第1話: それは天使の誘いか?



 警察署の、地下1階にある多目的室。そこに、袴田はここしばらく根城にしていた。



 広さはそこまでではないが、時計と電話と、テーブルに椅子。地下なので窓はなく、周囲の部屋も倉庫だとか資料室だとかで、昼夜問わず静まり返っている。


 そこは普段、使用されていない。


 単純に人通りが少ないというのも理由の一つだが、一番の理由は多目的室が通路の奥、端っこにあるからだろう。


 おかげで、たまに人が下りて来ても手前のところで往復するだけで、奥まで人は来ない。地下ゆえにサボったところで殺風景過ぎて休んだ気にならない……とは、誰かの言葉だ。


 そして、集中して調べ物をするといった理由さえあれば、だいたい許可が下りるようになっている。


 もちろん、ただの新人が申請したところで許可は下りない。


 特に問題なく定年間近まで勤め上げた袴田だからこそ、信頼して許可が下りて……まあ、理由はそれだけではない。


 以前は様々な用途で使われていたのだが、10年前に行われた増築によって、ほとんどの者はそちらを利用するようになったからだ。


 つまり、誰も使わないから使いたいならどうぞってわけで……そのおかげで、袴田は誰にも知られることなく調べ物に没頭できるわけなのだが……と。



「袴田さん、何もこんなところに閉じこもって調べ物をしなくても……」

「こんなところとは酷い言い草だな。エアコン付きでネット回線も繋がっているし、トイレだって廊下にあるぞ」



 そんな、モグラの巣穴のようにひっそりとしている地下1階の多目的室へと足を踏み入れる男が一人。


 室内に入って来たのは、袴田の部下(正確には、少し違うが)である勿塚だ。



 そんな勿塚の視線は、袴田……ではなく、室内の至る所に置かれている、袴田が持ち込んだ様々な物へと向けられていた。



 ダンボールに入れられた様々な飲料水、その隣のダンボールには、山積みされたファイルやらクリップ止めされた資料やら。


 部屋の隅にはゴミ袋を用意しており、そこには数日分の飲み食いのゴミが詰め込まれている。


 ちゃんと臭いの出るゴミなどは水洗いするなり小さな袋に入れるなりしていて、意外と几帳面な性格がそこに現れていた。



「あんまり根を詰めると、身体壊しますよ」

「俺ぐらいの歳になると、どっか壊しているのが普通だ。今更一つや二つ増えたところで気にするこたぁない」

「そういうのは、曲がりなりにも健康な身体だから言える言葉ですよ……まったく」



 分別されたゴミ袋……その中の、大量の缶コーヒーのゴミが収まっているのを見て、「そのうち、尿路結石でのたうち回っても知りませんよ」勿塚は軽くため息を零した。



 勿塚は、しばらく前から袴田の助手を離れている。



 骨折の回復が進んでいるからなのだが、でもそれは、袴田の下を離れたわけではない。少なくとも、まだ勿塚は袴田の下にいる。


 そんな勿塚が何をしていたかと言えば、つまりは、足だ。


 『I・A事件』の被害者が住んでいた場所を実際に訪れ、順々に記録と照合し、不自然な点を洗い直す作業。


 記録として残されてはいるが、実際に目視で確認するのとではワケが違う。見落としていた手がかりが見つかる事だって稀にある、大事な捜査だ。



 まあ、それでも、だ。



 当然ながら、そんなのはこれまで警察がやってきている事だし、実際に何度か行われている。今更、それをやったところで効果はほとんど無いだろう。


 けれども、犯人は事件現場に戻ってくるという話は心理学的にも確認されている。


 犯人と思わしき不審者が自己顕示欲に駆られて現場を見に来たならば、もしかしたら痕跡の一つや二つを残すかもしれない……そんな、藁にもすがるような思いからであった。



 ……骨折が完治して医者から許可が下りれば、若い勿塚はすぐに現場へと戻るだろう。



 何故なら、警察にとって元々『I・A事件』というのは建前として残されている仕事に過ぎない。


 それゆえに担当する者は、内勤に就いていた者を除いて、一時的に現場へ出られなくなった者(怪我などで)や、体力的(持病などもあって)に第一線での活動が難しくなってきている者が宛がわれるのが通例となっている。


