駅地下デビル
渡貫とゐち
駅地下デビル
駅の地下。
改札から遠く、出口までまだ距離がある通路で、小学生くらいの男の子が泣いていた。
泣いているだけなので、転んで怪我をしたのか、お母さん(もしくはお父さん)とはぐれてしまったのかは分からない。
男の子は泣きながら、太い柱の周りをぐるぐると周っている。なにかしていないと不安になるのだろう。
とにかく動いて、泣き叫んで――
気を紛らわせているらしいが、泣き止む気配はなかった。
「……誰も声をかけないな……」
すれ違う人は多い。
通勤ラッシュ時間ではないものの、それでも利用者数が多い路線が集まっている駅だ。乗り換えをする人が多いのか、小走りで通路を通り抜けている。
ちらりと泣き喚く男の子を見たが、止まっていられない、とすぐに目を逸らした。
見て見ぬ振り……だけど、外せない用事を優先することを咎めるべきではない。
屈んで男の子に寄り添い、「どうしたの?」と聞く人は未だに現れていなかった。
「おっす、待ったか?」
「ん? ああいや……早めにきたが、待ってはいないな。暇じゃなかったし……問題ねえよ」
待ち合わせ場所で友人と合流する。
男の子の動向を見ていたら、気づけば早めに着いていた十五分を消化していたようだ……、つまり泣き叫ぶ男の子は、十五分もあの状態のまま放置されていたということである。
誰も助けない……、この場所も悪いのか。
急いでいる人が多い通路だ、時間があれば声をかけていた人も、今だけは無理だと、心の中で謝りながら見て見ぬ振りをしたのかもしれない……。
――誰かがやるだろう、と期待をして――。
誰かが声をかけることもない。
全員が同じことを思っていれば、譲り合って(今回の場合は任せ合って)誰も手を出さないことになる。
声をかけないのは、まあ百歩譲って分かるが、しかしこれだけうるさく騒いで、駅員さんの一人もこないのは珍しい。
緊急の仕事に足を止められているのか、それとも単純にまだ認識していないのか……
「泣いている男の子がいました」と報告する通行人もいなかったわけか。
それさえも『誰かがやるだろう』と任せ合って、誰も手を出していない結果になっている――奇跡だな。
一人ぐらい、してそうなものだけど。
「子供が泣いてるけど、あれ、どうしたんだ? さっきからずっとだよな?」
「親とはぐれたのかもしれないけど……『おかあさーん!』って呼んでるわけでもないし……迷子じゃないのかもしれないな。
転んだようにも見えない――
まあ、膝に怪我がないからって、転んでないと決め付けるのは早計だけど」
「……誰も声をかけないんだな……、やっぱ、都会は薄情な人間の集まりだ」
「それは偏見過ぎるだろ……俺も最初はそう思っていたものだけど」
上京して一年も暮らせば分かる。
都会は、人の親切も相手の捉え方次第では、犯罪になったりするのだ。
そういうつもりがなくとも『そう感じた』と主張されたら、有罪にならなくとも犯罪者(っぽい)と周囲に認識される。
事実がどうあれ、そう思われることが、どれだけ人間社会で不利を抱えるか……。たったそれだけで道を踏み外す事例なんていくつもあったのだ……、誰もが警戒するのは当たり前だ。
し過ぎなくらいでいいだろう。
し過ぎなくらいでも、まだ足りないかもしれない。
「オレ、声をかけてこようか? 村じゃこういう時、大人が一丸となって助けるもんだけど……そういう土地柄で育ったんだ、あれを見て、見て見ぬ振りは気持ち悪い……」
「まあ待て。一応、教えておくが……、この光景の一部始終を見ていた相手なら、理解を示すだろう……それを挙手して、証明してくれるかは分からないが……。
今、泣き叫ぶ男の子に、お前が近づいたとしよう……『大丈夫?』なんて声をかけて。だけど男の子が泣き止まなかったらどうなる? その場面だけを見た通行人は、お前があの子を泣かせたと思うだろう? 誤解をした通行人が警察に通報でもしたら……」
「見て見ぬ振りをするなら、通報もしないんじゃないか?」
「目の前に分かりやすい悪人がいれば動くんだよ。そういうもんだよ、人間って」
男の子を助けることで、与えてしまう『相手の利益』よりも、悪人を裁くことで与える『相手の実害』の方が動きやすい。他人を蹴落とすことは、喜んでできるのが人間だ。
褒めるよりも貶す意見が世の中には多いことが証明になるだろう。
「だから声をかけるなら、相応の覚悟を持っていけよ。
俺も上京をしたばかりの頃はやられたからな……、その時は女性の介抱だったんだが……親切心で助けたら、『体を触られた』って言われてな……。
有罪にはならなかったが、面倒なトラブルだったよ……」
それ以来、女性を助けたことはない。
もちろん、不満を言う女性ばかりでないことは百も承知だが、一度、実害を被ってしまっていると足は動かない……、トラウマになってしまっているのだ。
……、まあ、困っている女性自体を見ないので、見て見ぬ振りをしたことはないが……、女性が困っていたら助けてあげよう、と思うのは、俺が男だからだろう。
相手が同性だったらきっと、そんなことは思わない……自分でなんとかしろと思う。
女性『だから』困っている、とこっちが判断するのは、それはそれで偏見だろうし……女性側からしたら決め付けるなというところだろう。
女性『も』、困っていたとしても自分でなんとかできるはずだ。
だからあの男の子もきっと自分でなんとかするだろう……と、思うには、やはり小さ過ぎるか……。助けたいのは山々だが、女性を助けて抱いたトラウマと状況が類似しているために、足が動かない……。
待ち合わせ場所の壁に背を預けて、十五分も動けなかったのはそのためだ。
暇を潰していたわけではない……、ずっと、助けたくて足掻いていた。
だけど動かなかったのだ。
重い腰を上げても、重たい足は動かない。
「オレは構わねえよ。たとえ他人からどう思われようと、泣いている子供を見捨てることの方が、オレは苦しいからな――」
友人が踏み出した。
俺には絶対にできない……足を動かして。
「――あん?」
見れば、さっきまで泣き喚いていた男の子がいなくなっていた。
誰かに助けられたのか?
それならいいけど……、しかし、違う。
男の子は、俺たちの目の前にいた。
少し視線を下げると、泣き腫らした赤い目で、俺たちを見上げている。
……なんだ?
安心したから、泣き止んだわけでもない。
転んだ時の痛みが引いたから? そういうことでもない気がする…………そもそも俺たちは、この子がどうして泣いているのか、はっきりとその理由を知らなかった――
「大人さん、勘が良いね」
お兄さんではなく、大人さん……、大人を全面的に良くは思っていなさそうだ。
勘が良い……、もしかしてこいつ、俺たちの会話を聞いていたのか……?
泣いている子供に声をかけた大人に、『子供を泣かせた大人』というレッテルを貼るために――であれば、勘が良いという言葉にも納得だ。
つまりこいつは、俺たちをターゲットにしていたわけか……っ!
「勘が良い大人はきらいだよ」
「お前こそ。……癇に障るクソガキだな」
泣いている子供は罠だ。
……こういう体験が、さらに助けにくく、足を重たくさせているのかもな。
―― 完 ――
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