野菜の神様(ホラー)
梓萌(ズームォン)は神様というものを知らない。自分の家でも、他所の家でも外でも、そんなものは見た事が無いし、神様が云々と言うような者も見た事が無かった。
日本に来て奇異であったのが、小さな木造の家が所々にあり人々がそれに手を合わせている事だった。大抵その中には石で作られた人形が置いてある。
また、トリイと呼ばれる柱で囲ったようなものがあり、それをくぐった先には人が住めそうな大きさの木造の家がある。人々はそれにも手を合わせていた。
そこにも石像があるのだろうか、と目を凝らしてみると、丸い鏡が置いてあった。
「詳しい事は知らないけど、あれは日本の神様だよ。」
そう教えてくれたのは同僚の夏雲(シアユン)だ。
彼女は日本に来るのが今回で二回目なので、梓萌よりも多少日本の文化に詳しかった。
「石や鏡に手ぇ合わせて、何か良い事あんの?」
「日本には八百万神様がいるって信仰でね、石には石神様、鏡には鏡神様がいるって考えからじゃない?」
「八百万いる中で、何で石と鏡を選んだんだろうね?例えばレタスの神様とかは、蔑ろにしてるわけじゃん。」
「レタスは腐ったら取り換えなきゃならないから、面倒だったんじゃない?
石と鏡ってその必要が無いし、手軽だし、それに…何か神秘的な感じするじゃない。」
「石と鏡の神様が、日本人を守っているのか…」
梓萌はポツリと呟いた。
中国の農村で生まれ育った梓萌は両親、四人の兄弟姉妹たちとボロ屋で食うや食わずの生活をしていた。
ある日、見知らぬ男が尋ねて来た。糊のきいたシャツに皺の無い、体型に合ったスーツ、喋り方や佇まいも感じが良く、梓萌だけでなく家族も皆その男を信用できる、と思った。
男は、日本で働かないかと梓萌に言った。現在日本は技能実習生という形で外国人労働者を欲しがっているという。日本で働けば大金を稼ぐ事ができ、美味い飯を腹いっぱい食べる事ができる、渡航費用を払う必要があるがそんなものはすぐに返せると言われた。
梓萌の両親は借金までして、数年分の年収並みの渡航費用を揃えてくれた。
男の言った事が嘘だと分かったのは、日本に来てからだ。
配属先はレタス農家。まだ暗いうちから起きて働き、終業は夜11時。休憩はトイレへ行く事すら減給対象となる。時給は300円、残業代は無しで、おまけにここから食事代を2000円も引かれる。梓萌は日本の物価事情に詳しくないが、それでも握り飯2個に2000円分もの費用がかかっているとは思えなかった。
それだけではない、レタス農家の夫妻は梓萌ら技能実習生たちをやたら「君たちは家族だ、娘のようなものだ。」と言い「家族だから」と自宅の掃除や洗車などの家事に駆り出した。
――何が家族だか。だったら何で、そこで寝転んでる自分の息子や娘には家事も仕事もやらせず遊ばせてんのよ?
娘ですって?ハウスキーパーでしょ。いや、ハウスキーパーは賃金を貰っているけどこれは無償労働、ハウスキーパーではなく奴隷だわ。
梓萌はそう内心毒づいた。レタス農家の住む家から少し離れた所にある、木造の今にも崩れそうな小屋、そこに梓萌は同じ実習生ら5人と共にひしめき合って暮らしている。
もちろん冷暖房は無く、屋内は夏は蒸し暑く冬は凍えるような寒さで、ペットボトルに沸かした湯を入れ湯たんぽ代わりにしている。
――私たち、人間扱いされてない。
度々そんな事を思うのは、梓萌だけではない。しかし渡航費用のために借りた借金を思うと、帰るわけにはいかないと思うのだった。
梓萌は小さな家屋にあった石像、そして人が住めそうな木造家屋の鏡を思い出していた。そしてそれらに熱心に手を合わせる日本人たちの姿を。
――鏡と石の神様が日本人を守っているから、私たちをこんな目に遭わせても彼らは安逸に暮らしていけるのだわ。
あれらを壊してやれば、あいつらに罰でも当たるのかしら?…いや、駄目。そんな事をしたら即、国へ送還されてしまう。そしたら、一家で莫大な借金を背負う事になって、それに…中国の受け入れ機関に書かされた誓約書に違反したとして、莫大な罰金までもを課せられてしまう。そうなったらもう、私たち家族は暮らしていけない。
梓萌は溜息をついた。神様が八百万いるのなら、そのどれか一つでも自分たちに味方してくれる神様はいないものか、と思った。
――レタス…
夏雲との会話を思い出した。彼らがレタスに手を合わせる姿を見た事は無い、つまりレタスの神様は蔑ろにされていると考えても良いのではないか?