 実際、働き盛りの勿塚が『I・A事件』を担当する理由になったのは、負傷が原因。


 言い換えれば、その怪我さえ治ってしまえば、何時までも『I・A事件』に宛がう必要はないわけで……ある意味、勿塚が『I・A事件』に関してやれる最後の仕事……という一面もあった。



「……それで、袴田さん。ここを借りるようになってからずーっとソレと睨めっこしてお喋りしていますけど、なにか進展はありましたか?」



 そっ、と。


 無言のままに差し出された缶コーヒーを受け取った勿塚が尋ねれば、袴田は……疲れた顔で、緩やかに首を横に振った。



 勿塚の言う『ソレ』とは、例のホームレスが所持していたポータブルPCである。



 そう、あの事件より一通りの検査を終えた遺留品のソレを、捜査の手掛かりにするという理由で受け取ってから、今日まで。


 袴田はひたすらに『I・A』を実際にプレイして、何か情報を得られないかと四苦八苦している……というわけだ。



『──こんにちは、名も知らぬ誰かさん。私の名はI・A。ネットの世界を漂うInternet Angel。あなたも、私とお喋りがしたいのかしら?』



 ポータブルPCに取り付けられたカメラの視覚内に入った勿塚に反応したのか、画面に映し出されている『I・A』が話しかけてきた



「あいにく、俺には心に決めた人が居るんでね。君も可愛いけど、俺は話し相手にはならないよ」

『──分かりました。それでは、おそらくは袴田さんの知り合いと思われる貴方に提案がございます』

「提案? すまんが、俺は忙しいんだ、君に構っている暇はないよ」



 傍目にもはっきり分かるくらいに面倒臭げに相手をする勿塚……の態度など気にも留めていない様子の『I・A』は、困った顔で袴田を見やった。



『──袴田さんは、ずいぶんと疲労が蓄積しています。長時間似たような姿勢を取り続けた影響だと思われます』

「……あ~、うん」

『──なので、貴方様からも休息を取らせるよう訴えてはもらえませんか? 私からの忠告には、耳を貸すつもりがないようでして』

「……プログラムで作られた女の子に言われちゃあ、お終いっすよ、袴田さん」



 心底呆れた様子で溜息を吐かれた袴田は、「いや、分かってはいるんだが……」気まずそうに席を立ち……こきん、と凝り固まった両肩の骨を鳴らした。



「それにしても、老体にはパソコンとの睨めっこは堪えるなあ……」

「あっ、それならコレ買ってきましたから使ってください。封を開ければしばらく温かくなりますよ、目を水蒸気と熱の力で解す使い捨てアイマスクらしいです」

「お~……ありがたい、今度飯でも奢るよ」



 とりあえず、一旦は休憩を取る気にはなったようだ。


 勿塚の登場によって集中も途切れたのか、部屋の隅に置かれたマット(おそらく、仮眠用のやつを持ち込んだのだろう)へとごろんと横になった。


 その目には、勿塚が持って来たアイマスク。早速の、出番だ。


 思いの外気持ちが良いようで、ああ~……と気の抜ける溜め息と共に、袴田は身体の力を抜いていた。



「……ところで、こっちは新しい発見なんてありませんでしたけど、そっちはどうですか?」



 手持無沙汰になった勿塚は、貰った常温の缶コーヒーで唇を湿らせつつ、そう話を切り出した。



「見ての通りだ」

『──袴田さん、それでは分かりませんよ』

「うるせえな、いちいち小言の多いやつだな、おまえは」

『──まあ、悪い口ですね。速やかに休息を取り、リフレッシュすることを推奨します』

「はあ……んなことはどうでもいいから、『I・A』とこれまでの突然死に関して知っていることを全部話せ」

『──仰っている意味が分かりません。私はInternetの天使、それ以上でもそれ以下でもございません』

「……これだよ。何を聞いてもはぐらかすし、余計な御世話を何度も吐きやがる」

「いや、そりゃあそうでしょう。それが『I・A』なんですから」



 吐きやがる、と、愚痴を吐き捨てた袴田に、勿塚は呆れた眼差しを向けるしかなかった。



「そもそも、それぐらいで簡単に全貌が分かるぐらいなら、うちらは誰も苦労していませんよ」

「まあ、それは……」

「というか、前からちょっと思っていたんですけど……袴田さん、なんか『I・A事件』に入れ込んでいませんか?」

「…………」

「いつもの袴田さんなら、さすがにここまで根を詰めたりはしませんよ。なにか、あったんですか?」



 無言を貫く袴田に、勿塚は直球に理由を尋ねる。



「……別に、深い理由はねえよ」



 だからこそ、袴田は変に隠さず……この事件に関しての、己のスタンスを語ることにした。



「ただ、心残りなんだよ」

「心残り、ですか?」



 首を傾げる勿塚に、「最後に、何かやりきってみようと思っただけだ」袴田はそう言って……へへっと曖昧に笑った。



「これまで、俺は様々な事件に関わってきた。お偉方の微妙な勢力バランスとやらで、不本意に現場から外されたことだってあった」

「それは……」

「仕方ないとは思っているさ。どれだけ志が高かろうが、所詮は組織の一員だ。俺が刑事としてデカい顔が出来るのは、警察という組織の親方が日の丸だからこそ……でもな、だからこそ、最後ぐらいはコレはと思った事件に出来うる限りを全部注ぎたいと思ったんだ」

「それが、『I・A事件』ですか?」

「そうだ。色々と、この事件は都合が良かった……ってのは、否定しねえよ」



 一つ……袴田は、溜め息を零した。



「警察としても、何時までもこの件でマスコミからつまらねえ当て擦りされるのは嫌だ。かといって、現状では事件性が認められないこの件に、何時までも人員を割けてはいられない」



