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2024年12月1日 21:20
十三岡繁さまこんにちは。モンゴル軍には高麗人が協力させられていたようで、となると海に詳しいものも多かったのではないかと思います。でも、モンゴル軍だからというわけでなくとも、海路と陸路だと、やはり陸路を選ぶのではないでしょうか? 物資に制限のある船上からの攻撃はどうしても不利になります。それよりは、比較的人の少ないところで上陸して物資を奪いつつ陸路を攻め上げるのが得策な気がします。元寇に思いを馳せると、九州が大陸との国交の玄関口だったことを改めて気づかされますね。
作者からの返信
おはようございます コメントありがとうございます。どうなんでしょうね?海に詳しい人がいたら、台風の季節に攻めてきたりしないんじゃないでしょうか?それも2回も^_^;。参謀が優秀でも、トップがダメダメだったのかもしれません。弥生時代は大陸からの文化がベースだと思っているので、邪馬台国九州説…というか最初九州で近畿に移った説を私は支持しています。
十三岡繁さま
こんにちは。
モンゴル軍には高麗人が協力させられていたようで、となると海に詳しいものも多かったのではないかと思います。でも、モンゴル軍だからというわけでなくとも、海路と陸路だと、やはり陸路を選ぶのではないでしょうか? 物資に制限のある船上からの攻撃はどうしても不利になります。それよりは、比較的人の少ないところで上陸して物資を奪いつつ陸路を攻め上げるのが得策な気がします。
元寇に思いを馳せると、九州が大陸との国交の玄関口だったことを改めて気づかされますね。
作者からの返信
おはようございます コメントありがとうございます。
どうなんでしょうね?海に詳しい人がいたら、台風の季節に攻めてきたりしないんじゃないでしょうか?それも2回も^_^;。
参謀が優秀でも、トップがダメダメだったのかもしれません。
弥生時代は大陸からの文化がベースだと思っているので、邪馬台国九州説…というか最初九州で近畿に移った説を私は支持しています。