⑤世界が始まる音
「茉優が本間と仲良くしているのは知ってたんだ。けど、本間の女好きは学内でも有名で、まさか茉優がアイツになびくなんて思ってもみなかった」
「どうしてそんな事になったのですか?」
「寂しかったんだって。俺がいつも小説の事ばっかりで――って言ってたけど、俺は俺なりに、真剣に気持ちを伝えて来たし、出来る限り、彼女に時間も金も費やしてきたつもりだった」
「二人はその……なんていうんだろう? エッチしてたんですか?」
迷いを見せた割に、ストレートな質問だ。
「うん。してた」
あれは、去年。12月の始め。
年末に締め切りを控えたコンテスト作品の仕上げに入っていた頃だ。近所のショッピングモールに入っている映画館で、茉優が観たがっていた映画を観て、この部屋に戻って来た。
『私の事は気にしないで』
茉優は確かにそう言った。
壮一はいつものように、ワイヤレスイヤフォンを両耳に突っ込んで、自分の世界に浸り込み、パソコンに向かっていた。
どれだけの時間をそんな風に過ごしていたのかは定かではない。
突然、外の世界と物語の世界が解離され、現実に引き戻される。
背後から茉優がイヤフォンを引っこ抜いたのだ。
不満げな顔で、イヤフォンを取り上げ自分のハンドバッグに仕舞った。
『え? ちょっと、返せよ』
その行動の意味を、壮一は理解してやる事ができなかった。
『返さない!』
今ならば、寂しかったんだな。一緒にいるのに他の事に夢中になっている壮一に幻滅ないし、怒っていたのだとわかる。
しばし、言い合いした後『もういい。帰る!』
茉優はバッグにイヤフォンを仕舞った事を忘れていたのか、そのままこの部屋を出て行った。
初めてのけんかだった。
イヤフォンがバッグに入ったままだ、と、壮一が気付いたのはそれから30分ほどが経った頃だ。
あれがないと、執筆に集中できない。
茉優に電話をしたが、留守電で繋がらない。
まだ怒ってるのかな?
そんな事を思いながら、しばらく一人で過ごしたが、ふと思いつく。
イヤフォンを落とした時のために、アイフォンのGPSと連動させていた。
アイフォンを操作して、位置情報を確認すると、案外近くにいる事がわかった。
なんだ、帰ってなかったのか。
もしかして壮一が追いかけてくるのを待っているのかも。
そう思い、コートを引っかけてその場所を目指した。
壮一のアパートから駅に向かって徒歩5分ほど。
風俗店やラブホテルが建ち並ぶ、少々治安の悪い区域だ。
何かあっては大変だし、もしかしたら茉優は泣いているかもしれない。
そんな事を思いながら走った。
しかし、そこで見たのは、本間と茉優がホテルに入っていく姿だった。
それが、初めてだったのか、何度目かだったのかはわからない。わかりたくもない。
そのまま待ち伏せして、問い詰めたが悪態をつかれて終了。
ヘラヘラと壮一を見下す本間と、被害者面して嫌悪の視線を向ける茉優を、何度も殺してやりたいと思った。
『寂しかった――』
もっと早くその言葉を聞いていれば、結果は違っていたかもしれない。
女が爆発した時はもう終わり。
我慢に我慢を重ねて、茉優なりに限界だったのかもしれない。
今、この瞬間、壮一はようやくそんな風に思えた。
「けど、もういいんだ。俺は二人の関係を知った瞬間、世界が終わる音を聞いた」
「どんな音ですか?」
「耳の奥でキーーンって。脳も心臓もつんざくような残酷な音だ」
「痛い……」
「うん。痛かった。とても。でもね、君としばらく一緒にいて、ああ、この子好きだなって思った瞬間、再び世界が始まる音が聞こえたんだ」
「どんな音ですか?」
「シャララララ~~ン。みたいな」
自分で言って、笑ってしまうぐらい恥ずかしい。
しかし、そんな言葉が簡単に出てきてしまうぐらい、壮一の情緒はバグっていた。つまり――。
「つまり、そんな痛みが薄れてしまうぐらい、君に恋をしたって事」
小山内さんは、少し瞳を潤ませながら、何か言おうとしている。
「私……」
上手く言葉が出て来ないようなので、壮一は話を続ける。これは、壮一から言わなくてはいけない言葉だ。
「俺と付き合ってほしい。俺の、彼女に、なって、ください!」
小山内さんの顔には満開の笑顔が咲いて、恋の協奏曲の始まりを期待する。
「はい! お付き合いさせていただきます」
「本当?」
「はい。ほんと」
「本当に?」
「はい!! 本当に!!!!」
壮一は思わず立ち上がった。
いつも泣いていた窓辺に行き、ガラガラガラーっと、窓を全開にした。
両手で拳を握り、天に突き上げて、叫ぶ。
「やったーーーーーーー!! 彼女ができたー! めちゃくちゃかわいい彼女が……ついに出来たぞー!! やったーーーーー!!!」
この幸せを、世界中に見せびらかして、自慢してやりたい。
この上ない喜びの頂点に立った勢いで、小山内さんに向かって両手を広げた。
彼女は恥ずかしそうに、しかし躊躇なく立ち上がり、胸の中に飛び込んで来た。
華奢で小さくて、柔らかい。
容赦なく五感を刺激してくる彼女の存在を、優しく、力強く抱きしめた。
「私、約束します。絶対浮気はしません。この恋を終わらせたくありません」
「絶対幸せにする。俺も、君を泣かせるような事は、絶対にしないと約束するよ」
そんな約束は幼稚だ、などという事は百も承知である。気持ちなんてものは流動的でいくらでも形を変える。だからこそ恋は狂おしく残酷なのだ。
しかし、落ちてしまったのだから仕方がない。
「絶対に終わらない恋をしよう」
「私、幸せすぎて泣きそうです」
そんな事を言うもんだから、さらに強く抱きしめる。
「キス、してもいい?」
耳元でそっと囁くと、彼女はきゅっと体を固くした。
そして、おもむろに壮一の顔を見上げて、戸惑いながらうなづいた。
化粧がすっかり落ちた、柔らかそうな裸の唇に、壮一はそっと唇を重ねた。
息が止まりそうなほど胸が早鐘を打つ。
柔らかくて、温かい。
わずかに震えている彼女の唇は、甘酸っぱいケチャップの味がした。
・・・・・・・・・・・・
次回予告。
二人が恋人同士になって、初めての夜です。
どんな一夜を過ごすのか、ご期待ください。
非リア充の方には、ちょっと刺激が強い、もしくは胸糞だと思われますので、飛ばし推奨です^^
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