インターネット・エンジェル

葛城2号

プロローグ: 定年間際と怪我人

※ これがTSに該当するかは分からんけど、個人的にはTS。ただ、TS要素がはっきりと出てくるのはけっこう後だし、TSを期待して読むとTS要素薄いから混乱する可能性高し

 あと、この話のTSは概念的なアレ

 視点が刑事 → 掲示板(SNS) →刑事

 といった感じで切り替わります。タイトルに()で注意入れておきますので、苦手な方は飛ばしてください。ただ、飛ばすと時系列がちょっと飛んで混乱しますので注意


趣味100%の産物


――――――――――――――――――――――――




『I・A事件』と後に呼ばれるようになる事件の発端……というより、その名が広く世間に知れ渡る切っ掛けになったのは、とある俳優の突然死からだった。



 死因は不明。



 座椅子にもたれ掛るように息を引き取っており、ほとんど苦しまずに死亡したのが見て取れた。


 室内に争った形跡はなく、同様に遺体にも傷痕のようなものは一切無し。飲み掛けのウイスキーがグラスに残ったままで、薬物の類は検出されなかった。


 遺体が発見されるキッカケとなったのは、おそらくは死亡直前に送ったとされる、友人へのメッセージ。



 ──さようなら、今までありがとう。



 その一文を見て不審に思った友人が警察に連絡。緊急的な対応が必要と判断された結果、座椅子に座ったまま息を引き取っている俳優が見つかった。


 そうして、遺族による遺体解剖の結果、死因となる要因は何も見つからず、正式に原因不明の突然死という形で決着が付いた。



 もちろん、そうなるに至る理由は、死因だけではない。



 玄関を始めとした外界への出入り口は全てしっかりと施錠が成されており、そちらも不審な点は見られない。


 金銭的なトラブルを含めて、何かしらのトラブルを抱えていたという話は一切無いし、通院履歴も一切確認されなかった。


 全盛期に比べて仕事の量こそ減ってはいるが、コンスタントに仕事を抱えており、生活に不安を抱えているような話も出ていなかった。


 なので、非常に稀ではあるが誰にも起こりえる突然死として発表され、俳優を襲った突然の不幸に誰もが同情し、生活習慣病に気を付けようといった話がフワッと世間を流れて終わった。


