第65話 3人の時間
side北条粋
彼らに仕事を任せて庶務係のみんなは1度体育館を出ました。聖夜くんは彼らを前にして、武蔵くんの影に隠れたまま出てきませんでした。本人は平気を装って笑っていますが、手が震えているのが見て取れます。
「これからは体育館の中でプラネタリウムをお客さんとして見ても良いし、中庭に行っても良いし、あとは校舎の中で買い食いしても良いからね」
レオの言葉に全員が頷きました。そしてレオとリオさんと秋兎くんは体育館に戻っていきました。蛍と昴は体育館から離れて校舎の方に向かっていきました。残された僕たちは、これからどうしようかと考えるより先にやるべきことがあります。
「聖夜くん。怖い思いをさせてごめんなさい」
「粋先輩……」
聖夜くんは目線を彷徨わせると、ぎこちなく笑いました。
「大丈夫ですよ、怖くないです」
大丈夫なはずがありません。今だって顔が少し青くなっています。僕が聖夜くんの手を取って握りしめると、聖夜くんは目を見開きました。そしてジッとその手を見つめながらふわりと微笑みました。
それを見たからでしょうか、武蔵くんは対抗するように聖夜くんを後ろから抱きしめました。聖夜くんは驚いたように肩を跳ねさせましたが、自身を抱きしめている手に触れると照れ臭そうにはにかみました。
負けたくはありませんね。僕は周りを確認してから正面から聖夜くんを武蔵くんごと抱きしめました。
「あったかい……」
聖夜くんはそう呟くと、1本の腕を僕に回してくれました。これは本当に温かいです。身体だけじゃなくて、心まで温かくなります。
「粋先輩、武蔵くん。もう、大丈夫ですよ」
「もう少しだけ、こうしてようぜ」
「ふふっ、僕も賛成です」
「え、えぇ……」
聖夜くんは戸惑っているようですが、もう少しだけこうしていたいです。この温かさは自分の居場所がここにあると教えてくれているようで、ホッとします。
最初は聖夜くんのためでしたが、今は僕のためですね。僕は聖夜くんを守りたいと思うことで自分の存在意義が確かめられる。それくらい聖夜くんの存在は僕にとって大きなものです。
「粋先輩、武蔵くん。ありがとうございます」
聖夜くんは小さく呟くと、僕の胸に擦り寄ってきました。猫のような行動に思わず顔が熱くなります。目の前でニヤニヤ笑っている武蔵くんを睨むと、武蔵くんはベッと舌を出しました。どうしたのかと思っていると、聖夜くんを自分の方に引き寄せていってしまいました。
「わっ」
「聖夜、俺にも甘えろ」
「ふふっ、武蔵くんにもいつも甘えていますよ」
聖夜くんは武蔵くんの腕をポンポンと叩きながら武蔵くんを見上げました。その優しい表情は安らかで、僕も少しだけ嫉妬してしまいますね。
「武蔵くん、ずるいですよ」
「会長はもう堪能しただろ」
武蔵くんは聖夜くんを腕の中に閉じ込めたまま返してくれそうにありません。まあ、そもそも返す返さないではなく、聖夜くんは2人の恋人なのですが。
「聖夜くん、これからも僕と武蔵くんの傍にいてくださいね」
「粋先輩?」
聖夜くんは不思議そうな顔をしましたが、すぐに頷いてくれました。
「もちろんです。というより、ボクの方こそ、よろしくお願いします」
聖夜くんはまたふわりと微笑んでくれました。この笑顔を誰よりも近くで見ていたいものですね。
なんて思っていたら、聖夜くんは急にもじもじし始めました。そして静かに武蔵くんの腕から逃れようと藻掻き始めました。
「どうした?」
「えっと、お手洗いに行きたい」
「ああ、行ってこい」
「ありがとう」
武蔵くんがパッと聖夜くんを開放すると、聖夜くんは慌てた様子でお手洗いの方に走って行きました。タタッと走っていく後ろ姿を見送っていると、ポンッと肩に手が置かれました。振り返らなくても手の大きさと温かさで武蔵くんだと分かります。
「ありがとうな」
「こちらこそですよ」
武蔵くんを見上げると、武蔵くんは片方の口の端を持ち上げていました。けれどその目はどこか不安げで、年下らしいその顔に庇護欲が掻き立てられますね。武蔵くんは思っているより可愛らしいところがあるんですよね。
「聖夜、本当に大丈夫かな」
「大丈夫ですよ。僕が必ず守りますから」
「それは俺もっす」
武蔵くんは頼もしいですね。不安そうな目はどこへやら。聖夜くんを守ると言い切るその目はいつでも真っ直ぐで、嘘がありません。
「で? あの人たちに何て言って仕事代わってもらったの?」
「ふふっ、聞きたいですか?」
僕が武蔵くんの真似をして片方の口の端を持ち上げながら笑いかけると、武蔵くんはわざとらしく身震いしてニヤニヤと笑いました。楽しそうで何よりですよ。
べつに彼らに大したことはしていません。ただまあ、綺麗なお辞儀で謝ってくれたから、行動で示してもらえれば良いとお伝えしただけですから。彼らは化け物でも見たような顔でブルブルと震えていらしたようですけど、きっと気のせいでしたよね。