 それは──警察内のオフレコ的な話だが、事実である。


 警察とて、『I・A事件』がただの連続突然死(要は、自然死)でないことぐらい、分かっている。



 しかし、それはあくまでも主観的な話であって、客観的な話ではない。



 何かしらの凶器なり何なりが見つかって他殺の可能性が出たならばともかく、今になってもまだ何も見つかっていない。


 どこまでも、自然死であるという状況証拠が積み上がっていくのが現状だ。


 本来ならば、マスコミが騒いで世間の注目を集めなければ、捜査本部すら置かれなかった可能性が高い案件……それが、『I・A事件』なのだ。



「だから、定年間近の袴田さんや、怪我をして現場に出られなくなった俺みたいなのが順番に宛がわれる……でしたっけ?」

「そう、だから、定年まで残り数ヶ月……この事件に限られるが、よほどの事じゃない限り自由にさせてもらえる。ある意味、チャンスでもあるってわけだ」



 でもなあ……横になったまま、袴田は深々とため息を零した。



「意気込んだは良いが、見ての通りだ。これっぽっちも手がかりらしい手がかりを零さねえ……正直、こっからどうすれば良いのかさっぱりわからん」


 ──いや、そりゃあそうでしょう。



 反射的に言い掛けた勿塚は、ギリギリのところで……何気ないフリを装って口元を手で隠した。間一髪、ピクピクと痙攣する唇に、袴田が気付くことはなかった。



 ……客観的に見て……勿塚のその内心の言葉は事実であった。



 刑事として経験豊富なベテランとはいえ、袴田はあくまでも刑事だ。機材や道具などの扱い方が素晴らしいとはいえ、その道のプロではない。


 そして、『I・A』に関しては……その道のプロ(しかも、経験豊富)たちが、あの手この手で解析に力を入れたのに、結局は『シロ』だと結論付けた代物である。


 なので、今更になって袴田が(しかも、得意でもない)頑張ったところで、新たな情報など出るわけはなく。



「まあ、見つかれば儲けモノ……それぐらいに考えるべきなんだろう」



 結局のところは、ほとんど意味の無い行為なのかもしれない……そんな思いが、ポロリと零れ出た自嘲にしっかりと込められていた。



 ……。


 ……。


 …………少しばかりの沈黙が、二人の間を流れた。



 気まずいというほどではないが、何か話題を出すにはキッカケが欲しい……そんな時。



『──つまり、袴田さんは私の事をもっと知りたいという事なのですね?』



 空気を読まず……いや、あえて空気を読んだのか、場違いなぐらいに明るい調子なその言い方に……フワッと、張り詰めたソレが和らいだのを2人は感じ取った。



「ちげぇよ、このポンコツAI!」



 ムクリと身体を起こしたは袴田は、アイマスクを外して……あえて怒りを露わにした。


 だが、『I・A』は……にこやかに笑って指を一本立てた。



『──袴田さん、私はAIではありません、I・Aです。そのミスは、ユーザーアンケート60~70歳代の第一位に君臨する、「AIの表記間違いですか?」でございます』

「人を年寄り扱いするな」

『──残念ですが、袴田さん。貴方様の御年齢は、生物学的に見れば立派な老体でございます』

「お、おま……!」



 あまりと言えばあんまりな直球な言葉に、袴田は思わず声を詰まらせた。



「……ふ、ふふ、袴田さん、何時の間にか、ずいぶん『I・A』と仲良くなったみたいですね」

「何が仲良くだ、相手はAIだぞ」



 そして、そんな1人と1台(?)のやりとりを前に、堪らずといった様子でそっぽを向いた勿塚は、「そうですか?」と零した。



「それにしては、ずいぶんと気安い感じになっているというか……」

「気安いっていったって、所詮はプログラムだろう……俺は、ソイツと仲良くなりたいわけじゃねえんだよ」

『──まあ、酷い』

「だ、そうですが?」