 だが……ごく一部のメディア(正確には、ネットニュースだが)だけが取り上げた、とある情報があった。


 それは、俳優が死亡した前に使用していたとされる、とあるアプリ。つまり、そのアプリを使用中に亡くなったのだが……そのアプリこそが、『I・A』であった。



 さて、『I・A』とは、だ。



 簡潔にまとめるなら、『I・A』とは略語であり、正式な名は『Internet Angel(略して、I・A)』。


 それは10年近く前にとあるサイトにて公開されている、対話型コミュニケーションアプリのことである。


 その内容は、至ってシンプル。


 公開されているサイトにアクセスし、アプリを起動。その後、『I・A』という名の3Dキャラが話し相手となり、プレイヤーと会話をするというだけである。


 インターフェイスの役割を果たす『I・A』のモデリングこそ非常に高クオリティではあるが、会話をするだけでそれ以外は何もしない。



 そう、それだけ。



 ゲーム性があるわけでもなければ、課金要素も……いや、運営の為に募金のお願いこそしていたが、ソシャゲと呼ばれる類に見られる、ガチャ要素というやつはない。


 利用するにはサイトにアクセスし、通信量軽減の為にPCにアプリ(要は、『I・A』のデータ)を入れておく必要はあるが、起動の際に求められるのは名前だけ。


 その名前も、『I・A』から呼ばれる際の呼び名という意味合いでしかなく、偽名はOK。なんなら、卑猥な言葉ですらもある程度はOKらしい。


 そして、起動が終われば、後は中身が人なのかAIなのかは不明だが、気が済むまで『I・A』と会話をするだけというシンプルな代物であった。



 ……それだけなら、『I・A』はそこまで世間にその名が広まることはなかっただろう。



 いくら俳優が死亡直前に触れていたとはいえ、それ自体に害は無いアプリだ。


 しかも、『I・A』ほどの高クオリティではなくとも、似たようなアプリがネットの至る所にて公開されていた時代だったから、当初は誰も注目しなかった。



 だが……それから1年後……SNSを通じて、とある噂が立つようになった。



 それは、『I・A』を使用している者はいずれ突然死する……という噂であった。


 噂の出所は不明。


 ただ、例の俳優の死を境目に、自宅での突然死が増え始めているというのが、国が出した死亡統計によって明らかになったことで、その噂が信憑性を帯びるようになった。


 実際、その噂がSNSで囁かれるようになってから、SNSでは真偽不明の『『I・A』を使用した○○が突然死した』という報告が爆発的に増えた。


 それは何時しかSNSを越えて実社会に広まり、ついには警察すらも動かし、『I・A』を公開しているサイトの運営者への調査が成された。


 それから、マスコミの面白勝手によって『I・A事件』と名付けられたソレに対して、改めて捜査本部が置かれ、大々的に捜査が始まって。



 ……季節は巡り、あっという間に4年の月日が流れた。







「……何だよ、ブラックしか残ってねえのか」



 購入ランプが点いた自販機を前に、袴田はかまだは堪らずといった調子で愚痴を零した。



(……まあ、他のでいいか)



 歳を取ると、どうにも愚痴を零す機会が増えたような気がする。と、同時に、サッと気持ちが切り替わるのが速くなったのも、歳を取ったからだろうか。


 あるいは、刑事という仕事を長く務めているからこそ、いちいち細かい事に気を回さなくなったからなのか……まあ、どちらでもいい。



(とはいえ、考え事をする時には甘いコーヒーに限るんだが……次の機会にしよう)


 ──がしゃこん、と。



 公園脇に置かれた自販機より、ホットコーヒーを二つ取り出す。


 つり銭の取り忘れがないことを確認した袴田(はかまだ)は、ひゅるりと吹いてくる北風に身震いしつつ、足早に車へと戻った。



「ほいよ、ブラックで良いんだったよな?」

「ありがとうございます」


 助手席には、袴田の臨時の部下である勿塚もちづかが、様々な写真が収まったファイルから顔を上げて……袴田より手渡されたコーヒーを一つ受け取った。



 袴田、定年間近の60代、男性。


 勿塚、まだまだ体力もある30代の男性。



 常識的(または、組織的)に考えたら、若くて体力のある、部下の勿塚が買いに行くところなのだろうが、これを責めてはならない。


 何故なら、買いに出ると決めたのは袴田の方で、『こまめに運動しろと医者に言われているんだ』とまで理由を付けたのも、袴田だからだ。



「すまんな、気を使わせて」



 だからこそ、袴田は部下である勿塚に軽く謝った。


 それに対して、勿塚は困ったように瞬きを繰り返した後、いえいえと頭を掻いた。



 ……一度は袴田も通った道だから、勿塚の気持ちはよく分かる。



 こういう場面では、勿塚が買いに行った方が、彼にとっては精神的に楽である。



「こういうふうに理由を付けないと、何でもかんでも部下に放り投げちまうからなあ……これ以上コレステロールが増えると医者からの小言が増えちまうんだ」

「もしかして、ブラックにしたのもソレが理由ですか?」

「違う、買おうと思ったけどいつものやつが売り切れていたんだよ。他の甘いやつは我慢出来るが、考え事をする時はコレの甘いやつが良いんだがな……」



 けれども、袴田はそうさせなかった。


 理由は、医者から日常的な生活習慣病を指摘され、小まめな運動……そこまでではなくとも、意識して身体を動かせと注意を受けたからだ。


 気力だけでは負けないつもりではいるが、やはりというか、定年間際ともなれば、幾度となく衰えというものを実感させられてしまうことはある。



 振り返れば、色々と思い至る部分は多々あった。



 ちょっとした事でもエレベーターや車を使ったり、部下に運転を任せたり、雑用を任せたり……自分が思っているよりも身体を動かしていないなと自覚したのは、つい先月のこと。


 それから、こういったちょっとした事(というか、これぐらいしか……)で少しでも身体を動かしているつもりだが……まあ、焼け石に水だろうなあ、というのが正直な本音ではあった。