そこに自分たちが手を合わせ、重んじれば自分たちの味方になってくれるかもしれない。
梓萌はその夜こっそりレタス畑へ行き、畑に並ぶレタスたちに手を合わせて藁にも縋る思いで祈った。
――どうかあいつら日本人に復讐してください。そして、私たち皆大金を持って帰国できますように。
そっと目を開け前を見ると、何も変わらず夜空の下でレタスが並んでいる。
梓萌は急いで小屋に戻った。
次の朝、レタス農家の日本人たちは皆顔色が優れない気がした。彼ら一家だけではない、道行く人々が皆蒼白な顔でフラフラとしている。
レタスの神様のおかげだろうか、と思った梓萌はその後、毎晩レタス畑に感謝を捧げに行った。
ある日、レタス農家の主人の家を掃除している時の事である。
夫妻が何んとなしにつけているテレビから、日本の多くの人々が酷い悪夢にうなされるようになったとの情報が流れて来た。
早朝から夜遅くまで、休憩も無くレタス農の仕事をさせられ、粗末な小屋で数人ひしめき合って生活させられる等…これが悪夢の内容である。
さらに通常夢では感じる事が無いはずの痛みや暑さ寒さ、疲労などを明確に感じてしまうそうだ。なので皆、起床するとものすごく疲れており、中にはそんな悪夢が続いた事で精神を病んでしまう者も珍しくないという。
夫妻は変わらず蒼白な顔でぼんやりとしており、テレビから流れる情報が耳に入っていない様であったが、梓萌は――レタスの神様のおかげだ!――と確信した。
梓萌はその夜、他の皆にこの事を伝えた。皆、驚いた顔をしていたが、すんなりと信じた。彼女たちもまた、藁にでも縋りたいという程の思いだったからだ。
そしてその日から、レタス農家の実習生全員でレタスに手を合わせて祈るようになった。
やがて、レタスを口にしなければ悪夢を見なくて済むという話が広まり、日本人たちはレタスを忌み嫌い絶対に口にする事が無いよう警戒し始めたため、レタス農家は追い詰められそれは梓萌たちの居る所も同様であった。
そしてある日、梓萌たちの居るレタス農家の一家は皆首をくくった。警察の捜査による近隣住民の話によれば、彼らは前々から精神面に不調をきたしていたという。
梓萌たちはレタス畑に平身低頭し、感謝の祈りを捧げた。
梓萌たちは次に、養豚場へ配置された。そしてそこでも同じく非人道的な扱いを受けたので、彼女たちは養豚場の豚たちに手を合わせて祈った。
するとレタスの神様がしてくれた事と同じ事が起きて、日本人たちは国産の豚肉を忌避するようになり日本中の養豚場が廃業に追い込まれた。また「あの会社の商品を食べると悪夢を見た」という風な噂が立った事で多くの大手を含む食品メーカーが倒産した。
次に裁縫業へ回され、そこでも扱いは変わらなかったため、彼女たちはミシンに手を合わせた。ミシンの神様もレタスや豚肉の神様同様に働きかけてくれ、裁縫企業のみならず多くのアパレル会社が倒産した。
こうして梓萌たちは大根農家や米農家、養牛場、酪農家、養鶏場などと様々な場所へ配置される度に祈りを捧げ、神々は彼女たちに応えてくれた。
嬉しい事に、彼女たちが場所を離れ目の前で手を合わせる事ができなくなっても、神々は彼女らに応える事を続けてくれた。つまり彼女らの手を介して作られた食品でなくとも、例えば日本国内で採れたレタスを口にした日本人は酷い悪夢に襲われる事となった。
…………………………………………………………………
朝七時、梓萌は食べ終えた食器を洗浄機に入れた。食卓ではまだ夫が三歳の娘に朝食を食べさせている。
技能実習生としての期間を終え帰国した梓萌はこのマンションを購入し、貯金もじゅうぶんに貯える事ができている。
日本にいた時期は辛かったが、それでも自分をあんな目に遭わせたり、自分たちの存在を臭いものに蓋をするように見て見ぬふりをして恩恵だけを受ける日本人たちに復讐してやれている事が救いになった。
あれから日本は大中小問わず、企業が軒並み倒産。「日本産の物を買うと悪夢を見る」と、海外への輸出も大幅に減った。
日本国内には貧困や精神疾患が蔓延し、正に焼野原だ。そういうわけだから、当然技能実習制度は無くなった。
金持ちや権力者たちは国外へ逃亡したが、神々は逃さなかった。彼らが口にする肉や野菜、着るものが日本国外で作られたものであっても、変わらず悪夢に襲わせたのだ。
日本を出ても活動する事のできる八百万の神の力に、梓萌は少し驚いた。
ある日、豚の角煮を作ろうと豚ブロックを取り出した梓萌は、包丁で切る前に静かに手を合わせ感謝を捧げた。
食品を見た時、扱う時必ずと言ってもいい程彼女はこうしている。
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