「まあ、いいや。会長がすげぇってことは分かってるし、本当に味方で良かったと思うよ」
「ふふっ、ありがとうございます。僕も武蔵くんが味方で良かったですよ」
「そりゃ良かった」
武蔵くんはニヒッと笑うとフイッと顔を背けてしまいました。きっと照れているのでしょう。本当に、ずるいくらい魅力的な人です。
「そうだ。この後どうします?」
「中庭のイルミネーションや体育館のプラネタリウムを2人と見たいとは思っていましたが、人目があることを考えると難しいでしょうか」
「それは……そうっすね」
武蔵くんは顔を顰めた。1番他の人に見られることを恐れているのは武蔵くんです。こんなことを言えば困らせてしまうと分かっていたのに、僕は本当に考えなしなところがあります。
「聖夜くんにも聞いてみましょうか」
「……そうっすね」
僕にはそう言うことしかできません。不甲斐無く思っていると、聖夜くんが可愛らしいハンカチで手を拭きながらお手洗いから出てきました。ツツジの刺繍が入ったハンカチ。とても美しい刺繍です。
「粋先輩?」
刺繍に目を奪われていると、突然視界に聖夜くんがニュッと表れて僕の顔を覗き込んできます。突然の至近距離に内心は心臓をバクバクさせながらも平静を装って正直にハンカチを指さしました。
「そのハンカチの刺繍がとても美しいなと思いまして」
「あぁ、これですか? これはボクのお気に入りで、自信作なんですよ」
「お気に入り?」
照れ臭そうに話す聖夜くんの言葉に、武蔵くんの眉がピクリと動きました。
「そんな大切なものを貸してくれたのか?」
「え? ああ、そうだったね。武蔵くんと初めて出会ったときに貸したハンカチがこれだったね」
聖夜くんは懐かしむようにツツジの刺繍をそっと撫でました。幸せそうな表情にほんの少しムッとしてしまいますね。
「そろそろ人もいないんじゃね?」
「そうだと良いね。2人きりのプラネタリウムとか、最高だよね」
教室棟の方からカップルらしき話し声が聞こえてきました。武蔵くんと視線を交わすと、僕たちは聖夜くんの手を取ってその場を離れました。折角3人になれたのに、邪魔が入るなんて嫌ですから。
困惑しながらもついてきてくれた聖夜くんは、急に僕たちの手を引いたかと思ったら、音楽室横の階段の方に僕たちを誘導しました。暗がりの中、階段を上がれば柔道場と剣道場があります。いつもは部活で賑わうこの場所も、聖夜祭ということもあって人気はありません。
「ここなら3人きりだね」
いたずらっぽく笑った聖夜くんは、柔道場前の段差に腰かけると両隣をトントンと叩きました。当然のように僕たちに両隣に座るように促してくれることは嬉しいですね。
聖夜くんにとって僕たちの間が定位置になって、他の場所にいると不安になってしまえばいいのに。なんて想いは隠しておきます。冷静で優しい恋人でいたいですから、今はまだ。
僕たちは素直に聖夜くんの両隣に腰かけました。柔道場と剣道場から漂ってくる汗臭さが気にならないこともないですが、人目につかない場所で3人で風に吹かれるこの時間は心地良いものです。
ですが、だからこそ、本当にこれで良いのかと不安になってしまいます。
「ですが、プラネタリウムやイルミネーションは良いのですか?」
聖夜くんは僕の質問にうーんと声を漏らしながら隙間から覗く星空を見上げました。今まで気が付きませんでしたが、本物の星空も綺麗なものですね。
「プラネタリウムとかイルミネーションも見たいですけど、また3人で落ち着いて見る機会がいくらでもありますから。だったら今は、3人だけでいられる時間を堪能したいです」
聖夜くんはニコリと笑うと、スッと足元に視線を落としました。
「本当は、今日は3人で聖夜祭を回りたかったんです」
困った顔でくしゃりと笑う姿にキュンとして、僕は聖夜くんの頬に手を添えました。そのまま聖夜くんの唇を奪おうとしたのに、手の中から聖夜くんがいなくなりました。
僕の手から奪われた聖夜くんは武蔵くんからの口づけを受けて驚き緊張しながらもうっとりと目を細めました。少しむかつきますね。
僕は多少強引に武蔵くんから聖夜くんを奪い返して口づけました。甘くて、とろけるようで、熱い。幸せな時間……
「聖夜」
また武蔵くんに聖夜くんを奪われて、2人のキスを見せつけられます。ムキになる気持ちと愛おしくて堪らない気持ちが溢れて来て、泣きたくもなりました。
それからは聖夜祭が終わるまで、3人きりなのを良いことに、星空の下で甘い時間を堪能させていただきました。思いもしなかった展開ですが、幸せだと、心の底から思いました。
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