 それでも、やらないよりはマシだからやっているわけだし、勿塚も気を使って行かせてくれるわけだから、自分から辞めるつもりは今のところはない。



「……で、コレは、って思えるナニカは見つかったか? 若者の視点ってやつで見てほしいんだが」

「若者って、俺だってもう三十路超えているんですよ。若者に負けるつもりはありませんけど、言う程俺だって若くないんすから」



 そんな申しわけなさから話を振った袴田に対して、勿塚は……困ったように首を横に振った。


 勿塚がそんな態度を取るのも、仕方がない。


 何故なら、袴田が言っているのは、今しがた勿塚が開いていたファイルの中身。すなわち、『I・A事件』に関する資料である。


 それ自体は、もう500回は目を通しており、もう何ページにどんな記述があるのかすら暗記してしまっているぐらいで……今更、新しいモノを見付けろというのが無茶な話であった。



「それでも、俺より30歳ぐらいは若いだろ」

「そりゃあそうですけど、俺だってプロファイリングは軽く習ったぐらいで……こういうのは二課の範疇ですってば」

「何を言ってんだ、死人が出ているから一課の範疇だろうが」

「死人ったって、自殺の線すら限りなく薄い突然死ですよ。あらゆる外傷も毒物も出ていないのに、何をどうやって事件にするんですか」



 そう言って、勿塚はため息を零した。


 ……警察組織というのは一言でいっても様々な課で分けられ、それぞれに専門性を持たせている。


 勿塚が口にした『二課』とは、捜査第二課のことだ。


 ざっくりその役割を言うと、主に知能犯(詐欺罪、企業犯罪など)を差す。ちなみに、『一課』は強盗や殺人などの凶悪犯罪を担当する部署のことを差す。



「とはいえ、その突然死が月に50件……それが2年、3年と続けば立派な事件だ。少なくとも、世間は『I・A事件』をただの突然死とは思っていない……そうだろう?」

「そりゃあ……そうですけど」

「たとえそれが偶発的なタイミングで起こった事だとしても、神様の意地悪だとして放っておくわけにはいかん……あと、世間もそれを認めてくれないからな」

「…………」



 ぐうの音も出ないとは、この事を言うのだろうか。


 何も言えなくなって黙ってしまった勿塚に、「いや、すまんな、言葉が過ぎた」袴田は苦笑と共に頭を掻いた。



「でもまあ、分かってくれ。少なくとも、警察はちゃんと捜査を続けていると世間に発信しておかなければならんわけだ」

「そりゃあ……俺だって、それぐらい分かっていますよ……でも……」



 それ以上、勿塚は何も言えなくなった。それを見て袴田は、まだ年若いから現状に憤るのも仕方がないと思った。


 何故なら、世間の感情は別として、だ。


 警察にとって『I・A事件』の捜査というのは、現場の第一線から外れろと宣言されたも同然の処置であるからだ。



「まあ、怪我が治るまでの辛抱だ。日にち薬とはいえ、肋骨が3本もヒビが入ったやつを第一線の現場へ連れていくわけにはいかんだろ」



 ちらり、と。


 袴田の視線が、スーツで隠された勿塚の胸元へと向けられ……サッと身体を捻って(その際、顔をしかめていたが……)誤魔化した後輩を見て、深々とため息を零した。


 怪我の原因は、まあ、アレだ。


 窃盗犯を捕まえようとした際に、相手が2人組だったことに気付かず、不意を突かれてタックルを食らってしまったのだ。


 幸いにも犯人はすぐさま取り押さえられたのだが、角度とか諸々が悪かったらしく、検査を受けてみたら肋骨に……というわけだ。



「それに、ひたすら内勤するよりはストレスも溜まらんだろ?」

「……これぐらい、半月も大人しくしていたら大丈夫ですよ」

「いやいや、無理はするな。間違いなく、俺ぐらいの歳になってから嫌というほど後悔するようになるぞ」



 そう言いながら、袴田は勿塚の手からファイルを受け取り──瞬間、車内に取り付けられた無線機が鳴り響いた。



「はい、こちら勿塚です」



 ほとんど反射的に受けた勿塚を他所に、今しがた開けたコーヒーを一口啜った袴田は、緩やかに車を発進させて大通りへと向かう。



『──通報がありました。場所は××町の○○区の2-2-13番の△△公園です』


「公園ですか?」


 聞こえてくる説明に、勿塚が訝しむ。それは、袴田も同様であった……が。


『──はい、公園脇に設置されているトイレにて、死亡しているホームレスを利用者が見つけたらしいのですが……曰く、そのホームレスが所持しているポータブルPCにて『I・A』らしき画面が映し出されているそうです』


