頭痛(ホラー)
金曜日の昼、休憩のため職場の外に出た楠雪亮は、会社から出て右側の道を50メートル程行った先に、ポツンと一本の木がある事に気付いた。
木はおそらく165センチある雪亮の背丈と同じくらいに見え、遠くからだと背の低い幹の上に丸々とした緑色の球体が乗っている風に見える、そんな木だった。
雪亮はその木の側へ歩いて行きたくなったが、50メートル程の距離が今の彼には非常に高いハードルとなっており断念した。
雪亮は今、一週間分の疲労に参っており今にも倒れそうな程であったのだ。常に金曜はこの様な状態だが、今日は頭痛まで抱えている。
深夜一時、就業し外に出た雪亮が右側を見ると、昼に目をとめた木が黒い影と化して変わらずそこに佇んでいる。
頭痛はますます酷くなっていた。疲労も限界を超えている。しかし雪亮は、フラフラとその木に向かって歩いていた。
まるで操られてでもいるかの様だ、と雪亮は思った。
近くまで寄ると、思っていたより木は背丈がある。2メートルくらいだろうか、遠くから見ると球体に見えていた葉達は夜風に揺れて音を立てており、昼間は緑色に見えていたのに今は全てが黒く、得体のしれない怪物の様に見える。
雪亮は木に向かって手を合わせた。そして――
「頭痛が治りますように。」
なぜこんな事をしようと思ったのか、雪亮自身にも分からなかった。
目の前のこの木が普通の、ただの木に見えず、この世のものではない霊的な存在に見えたからかもしれない。
夜風が強くなり、葉のさざめきが強くなった。
…ヨコセ…ヲ
葉と葉が擦れ合う音に交じり、声が聞こえた気がした。
…ヨコセ…
気のせいかと思ったが、今度ははっきりと聞こえる。
…イケニエヲ…ヨコセ
――イケニエ?生贄の事か?しかしこの辺りでどうやってそんなものを…
ミャア…
猫の鳴き声がしたので振り返ると、そこには職場で皆が餌付けしている猫がいた。
この猫は用心深く、たいていの人間が近寄ると逃げて行く。雪亮も逃げられてしまううちの一人だが、おそらく過去に人間から痛い目に合わされたのだろうと思っており気を悪くした事は無い。
しかしこの時の猫はいつもと違っていた。雪亮が近寄っても逃げようとしない。
雪亮は猫を抱えるのだが、猫はそれにも全く抵抗せずされるがままであった。
猫を抱え木の方を向くと、木は夜風に葉を揺らしながら「おいで、おいで」をしている様に見える。
雪亮は猫を木の根元に置いた。猫は相変わらず逃げる様子が無く、大人しく佇んでいる。
ブチブチという音がして、地面から細い紐が何本も姿を現した。紐にはさらに細く細かい紐が所々に伸びており、雪亮はそれらが根であると判断した。
根たちはシュルシュルと猫に絡まると球状になり、猫の姿はあっという間に根に隠れて見えなくなった。
根たちは猫を包み込むと、ズブズブと音をたてて再び地面に潜り込んでいった。
目の前の風景はあっという間に元通りになり、何事も無かったかのように目の前の木は夜風に揺られている。
そして雪亮は、頭痛がすっかり消えている事に気付いた。
まるで悪夢の様な光景であったが、その夜以来猫が職場に現れなくなった。
それだけではない、職場の誰もが猫の事を忘れているのだ。いや、最初からそのような猫はいなかったとでもいう風である。
雪亮はその夜もまた、あの木の前に立ち寄った。木は以前よりも少し、大きくなった気がする。葉や枝が増え、幹も太く長くなったように見えた。
木は雪亮を歓迎する様に、枝葉をザワザワと揺らした。
雪亮はこの日、近所の野良猫を確保してケージに入れて持って来ていた。
根元に置くと、木は根っこをシュルシュルと出して猫を包み込み地面に沈んで行く。
雪亮は今度は何も願わなかった。彼はただ、育てている植木に水をやるように、ペットに餌をやるような気持ちでこの不思議な木に生贄をせっせと運んでいる。
餌をやればやるほど木が丈夫に大きくなっていく事が楽しみだった。
いつしかこの木に生贄を運ぶ事が雪亮の生きがいとなっていった。
生贄を食べた木は満足そうに枝葉を揺らし、雪亮はそれを慈しむように眺めた。
雪亮は木が大きくなったのを見て、もっと大きな生贄が必要だと考えた。
そこで職場の上司や同僚に頭を下げて何とか木の根元に立たせては、餌とするようになった。
職場の人間は居なくなっても、すぐに代わりの者が入り不自由しなかった。
また、110番通報し警察を呼んで木の根元に立たせて捧げる事もした。
木はどんどん巨大化し、市全体を覆う程になると行政が撤去に動いた。
ブチブチと巨大な、長い根が何本も地面から這い出した。根は市や県どころか日本中に張り巡らされており、国中で震度10を超えるであろう地震が起きた。
家々どころかビルや国会議事堂、皇居なども破壊され、一瞬にして根に飲み込まれて地面に消えた。
現在、人間を始めとする動物の絶滅した日本は木々や草木、花々に覆われた植物の楽園と化している。
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