⑤飢えた狼が跋扈する居酒屋で――

「無防備な姿を男にジロジロ見られると、エロい気持ちになるよ」

 カンザキはそっと壮一に耳打ちした。

 それは君が露出狂だからじゃないの? と言いたかったがやめておいた。

 性癖の開拓になってしまうかもしれないが、異性に見られると言う刺激は、エロ化に必要なんじゃないかと、壮一も思ったからだ。


 ガラガラと入口の引き戸を開けると、「らっしゃーーい」と無駄にデカい声が三人を迎えた。

 カウンタ―にずらりと並ぶスーツ姿の男たちからは、飢えた匂いが漂っている。

 壮一たちに視線が一斉に降り注ぐ。

 その視線を戻しかけた男たちは、再び振り返った。つまり、二度見。


 傍から見たら、壮一はモデル系美女と、エロカワガールを連れて歩いている、しょぼくれた青年だ。

 こんな男が、両手に花だとー! と怒り狂われても仕方がない案件なのである。

 普通の男なら、イラっとするだろう。


 しかも、小山内さんは不安定な足元をカバーするように、壮一の腕を抱きかかえるようにして、しがみついている。

 この状況を例えるなら、飢えた野良犬ばかりが放たれたかこいの中に、上等の生肉を咥えた、痩せこけた犬が入って行くような物で。

 ガルルルル、ガルルゥと、威嚇する声が聞こえてきそうだ。


「空いてる席にどうぞー」

 と、愛想のいい声で、店主が雑に案内をした。

 空いている席は、入口に一番近いテーブル席一択。

 奥に壮一が、向かい側に、カンザキと小山内さんが二人並んで座った。


 まだ未成年なので酒は飲めないが、壮一は居酒屋の雰囲気が好きだった。

 酔っ払いを観察するのは実に面白い。


 酒で、羞恥が麻痺した男たちは、何度も振り返り、小山内さんを視線で舐めまわしては、壮一に目をやる。

 尻のすわりが悪いのは、うすっぺらい座布団一枚乗せられた木の椅子のせいだけではない。


「私、ノンアル」とカンザキ。

「私、温かいお茶がいいです」と小山内さん。

 壮一は、賑やかな店内の喧騒に負けないように、大きな声でカウンタ―の店主に告げる。


「ノンアル二つと、熱いお茶を一つください」

 小山内さんは、ノースリーブの薄っぺらいワンピースの上に、春物のパーカーを羽織っているだけだ。しかもパンツを履いてないから、体が冷えてるに違いない。


「鍋でも注文しようか 」

 この店は、二人前から注文できる鍋メニューが充実している。

 できれば、小山内さんが上に羽織っているパーカーを脱がせたい。


 飲み物を運んで来た若い男の店員は、エプロンのポケットから伝票を取り出し注文を聞く。

「ご注文お決まりですか?」

 接客は丁寧だが、風貌はややチャラついていて、学生のバイトだろうなとすぐにわかった。


「シビ辛鍋って、どれぐらい辛いですか?」

 壮一が訊ねると、店員は言った。


「かなり辛いですよ。麻婆風の味付けで、山椒も唐辛子も効いてるので、尋常じゃなくシビれます。汗だらっだらになります」


「辛いの大丈夫?」

 一応、二人に確認する。壮一は、正直あまり得意ではない。


「私は大丈夫!」とカンザキがピースサインを出した。


「私も大丈夫です!」

 と、小山内さんも壮一の顔を見る。


「じゃあ、それを3人前お願いします」


「かしこまりました」


 店員は小山内さんの顔をチラっと見て、少しニヤけた。

 小山内さんはしきりにスカートの裾を気にして、何度もひっぱたり整えたりしている。ノーパンはさすがに、ちょっと刺激が強かったかもしれない。

 嗅覚が研ぎ澄まされている男には、本能でわかるのだ。

 なんか知らないけど、エロそうっていう……。

 シチュエーション的に、もしかしたら、遠隔バイブとか仕込まれてるのかも的な勘違いをさせてしまったかもしれない。

 さすがにそこまではしていないから、どうか仕事に集中してほしい。

 カウンタ―に戻ってからも、こちらが気になって仕方がない様子で、チラチラ確認するように視線を投げてくる。


 案外、早い段階で小山内さんのエロ化は、成功するかのように思えた。


「お待たせしましたー、シビ辛鍋でーす」

 先ほどの店員が、小さなガスコンロに乗せた、見るからに痺れそうな鍋を持ってきた。


「ありがとうございます」

 と小山内さんは、店員にお辞儀をする。

 そういう場面を見ていると、壮一のフィリピンに対するイメージはどんどん変わっていく。

 行った事はないが、路上でたくさん子供を連れた女の人が、観光客に「お金ちょうだい」と言って来るイメージだった。

 そんな地域もあるのだろうが、国のイメージと、そこで暮らしていた人が同じとは限らないのだ。

 そんな事を改めて感じていた。

 そして、壮一は久しぶりに楽しいと感じていた。

 時々こぼれる小山内さんの恥ずかしそうな表情に、きゅんと胸の奥が酸っぱくなる。


 カンザキが小皿に取り分けてくれた鍋からは、いかにも辛そうな匂いが目を刺激する。


「おいしい」

 小山内さんは、うっすらと額に汗をにじませながらも、はふはふと美味しそうに真っ赤な豆腐を頬張る。

 壮一は、見ているだけで汗が出てきそうだ。

 ひき肉や輪切りの赤唐辛子が絡む白菜に、ふーふーと息を吹きかけ、恐々口に運んだ。

 先に香ばしい胡麻あぶらとラー油の香りが口中に広がり、その瞬間は美味しいと思ったが、数秒後にヒリヒリと痛みがやってくる。

 灼けつくような唐辛子の辛味と、山椒のしびれが後を引いて、鼻と喉を刺激する。

 くしゃみは出るわ、むせるわ。

 そんな壮一を見てカンザキは指をさして笑う。

 女子二人は、辛いのが得意なようだ。


「熱いですね。暑くなってきました」

 小山内さんはそう言って、壮一が着せてやったパーカーを脱いだ。

 そして、赤く火照る顔をパタパタと手で仰ぐ。

 大きく開いた胸元も、まるでお酒を飲んだかのように赤くなっている。


 店内の男たちのチラ見の回数は増える。


「みんな見てるよ。小山内さんの事。エロっぽくてかわいい子だなって、きっとみんな思ってるよ」


 壮一は鼻をぐずぐずすすりながら、小さな声でそう言ったのだが、小山内さんは「でも……」と、浮かない顔で、深く俯いた。


 目線の先は、発育が遅れている胸元だ。


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