「……了解致しました。直ちに現場へ向かいます」


『──よろしくお願いします』



 そこに、『I・A』が関わっている可能性があるならば無視など出来ない2人は、逸る気持ちを抑えつつ……指示された現場へと向かった。







『I・A事件』。



 調査が始まってから数年が経ち、未だに犠牲者と思わしき死人が一日1人は出ているというのに、その手がかりすら掴めていない怪事件である。


 と、いうのも、だ。


 最初の事件と言われている、とある俳優の死から数年。


 当初は関連付けられなかったが、さすがに2ヶ月3ヵ月と原因不明の突然死&PC画面にて表示されている『I・A』の映像を見せ付けられることになった警察とて、気付く。


 これは、ただの突然死ではない。誰かしらの思惑と何かしらの意図を孕んだ、殺人行為なのだということを。



「上も、おそらくそうしたいんだろうと思う。だが、そうするには世間が忘れてくれないことにはなあ……」



 しかし、警察が出来たのは、そこまでであった。


 なにせ、事件に関与していると思われている『I・A』をダウンロードして解析した結果、クロと思われる情報は何も無かった。



 本当に、欠片も無かった。



 ウイルスすら皆無であり、市販されているワクチンソフトは全て『安全である』という結果を出した。


 実際に『I・A』をプレイした警察ですら、異常が現れた者は1人としていなかった。皮肉にも、警察自らが『I・A』の無実性を証明してしまった。


 これをクロに持って行こうとするなら、確実にSNSなどで警察の冤罪事件として注目を浴びてしまうぐらいにシロであった。



 けれども、それで、ハイ分かりましたと終わらせるわけにはいかなかった。



 だって、実際に死人が出ているのだ。


 外傷薬物一切無しとはいえ、だ。


 類似の状況での死者が毎日一人……それが3ヵ月も続いている状況で何も分かりませんとか言ってしまえば最後、警察の面子は丸つぶれである。


 だから、当時の警察は『I・A』の製作者を重要参考人として引っ張ろうとした。



 けれども、それは出来なかった。


 何故ならば、製作者は既に死亡していたからだ。


 俳優の死から三ヶ月近く前、自宅での自然死だ。



 その死に方が、『I・A事件』の被害者(?)たちと似ていることから、警察はかなり無理をして家宅捜索へと踏み切った……わけなのだが。


 結局──分かったのは、だ。


 製作者の死後も『『I・A』というアプリが配信できるように、自宅サーバー以外にも、幾つものサーバーをレンタルしており、その契約を5年先まで行っているという……それだけの話であった。



(自宅にすら全く解決に繋がる手がかりが残っていねえのに、ホームレスがそんなものを持っているわけねえよな……)



 心の中でそう吐き捨てた袴田は、見えてきた公園を前に、ふうっと思考を切り替える。


 通報が有った、その公園へと二人が到着した時にはもう、他の警察の者たちが到着していて、作業を進めていた。


 トイレに人が入らないように出入り口を塞ぎ、周辺に遺留物が無いか、目を凝らして探し回っている。どうやら、既に調査も進めているようだ。


 青いビニールシートとテープで囲われているトイレの中より、警察の人達が出入りしている。周囲にはちらほらと野次馬が集まっていることもあって、中々に騒がしい有様であった。



