ルーツ

 ふと思ったのだが、普通の人は自分のルーツをどこまで把握しているものなのだろうか。自分の身を振り返れば、もちろん両親は分かるし、更にその両親である祖父母も分かる。但しその上になるともう既にぼんやりとしたた状態だ。写真で見たことがあるのかどうかも怪しい感じだ。


 代々続く銘家でもなければ家系図などという物もないし、口で伝わるその手の情報はせいぜい二代前、行って三代前ぐらいのものではないだろうか? 同じとところで先祖代々住んでいるという事であれば、銘家でなくとも役所などに行けば調べられるかもしれない。しかし最近ではそういった家は少ないだろうし、最近でこそデータ化されているその手の情報も、昔の物は紙ベースなので調べようもない。


 つまり自分で辿る事の出来る、自分の出自などというものはせいぜい100年かそこらという事だ。これはかなり短い期間ではないだろうか? 令和7年の100年前は大正14年だ。既に明治時代も全く関りの無い昔という事になってしまう。江戸の世なら遠い昔だという感覚は分からなくもないが、明治がすでにそうなってしまっているのだ。


 これがまた時代が進んで行くと、大正も消えて昭和に入っていく。そうして昭和になれば映像の記録も残っているし、終わりの方はデータのデジタル化も始まっているので、やっと個人レベルでの時代の消失が止まってくれるのかもしれない。


 100年でこんな状態なので、1000年前なんて全く訳が分からないし、1万年前なんて全く関りが無く感じられてしまう。しかし実際は親の親の親……と辿って行けば、自分のルーツは絶対にどこかに存在したのだ。そうして辿れば辿る程にその人数は倍倍で増えて行く。子供は男女から生まれるので当然だ。そうして全体人口は時代を遡る程に減って行く。日本人の千年前の人口は約500万人だから現在の24分の1だ。1万年前となると、1~2万人という事なので、多分もう全員血が繋がっているだろう。


 計算するとそれは1万年も遡る必要もなくて、2000年~3000年前でその時にいた日本人は、全て自分の直接の祖先という事になるらしい。これは結構驚きだ。弥生時代は微妙だが、縄文時代の遺跡に住んでいたのは全て自分の直接の祖先という事になる。あの竪穴式住居の発掘現場は、自分のおじいちゃんの家の跡を調べているようなものなのだ。


 博物館に展示されているものは、全て昔の自分のおじいちゃんやおばあちゃんが使っていたものなんだなと思うと、見え方が変わって来るのではないだろうか? そうしてまわりを見回すと、そこにいる人々すべては親戚なのだ。

 何か今、色々と他人に腹を立てている事も、まぁいいかと寛容な気持ちにはなれないだろうか? いや、実の兄貴に自分の飲み物を飲まれても、はらわたが煮えくり返った記憶があるのでそれは無理かもしれない。

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