氏神様(ホラー)
大橋陽成は乗用車の中で一人、地図と睨めっこをしている。
スマートフォンでグーグルマップを見ようとしたのだが、この辺りには電波が通っていないらしい。
ここは山の中の道路で周囲は木々ばかり。人や他の車が通る気配も無い。幸いにしてガソリンはあるのだが、まさか冬でもないのに遭難するとは自分の間抜けぶりが情けなくなる。
時間は夜七時を回り、初夏とは言えさすがに暗くなった夜の山の中をうろつくのは得策ではないと思った。
――仕方がない、ここで車中泊するか。
そう思った時、フロントガラスを外からノックする音が聞こえて目を向けると、老婆が不思議そうにこちらを見ていた。
フロントガラスを開けた陽成は軽く頭を下げ
「どうも、こんばんは。」
と挨拶した。
「何やってんの、こんな夜遅くにこんな場所おったら熊に食われるで。」
「熊?熊なんているんですか?!」
「ああ、せやさかい、この辺りは夜になったら危ないんや。あんたもさっさと帰り。」
「実は僕…道に迷いまして。」
「どっから来たん?」
「千葉です。」
「えらい遠くから来たなー、もう遅いから今日はうちの村に泊まったらええわ。」
老婆に従う事にした陽成は、助手席に彼女を乗せて村まで案内してもらう事にした。
「お婆ちゃん、あそこで何やってたんですか?」
「山菜取りや。ホラ」
そう言って老婆は持っていた籠の中身を見せた。中には山菜らしものが入っていたが、詳しくない陽成にはつくしとよもぎ、ゼンマイくらいしか分からない。
「けっこう距離ありますね、お婆ちゃん僕と会わなかったら歩いて帰るつもりだったんですか?」
陽成はステアリングを切りながら聞いた。
「私は慣れとるさかい、もう何十年もこの道歩いとる。せやから心配いらんのや。」
――足腰が丈夫なんだな。
その村は鬱蒼とした木々に囲まれており、夜とは言え非常に静かだった。
民家は人が住んでいるのかいないのか、よく分からないものが多い。どこも灯りが点いておらず、しかし庭も家自体も綺麗な状態である。
――早い時間だが、既に皆就寝したのか?小さな山奥の村となれば、住んでいるのは老人ばかりだろう。老人は早寝だと聞く。
老婆に案内されたのは、一軒の民家である。ここも灯りがついていない。老婆はここで一人で暮らしているのか。
老婆は車を降りると、さっさと民家の玄関へ向かい鍵を開けるとガラガラと音を立てながら戸を開けた。
陽成も後を付いて行ったのだが、老婆は真っ暗な玄関の灯りも点けずに上がって行く。
玄関から一番近い部屋に着くと、ぽうっと灯りが漏れた。
天井に昔ながらの蛍光灯がぶら下がっており、下へ垂れているスイッチを引っ張る仕様であった。
蛍光灯の灯りはオレンジ色で照らし出す規模も小さく、まるで蝋燭の灯りの様である。
「電気はここのコレしか無いんよ、我慢してな。」
「いえ、そんな。泊めていただけるだけでもありがたいです。」
「あんた、夕飯は?もう食べたん?」
老婆は玄関へ向かおうとし、振り返って聞いた。
「いえ。」
「ほな、何か持って来るわ。あり合わせで悪いけど。」
そう言うと、老婆は外へ出て行きしばらくしてトレイに皿を乗せてやって来た。
皿の中身は薄暗くてよく見えないが、チャーハンの様だ。
口に入れると、肉とそしてよく分からないプチプチとした粒状のものが具だと分かる。
食べながら陽成は、老婆から布団のある場所や風呂場、トイレの場所などを聞いた。
てっきりここは老婆の住む家と思っていたのだが、彼女はこの近くに住んでいるそうで、この民家には今は誰も住んでいないという。
なぜ誰も住んでいない家に、電気やガス、水道なんかが引かれているのだろうと思ったが、疲労もあって聞く事が億劫になり何も尋ねなかった。
老婆が帰ると、陽成は風呂に入り早々に布団に包まった。疲れていたのですぐ意識は沈んでいった。
…レ
…エレ
声が聞こえて、思わずがばと頭を上げて見ると、壁際に男が一人立っている。
強盗かと身構えた陽成に、男は一生懸命何かを訴えていた。
…カエレ…ハヤク
…ウジガミニ…
男の顔はこの世の者とは思えぬ程蒼白で、白目は驚く程充血している。充血した目で陽成を睨み、何度も繰り返し同じ事を言っていた。
目が覚めると部屋には明るい陽が射しこんでいて、すっかり夜は明けている。
――あの男は夢だったのか?いやにはっきりした夢だな…何て言ってたっけ?