「──遅くなりました、見させていただいでよろしいでしょうか?」

「あ、袴田さん、勿塚さん。大丈夫ですよ、見てください」



 車を降りて小走りに駆け寄れば、向こうも慣れたものだ。気付いた仲間に案内された2人は、そのままトイレの中へと足を進める。


 よほど離れている場所ならともかく、『I・A事件』に関与しているかもしれない事件は全て現場に足を運んでいる現状だ。


 部署が違ったところで、顔の一つや二つ覚えられてもなんら不思議ではないだろう。



 そうして……遺体は、男子トイレの一番奥の個室にあった。



 ホームレスというだけあって、独特の臭いが漂っている。着ている衣服も薄汚れていて、お世辞にも清潔とは言い難い。


 清潔と言えば、このトイレもそうだろう。明かりも、点いてはいるが照明ケースが汚れているせいで、妙に薄暗い。


 あまり予算が掛けられていない公衆トイレ特有の雰囲気が……っと、話を戻そう。



「……これまでの被害者と同じですね」



 ポツリと零した勿塚の言葉に、袴田は無言で頷くと……先に中に入る。


 便座の蓋に腰を下ろしたまま、ぐったりと俯いている男。おそらく、50代半ばといったところだろうか。


 その手は、ポータブルPCを掴んでいる。通報のとおり、そのPC画面にはコミュニケーションアプリである『I・A』が起動しており、『I・A』が画面いっぱいに表示されていた。


 状況から見て……これまでの『I・A事件』の被害者と同じく、『I・A』をプレイ中に起きた突然死……いや、自然死というやつだろうか。



「……こいつも、他の奴らと同じだな……笑ってやがる」



 そして、その顔はこれまでと同じく、安らいでいた。まるで、最高に気持ち良く眠る瞬間のような……そんな顔をしていた。



(外傷も無し……汗も掻いていないし、薬物使用の痕跡も、とりあえずは見当たらない……か)



