る、扉に備え付けられている鐘を鳴らして、俺と葵木はとある喫茶店を訪れていた。

 訪れていたが当て嵌まるのは葵木にとってであって、俺からしてみれば帰宅したに過ぎないのだが。


「ああ真悟まさとか、おかえり」


 返事を返してきた人物は、知らない人が見たら到底店主とは思えない体制で俺と客である葵木を出迎た。


 カウンター席に突っ伏して、こちらを見ることもない、ダラシのない体たらく。藤野茜。俺の叔母に当たる人物だ。


「また二日酔い?もう若くないんだから、程々にしないとダメだよ。それに、お客さん連れてきたんだけど」


「あー、そう。真悟が相手しといてー」


 茜は取り付く島もなしといった感じで、顔を上げることすらしないが、お客というのは、この店にやってきたお客ではなく、茜に用があって連れてきた人物なので俺では相手をしてあげる事は叶わない。


「茜さんへの来客なんですけど」


「あたしに……?」


 ゾンビのような血色の顔をこちらへ向ける茜。

 背後からヒッと小さな声がしたような気がしたが気が付かないふりをして葵木を紹介することにする。


「これ茜さん。一応ここのオーナーね。暗号文とか解くの得意なんだ」


「親代わりをこれとはなんだ。これとは」


 軽くペチンと頭を叩かれたが気にせずに続ける。


「こっちは葵木。西高のクラスメイトで俺の一つ前の席なんだ」


「よ、宜しくお願いします。植物の葵に木と書いて葵木です」


 緊張の面持ちで葵木は頭を下げるが、茜はそれを軽くいなすようによろーと手をヒラヒラと振るだけだった。


「で、その葵木君があたしになんの用だって?」


 話が早くて助かる。茜の良い所であって悪い所でも有るのだが。サバサバしていると言えば聞こえはいいかも知らない。知らない人からしてみればとっつきにくさを覚えるはずだ。


 その例に漏れず、茜を前にして、さっきまで息巻いていたのが嘘だったかのように、葵木も完全に沈黙していた。


 俺は背負っていたリュックを椅子に置くと、中から一枚プリントを取り出した。

 そして、その紙を茜の正面のカウンターに置いた。


 プリントをぼんやりと眺めた茜はフムフムとわかっているのかわかっていないのかよくわからない声を上げる。


「あー、懐かしいねこれ」



「懐かしい……ですか?」


 同じ疑問を俺も持ったが、先にツッコミを入れたのは葵木だった。


「これって、昔、姉さんが西高に通ってた頃作ったやつだよ。まだ続いてたんだ」


 深い記憶を呼び覚ますように、茜は頬をほころばせながらそう言った。


「……それって母さんの……?」


 茜は黙って頷く。


 その瞬間、俺の中でこの件に関しての見かたが変わった。


 つい先程までは、この話は茜に看破されて簡単に終われば良いと思っていた。


 その暗号に意味があろうがなかろうが、はたまた愉快犯のイタズラであったとしても、俺にとってはどうでも良い物のはずだった。


「……と、言う事はそのデタラメな文章に意味があるって事だよね?」


「あるよ。分からなかった?」


 茜は得意げにそう言ったあと、カウンターに無造作に置かれていたカップを煽る。


「あたしもすぐには解けなかったけどねー。閃けば一瞬だよ。姉さんに普段から鍛えられてたし」



「でしたら茜さんはもう答えがわかってらっしゃるんですよね?教えて頂けませんか?」


 食い気味に葵木が詰め寄るが、俺がそれを制してから言った。


「俺が解く。ちょっとだけ時間をくれないか?」


「えっ、さっきまで乗り気じゃ無かったじゃないか?」


 すぐにでも答えを知りたいのか、葵木は不満を口にする。


「そんなに気になるなら葵木だけが茜さんに聞けば良い。俺は聞かない。自分で解く」


 葵木は戸惑いからか、茜と俺との間を何度か視線を往復させてから困ったように言った。


「……阿部君がそこまで言うのなら任せても良いけど、本当に解けるのかい?僕は一日考えてもわからなかったけど」


 解けるか解けないかじゃない。俺は解く。絶対に。

 決意を込めて頷き、テーブル席に滑り込んだ。

 その向かい側に葵木も座る。


「おー、いいねーめずらしくやる気だ。コーヒー入れたげるよ」


 茜はからかうようにニヘラ顔でそう言った。


「じゃあ砂糖たっぷりのカフェオレで」


 難しい事を考える時は、脳が糖分を欲する。その先回りとして糖分を過剰摂取しておこう。

 考える時間によっては、もう一杯欲しくなるかもしれない。


「了解しましたー。葵木君は?」


「じゃあ、僕もおなじのでお願いします」


「オッケー、ちょっと時間かかるから待っててね」


「はい」


 茜がカウンターの中に引っ込んで行き、葵木と俺だけがテーブルに残されたが、暗号を解読しようとしている俺達の間に会話はない。


 この店の元々のオーナー。じいちゃんの好きだったジャズミュージックが店内に静かに流れていた。

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