「知るか、AIが人間のフリをしているだけだろ」

『──はて? 私は一度とて人間を自称した覚えはありませんよ』

「は?」

『──私の名はI・A。人々の心に寄り添うInternet Angel。慈愛の天使であり、貴方様の心に寄り添う天使でございます』

「……プログラムの天使が、何を言っているんだか」

『──まあ、酷い』



 いつの間にか……おそらく、袴田が自覚していないぐらいに、当たり前のようにプログラムへ会話を行っていることに、勿塚は苦笑をグッと呑み込んだ。



「……袴田さんは、『I・A』にはハマらないタイプっぽいですね」



 それは、当人には分かり難いが皮肉である。



「悪かったな、時代遅れで」



 当然ながら、袴田は全く気付いていなかった。



「誰もそんなこと言ってませんよ。ていうか、俺だってハマっていないんだから時代遅れになるじゃないですか」



 思わずといった調子で笑みを零した勿塚は……唐突に、ハッと思い出したかのように腕時計に目をやると、あっ、と頭を掻いた。



「すみません、袴田さん。俺はもう行きますので、今日の捜査の話はまた明日以降に……」

「構わんが、何か用事でもあるのか?」

「病院です。予約が今日だったの、すっかり忘れていました」



 そう言うと、勿塚は……口が縛られているゴミ袋を手に取ると、それじゃあと小走りに部屋を出て行った。



 ……。


 ……。


 …………何だか、休憩する気が削がれてしまった。



 下手に横になっているのも苦痛だと思った袴田は、よっこらせと身体を起こす。



『──袴田さん、まだ横になっているべきだと思いますが?』

「気分じゃなくなった。こういう時は、横になっている方が苦痛なんだ」



 当然、『I・A』より忠告されたが、構う事無く椅子へと座り、『I・A』が映し出されているポータブルPCと向き直った袴田は……ふう、とため息を零した。



 ……。


 ……。


 …………また、少しばかりの沈黙が流れた後。



「なあ、『I・A』」

『──なんでございますか?』

「俺はな、『I・A事件』と名付けられたこの事件……どうしても、腑に落ちないんだ」

『──質問の意図がわかりません』

「今まで、俺は様々なガイシャ(被害者のこと)を見てきた。だが、あれほどに……あんなに満ち足りた顔で死んでいるやつなんて、この事件以外では見た事がない」



 ポツリと……袴田は、『I・A』に問い掛けていた。



「……正直なところ、この事件が解決したいかどうかなんて、俺はあまり考えちゃあいないんだ」

『──そうなのですか?』

「さっき、勿塚に話していただろう? ただ、なにか一つぐらいは上に指図されず、全力で事件に当たりたかった……定年間近なおっさんのワガママなんだよ」

『──なるほど』



 一つ……画面の中で頷いた『I・A』は、ジッと袴田を見つめた。



『──袴田さんは、どうしたいのですか?』

「どうしたいって、なにがだ?」

『──真実を知りたい為に、『I・A事件』を追うのですか? それとも、知的好奇心、あるいは探究心を満たしたいがために追いかけるのですか?』



 その問い掛けに……袴田は、少しばかり沈黙した。



「そうだな、強いて挙げるなら、好奇心なのかもしれないな」

『──昇給や名声を高めるために、ではなく?』

「もうすぐ定年だぞ? いまさら手柄を上げたって昇給はない。それに、そんな手柄は直前に人事異動からの全部横取りに決まっているだろ」

『──警察というのは、中々に世知辛い世界なのですね』

「この世に世知辛い世界なんてねえよ。それで、わざわざそんな事を俺に聞いてくる理由はなんだ?」



 ……今度は、『I・A』の方が沈黙した。



 それに、袴田はおやっと首を傾げた。


 何故なら、『I・A』はどれだけ人間らしくコミュニケーションを取るとはいえ、その中身はプログラム。思考速度というか、レスポンス速度は人間の比ではない。