 まあ、実際に衣服を脱がして確認したわけではないが……血の臭いがしてこないあたり、誰かの手で……という線はないだろうなと袴田は苦笑した。


 詳細は、この後に来る者たちが引き取ってから分かるとして……さて、と気を取り直した袴田は、男が持っているポータブルPCを手に取った。


 もちろん、指紋が付かないように手袋をした状態で。



「あ、ちょ、勝手にソレはまずくないですか?」



 思わずといった様子で動揺を見せる勿塚に、袴田は気にするなと言わんばかりに手を振った。



「いいんだよ、これまで押収したパソコンやら何やらが何台あると思ってんだ。保管場所がパンパンで、むしろ結果的に持って行く手間が省ければ向こうも喜ぶってもんだ」



 なんともまあ酷い暴論……しかし、その言い分は酷い話だがけっこう事実であり、勿塚は再び何も言えなくなった。



「しかし、『I・A』か……前に何度か試しに触ってみたが、俺にはコレの何が楽しいのかさっぱりわからんなあ」



 そうして、横やりが入らなくなったのを確認した袴田は、ブツブツとそう呟きながら、画面の『I・A』へと話しかけた。



「よお、『I・A』。質問していいか?」

『──どうぞ、名も知らぬ誰かさん』



 画面に表示された『I・A』は、軽やかに笑う。


 袴田は理解出来なかったが、非常に出来が良いと評価が受けているその3Dモデルは、まるで意思があるかのように自然な振る舞いをした。



『私の名はI・A。Internet Angelとも、そのままイアと呼んでも、お好きな方を選んでください』

「それじゃあ、『I・A』と呼ばせてもらう。俺は、袴田だ」

『──分かりました、ハカマダさん。それで、私にどのようなご質問があるのでしょうか?』

「単刀直入に聞こう、この男を殺したのはおまえか?」



 クイッと、死んでいる男を指差した袴田に対して。



『──いいえ、私ではありません』



 にこやかに、『I・A』はそう言って笑った。



 ……そう、答えるのは袴田も分かっていた。



 何故なら、『I・A』は所詮、コミュニケーションアプリである。返答を行う際に笑顔を見せるというプログラムに従っているに過ぎない。


 いちおう、意図的に卑猥な言動をさせようとすると、人間らしく拒否する振る舞いを見せるらしいが……まあ、関係ないだろう。



「それじゃあ、俺がおまえと対話をする前に、おまえと対話をしていた男の会話ログは提示出来るか?」

『──申し訳ありません。プライバシーの関係上、当人の承諾無しでの開示は出来ません。ご了承願います』

「俺は警察の者なんだが、その気になればコレを分解して解析し、ログを手に入れることも出来るが……それでもか?」

『──申し訳ありません。当人のプライバシーを明かす事は出来ません。必要とあれば、分解してくださって結構です』



 ……はあ、と。



 深々とため息を零した袴田は、「冗談だよ」そう言って曖昧な笑みで誤魔化した後……気怠そうに、ポータブルPCを男の手に戻した。



『──お疲れのようですね。しばらく私とお喋りでも致しませんか?』



 画面は見えなくなったけど、音声だけは聞こえる。


 プログラムそのものに罪はないとはいえ、反射的にイラッと来るのは……まあ、仕方がない。


 おかげで、また、ため息が零れた。


 正直、トイレの中で深呼吸は不快極まりないが、出てしまうのだから仕方がない。


 無意識の内に取り出した煙草を口に加えて、気を紛らわす。


 当たり前だが、火は点けない。勿塚も慣れているもので、何も言わなかった。


 あくまでも落ち着く為に咥えるだけであることを、知っているからだ。



『──おタバコは身体によくありません。せめて、ニコチン量の少ないイレブンスターを推奨します』

「うるせー、誰のせいで煙草の量が増えていると思ってんだ」

『──ストレスが溜まっているようでしたら、私とお話を致しましょう』



 思わずといった感じで苛立ちを吐き捨てた袴田を他所に、『I・A』は気にした様子もなく(まあ、当たり前だ)、言葉を続けていた。



『私はインターネットの天使、Internet Angel。人々の孤独を癒し、人々の心に寄り添う者。怖がることはありません、私はあなた達の味方で──』



 そこまで話した瞬間、フッと声が途絶えた。



 おやっと訝しんだ袴田は、ポータブルPCを再び手に取り、軽く弄る。「なんだ、バッテリー切れか」納得して、また手に戻した。



 ……。


 ……。


 …………こうなると、もう二人に出来ることは何も無い。



 下手に遺体を動かすわけにはいかないし、検死に関しては専門外。鑑識が来る前に、これ以上現場を荒らすわけにもいかず……仕方なく、一旦個室を出ようと。



(──ん?)



 して、ふと覚えた違和感に足を止めた。



「どうしたんですか?」

「いや、何と言っていいのか……」



 振り返った勿塚が首を傾げているが、どうにも上手く説明出来なかった袴田は、個室内を見回し。


 ……。


 ……。


 …………その視線が、男が手にしているポータブルPCへと留まった瞬間、あっ、と袴田が声を上げていた。



(そうだ……どうして、『I・A』は俺が煙草を吸っているとわかったんだ? 勿塚だって、一切声に出さなかったのに)



 そう、あまりに自然に言われたからサラッと流してしまっていたが、考えると不自然過ぎる。


 カメラを向けられ、向こうがこちらを視認出来ていたならともかく、あの時画面は男の方へと向けられていた。



(やっぱり……カメラは画面側に付いている。じゃあ、コレはどうやって俺を認識出来ていたんだ?)



 確認の為に手に取って見やれば、やはりそうだ。カメラは画面側に付けられていて、背面には動かせない。


 もしかしたら両面になっているのかと確認してみるも、やはりカメラは片面だけ──っと、その時であった。




 ──すみません、袴田さん、勿塚さん、鑑識が到着しました。




 外から、声を掛けられた。


 瞬間、ハッと我に返った袴田は、急いで男の手にポータブルPCを戻す。いくら身内とはいえ、勝手に現場を荒らすのはよろしくないからだ。


 先に入る事が許されているのだって、いちおうは『I・A事件』の捜査を任されているからで……それですらも、絶対的な優先権があるかといえば、そういうわけでもない。



「勿塚、出るぞ」

「あ、はい、わかりました」



 とりあえず、あまり無理に長居すると睨まれてしまう。ポータブルPCに関しては、事前に話を通しておけば後で確認出来るだろう。


 そう判断した袴田は、勿塚を伴って外へと向かうのであった。


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