カエレ、ハヤク、ウジガミニ?さっぱり分からない。
茶の間の方へ行くと、いつの間にか老婆が来ていたらしい、朝食が丸テーブルに乗っていた。
白飯と薄切り肉と野菜の炒め物、鍋に味噌汁、青菜の和え物という献立だった。
外に出て村を散策すると、夜は暗くて見えなかったが田畑があり、村人たちがちらほらと畑仕事をしている。
休憩中の村人から聞くところによれば、この村の人々はここで取れる米や野菜で食材を賄っているらしい。
人口の少ない村だからじゅうぶん足りているのだろう、村人たちに飢えている様子は無い。
顔を上げると、畑沿いの小道を神主風の男一人に付き添いが数名歩くのが見えた。
「今日は氏神様に感謝を捧げる日や」
そう言うと、村人は神主たちの後に続いて歩き始め、他の村人たちも手を止め同じように後へ続いた。
神主を先頭に、村人たちがぞろぞろと歩く異様な光景を見て、陽性も後を追った。
着いた先は神社だった。石造りの立派な鳥居の先には手入れの行き届いた庭や社が見える。
神主は社の前でよく分からない、しかし神事の際よく聞くような事を声高々に述べており、彼の背後では村人たちが皆土下座の姿勢をとっていた。
やがて神主が述べ終わると、人々は皆神社からぞろぞろと出て行った。各々の仕事場へ戻るのだろうと思われる。
神主が一人残っていたので、陽成は声をかけ
「ここの人たちは、氏神様への信仰心が篤いのですね。」
と言うと
「それはもう、我々皆氏神様のおかげで生きられているようなもんですから。」
と神主は返した。陽成は神主の、その言い分に違和感を感じたのだがそれが何なのか分からなかった。
社を見やると、格子状の隙間から薄暗い中が見える。普通ならここには鏡が置かれているはずだった。
しかし、そこには鏡ではなく大きな人形が置いてある様に見える。
神主が居なくなると、辺りを見回して誰もいない事を確認し、社に近づいて格子に顔を近付けた。
人形は等身大程、床にべた座りで足を広げ、肩は落ち項垂れる様な姿勢だ。
陽成はその姿に思わず見とれた。影が濃く、姿がはっきりと見えないからこそ謎めいていて心惹かれるものがある。
――あれは人形ではない、人間ではないか?何らかの理由があって、ここに居なければならなくなった人なのかもしれない。
陽成は側に寄りたくなり、格子を握りしめた。
「何やってるんですか?」
背後から声がして、心臓が飛び出さんばかりに驚いて振り向くと神主がいた。
「すみません、中に人形がいる気がして。社の中に人形がいるとか珍しいと思って、つい中を覗いてしまいました。」
「ああ…これは氏神様からの恵みを受け取る…器のようなもんですわ。」
――――――――――――――
その夜、陽成は昨夜と同じ夢を見た。壁際に立つ見知らぬ男が「カエレ…ハヤク…」と言っている。
陽成はあの社の中にいる人形に惹きつけられ、帰る気になれない。
――人形?いや、彼は人だ、人に違いない。何とかして彼に会えないものだろうか。
まだ深夜だというのに、陽成は布団から起き上がると神社へ向かった。
深夜の村にも神社にも人影は無く、虫の鳴く声と木々や葉のざわめきだけが夜空に響いている。
陽成は再び辺りを見て誰もいない事を見ると、社の戸をそっと開けて中に入った。
暗い影に隠れた彼にスマートフォンのライトを当てる。
と、思わず腰を抜かした様に尻もちをついた。
彼は陽成の思った通り、人間であった。
全裸でベタ座りする彼の体は、体中が削られた様になっており骨が見えている。そして既に眼球の無いその穴からは大量の蛆虫が飛び出ていた。
「田畑だけでは野菜や米、大豆が取れる。」
声がしたので振り向くと、いつのまにか神主が立っている。
「せやけど、ここには肉も卵も魚もあらへん。そこで氏神様に頼る事にしたんや。氏神様は定期的に他所から肉を与えてくださるようになった。
肉におまけで付いてくるコレがその証や、氏神様がわしらに『食べや』と言って与えたいう証…」
死体からはみ出した蛆虫をつまみながら、神主はそう言った。
――氏神様、というのは「氏神」ではなく「蛆神」だったのか。そう言えば、ここへ来た時食べたチャーハン…あれに入っていた肉、そしてプチプチとした粒はまさか…
それだけじゃあない、ここではやたら肉が食膳にのぼる。それもきっと…
陽成は吐き気がこみ上げ、口を押えた。
「そろそろそいつは食べられる箇所が少ななってきたと思てたんや。そこへあんたがやって来た。蛆神様はいつもこうして、肉が足りんようなってくると他所から与えてくださる。ホンマにありがたい事や。」
言いながら、神主は立ち上がれずにいる陽成にゆっくりと歩み寄って来る。神主の陽成を見る目は、正に食料を見る肉食獣の様であった。
―――――――
格子状の扉から陽が射し、朝が来た事を察した。
目の前にはすっかり骨と皮だらけになった食料と、新な食糧…神主であったものが並んでいる。
神主とは体型が似ていたようで、服は陽成の体にぴったりだ。
「神主さん?おはようございます…」
村人の何人かが遠慮がちに格子扉を開けて中を窺った。陽成の姿と背後にある存在を見て一瞬驚いた顔をしたが、すぐに破顔した。
「おはよう。蛆神様が肉を新たに与えてくださったよ。」
「そうなんですね、ありがたい事です。これで引き続き豊かな生活を送る事ができます。」
村人たちはそう言って手を合わせた。
丸裸の新たな食糧には、既に白い蛆がわき始めている。
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