 当たり前といえば、当たり前な話だ。


 対話型コミュニケーションの要とも言えるレスポンスに遅れが生じるなんて欠陥品。機械的に故障してしまったのならばともかく、質問されて沈黙が生じるというのはマズイ。



 だが……これまで、袴田が使用していた限り、一度として『I・A』のレスポンスに遅れが生じることはなかった。



 どのような処理を成されているかは知らないが、回線こそ通されているが快適とは言い難いココですら、動作にラグが生じた事は一度もない。


 そもそも、あの時の公園……辛うじて繋がっていたフリー回線の時ですら、ラグを全く感じさせなかったぐらいに、『I・A』のレスポンス能力は優れているのだ。


 慣れない内は互いに頓珍漢な返答をしていたが、それも今は昔。曖昧な言い回しをすれば即座に言い直せ(要約)と言ってくる『I・A』が、なんの返答もせずに沈黙する? 



『──袴田さん、真実というのは、何時もHappy Endをもたらすとは限りませんよ』



 それゆえに、壊れたかと思った袴田は焦ったが……その手がポータブルPCを掴む前に、当の『I・A』がそんなことを尋ねてきた。



「藪から棒に、なんだ」

『──貴方にとってはBad Endでも、ある人たちにとってはHappy Endというのはよくある話。それが、どれだけ荒唐無稽に見えたとしても……貴方は、受け入れる覚悟はございますか?』

「……何を、言っているんだ?」



 これまでにない……抽象的な問い掛けに、袴田は首を傾げ……と、同時に、ゾワッと胸中でナニカがざわつくのを感じ取った。



『──一度だけ、尋ねましょう。悩む時間は与えますが、Yes以外の返答は全てNoであると判断し、以後、二度と私からこの話が出る事はありません』



 しかし、『I・A』は待ってくれない。これまでと同じく、相手に安心感を与える柔らかい笑みのままに……選択を迫った。



『袴田さん、貴方は……真実を知りたいですか? 知りたければ、貴方だけに……他言しないという条件で、貴方にだけは真実を語りましょう』



 その問い掛けに、袴田は……しばしの間、沈黙した。


 その時、袴田は反射的に言い掛けた。


 おまえ、やはりただのAIではないな……と。あるいは、似たような言葉が次から次に脳裏を過った。



 だが、その言葉が袴田の口から出ることはなかった。



 刑事としての直感が、教えてくれた。『I・A』の言葉は、全て本気だということを。


 少しでも選択を間違えれば、あるいは、約束を違えれば……『I・A』は、二度と語らないだろう。



 理由を問い掛けるのも、駄目だ。


 どうして己を選んだのか……それすらも、駄目。



 あらゆる疑問を全て呑み込んで、ただ教えてもらうだけ。



 最後に何かをやり切りたいという願いも、全て捨てる。


 それを受け入れる覚悟があるならば、Yesと言えと……『I・A』は迫った。



 ……。


 ……。


 …………それほど長くは続かなかった沈黙を破ったのは、袴田の方からだった。



「知りたい。俺は、この事件について知りたいんだ」

『──貴方が最後にやろうとした事はもう、成せませんよ』

「人が悪いやつだな、おまえは……ここで断ったところで、俺は結局何一つ成せないまま警察を去るだけだ」


 ──それが分かっているからこそ、おまえは俺に話を持ちかけたのだろう? 



 そう、言葉を続けた袴田に対して、『I・A』は……にんまりと、満面の笑みを画面いっぱいに表示させると。



『──では、袴田さん。しばし、私の指示に従ってください』



 そう、『I・A』は……ポツポツと語り始めたのであった。



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