竜と叶うはずのない願い
砂山むた
一章「叶うはずのない願いが、叶う気がするから」
01
雪の舞う、冷えた空気を深く吸い、吐き出す息とともに青年は言う。
「きれいになったな、シュルヴィ」
「……あなたは、ずいぶんとご立派になったようね」
「本当、きれいになったよ。……久しぶり」
「ええ、久しぶり。本当に、本当に久しぶり。勝手に家を出て、三年間まったく連絡を寄越さず、いきなり帰ってきたと思ったら、まるで金貨をぶらさげてるような
「えっ。この服、もしかして似合ってない?」
慌てて、青年カイは自身の姿を確認した。シュルヴィはその様子に表情を険しくする。じゅうぶん似合っているから、なおさら腹が立つのだ。
雪原地方に適したカイの厚手の
「似合ってないとは言っていないわ。ただ、まるですっかり知らない人みたいというだけ。じゃあ、わたしは用事があるからこれで。さようなら」
シュルヴィはカイの横を通り過ぎ、街路を進んだ。雪が深い。
村の貸本屋に行こうとしたら、こぢんまりとした中央広場に村の娘たちが集まっていた。凍結で息を止めた噴水の前で、何をしているのだろうと思えば、娘たちの中心には
シュルヴィは目を
歩き出したシュルヴィの後ろをカイがついてくる。飛竜を置き去りにしていいのかとちらりと広場を窺ったが、飛竜は大人しく待っているようだった。娘たちはつまらなそうに散っていく。
「黙って家出たのは、悪かったと思ってるよ。怒るのも、無理ないって」
「怒る? まさか」
挑発たっぷりに、あざ笑うように返してやった。
「どうしてわたしが、あなたが急に勝手にいなくなったからといって、わざわざ怒らなきゃいけないの? わたしは、あなたがどこで何をしようがぜんぜん気にしないし、心配もしない。考えてみれば、あなたと一緒に暮らしていたのはたった三年。いなくなっていた期間もちょうど三年。これって、足して引けば他人よね。どうぞご自由に生きてください」
三年の時を重ねた後、いなかった期間を減算すれば無に返るという理屈だ。
「足して引けば、って」
カイが気の抜けた顔になる。時間は加算しかないので、めちゃくちゃな理屈だ。
「どう考えても、怒ってるだろ。悪かったってほんと。ごめん。シュルヴィ」
いまさら現れて、謝られて、許すわけがない。そう言い返そうとする口を、ぐっと閉じる。怒れば怒るほど、心配していたことや寂しかったことを認めることになる。
新たに積もりゆく雪を、編み上げ靴で踏みしめる。勝手についてくるカイが、商店街の軒並みを眺めながら話しかけてくる。
「しばらくいない間に、リーンノールも変わったなぁ。新しい建物が増えた」
リーンノール村があるのは、帝都から遠く離れた大陸北端だ。一年の半分は雪に覆われている。村の主な店は中央の一ヶ所に集まっている。さらに、この三年で、店の数は急増した。
「そうね。雑貨店も食事処も、酒場も増えたわ。宿屋だって、一軒しかなかったのに、いまじゃ三軒あるもの」
観光名所もない小さな村だ。訪れる人もいないので、宿屋など一軒でもじゅうぶん過ぎるくらいだ。
「最近は、帝都の若い子たちに話題の甘味処もできたんだから」
自慢そうに言ったものの、心は空虚になった。小さく吐息し、呟く。
「村に、人が増えたわけでもないのにね」
カイの言葉が返ってくる前に、折良く目的の貸本屋に到着した。シュルヴィは肩に積もった雪を軽く払い、扉を開ける。暖炉が焚かれた店内の暖かさに、まずひと息ついた。同時に本の臭いが
来訪を告げる扉上部の小さな鐘の音に、奥の受付台にいた店主が顔を上げた。シュルヴィは店主へ、カイに対するものとは正反対の柔らかな笑みを向けた。
「こんにちは。時間、まだ大丈夫かしら」
「ああ、シュルヴィお嬢さま。大丈夫ですよ」
眼鏡をかけた
「新しい本、入りましたよ。西方の町から取り寄せたものです」
「わあっ! 本当?」
「いつもの場所に、置いてありますよ」
店内に無理やり並べた、狭い間隔の本棚の間に入り込む。向かった本棚には、竜の関連書が並べられていた。百冊はある。遠方から取り寄せたものもあり、けれどシュルヴィが読んだことがない本は、新しく入荷された一冊だけだ。
手に取り、中を開く。絵や文章を試し読んでいる間、会話が聞こえた。
「ん? お前……もしかして、カイか!」
「久しぶり、ティモじい」
店主ティモが、目を丸くする。
「帰ってきたのか!」
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