第50話 ライバルとして


ドアには「高等部2学年ホウキレース大会につき司書も応援に出ています」と張り紙がされてあったが、鍵は開いていた。


静かに、扉を滑らせた。カラカラと小さな音が鳴る。本棚のすき間を歩き、ひらけたところに見えた、いつもの読書用コーナーのテーブル。いつも自分が座るお気に入りの窓際の席。その隣に、1人の生徒が座っていた。あの坊主頭は、この学校に彼しかいないだろう。


「ハヤト」


オリビアは優しく微笑み、後ろからそっと声をかけて覗き込んだ。ハヤトは驚いて顔を上げた。やはり目に元気が無い。少しやつれているようにも見える。


「…オリビア、どうして…」


「おはよう。今朝も行ったの?ゴブリン狩り」


テーブルの上に置かれた彼の杖の横には、いつも狩りへ持参すると言っていた回復薬がある。


「…いや。途中まで行ったけど、やっぱり戻ってきたんだ」


「そう。あなた、今日仮病でしょう。ダメじゃない、サボっちゃ」


柔らかに笑うと、ハヤトは顔を背けた。


「………仕方ないだろ」


「………ハヤト、このままだと表彰されないわよ」


「いいんだ。別にいらない」


「よくないわ。全校生徒の前で貰う、栄誉ある賞なのよ。立派な事だわ。ここまでずっと1位だったのに、最後の最後で逃すなんて、絶対に後悔する」


「そんな立派な賞をいくら貰ったって、本当に欲しいものが手に入らないんじゃ意味が無いよ」


「……」


ハヤトは窓の外を眺めた。いつも夕日の眩しい窓からは、今は曇しか見えない。オリビアには彼の姿が、同じように彼への挑戦を諦めそうになった、クリスマスの日の自分に重なって見えた。


「君は楽しそうにしてた。レイも、君の事を慕っている。レイが好きなんだろう?オリビアのためなら、諦めるよ。時間はかかるだろうけど。レースは、もう…」


「ねぇハヤト」


オリビアが遮る。


「ちょっとその話は後にして。私と勝負しましょう。今日の大会で」


「え?」


「今度は負けないわ。絶対勝つから…受け取ってくれる?」


そう言って、ハヤトの前にホウキを差し出した。特別進学科のクラスカラーである、緑色のラインが入っている。ここへ来る前に寄った、中庭の倉庫にひとつだけ残っていたものだ。


ハヤトは驚いたまま、動かない。


「…でも僕、もう欠席って連絡を…。それに、そろそろスタートするだろ。君だけでも早く…」


「あなたは私に、あなたを超える事を諦めさせてくれなかった。だから、ハヤトにはいてもらわないと私が困るの。お願い」


ホウキをぐっと前に差し出しても、ハヤトは手を出さないでいる。


「そう言われても、僕は」


「やらないの?」


「……今は、やる気が出ないよ……」


「分かった」


オリビアはため息をつき、ホウキを本棚へ立て掛けた。彼から貰った黄色い羽根ペンをポケットから取り出し、机に置く。


「じゃあ、私もレース、やめる。テストも受けない」


「!」


ハヤトは目を見開き、オリビアを見上げた。


「どうして?君はこの為に頑張ってきたんじゃないのか?最優秀賞が欲しかったんだろう?」


「そうよ、私はこの賞にかけてるところもあったわ。でも、いいの。ハヤトがやる気無いんじゃ、張り合いが無いわ。そういうのは抜きにして欲しいって、あれ程言ったのに」


「僕はいいけど、君はずっと1位にこだわってたじゃないか。君なら、1位として受賞出来るんじゃないか?あと少しだろう。頑張ろうよ」


「嫌!!」


オリビアは声を荒らげた。誰もいない図書館中に響き渡る。


「どうしてハヤトまでそんな事言うの?あなたを見捨てて貰った賞状で、私が喜ぶと思うの!?」


「……」


「あなたはどうして私が好きなの?何のためにこれをくれたの!」


羽根ペンに指を突き付ける。


「私がどう頑張っても届かない宿敵を超えるための努力を、応援してくれるからなんじゃないの?ズルしない私を好きなんじゃないの!?それなのに、1番大事な大会で正々堂々と勝負させてくれないの!?」


──くじけそうな時も、これがあったから頑張れた。悔しさだけが支えだったのに、いつしか……


「どんな理由であれ…私が追い続けたあなたが今日、前にいてくれないなんて、おかしい!あなたが1位じゃないなんて、考えられない!ハヤトと一緒に表彰台に立てないのなら、私だって賞なんかいらない!!」


ハヤトは目を丸くして、何も言わずにオリビアを見た。


「あなたのその才能を、今私に見せつけないでどうするの?お願いだから、見せてよ。片手でホウキ掴んで飛ぶ所を。あなたの本気のスピードを!」


──私は、ハヤトを超えたい。でも、それは敵対心や嫉妬の気持ちからだけじゃ、ない。ようやく、認める事が出来る。


「私は勝ちたいの。才能があって、何でも出来て、憎らしくて……………………………尊敬する、あなたに」


「オリビア…」


一気に思いをぶつけてしまった。息を整えていると、喉の奥が詰まったように感じた。込み上げてきた涙を堪える。


「…ごめんなさい、そもそもライバルだと思ってたのは私だけだったわね。あなたを傷つけておいて私情を挟むなだなんて、わがまま言ってごめんね」


彼の分のホウキを持った。図書館を去ろうと、ハヤトに背を向けて歩き出す。説得出来なかった。自分の力不足だ。涙はここを出てから流そう。


「オリビア」


引き戸に手をかけた時、後ろから声が聞こえた。久しぶりに聞いた、力強い声だった。


「貸してくれるかい?ホウキ」


「え……」


振り返ると後ろには、立ち上がって手を出したハヤトの姿があった。その大きな手に、緑色のラインが入ったホウキをゆっくりと渡す。


「分かったよ。やろう、勝負。僕も本気でやるよ、いいね」


「……うん……」


間に合わず溢れた涙をひとつ、拭った。


***


レース会場では、生徒たちはざわざわとどよめいていた。1年前に凄まじい好成績を残した優勝候補が2人も現れていないのだから、当然だった。そうなると誰が繰り上がりで勝利するのか、そちらの話題に移り変わった。


ぞろぞろとスタートラインに並ぶ。その人混みの中で、サラは空を見上げた。校舎の方角から、猛スピードで飛んでくる2つの影が見えたからだ。オリビアたちと確信すると、顔をほころばせた。


「偉いじゃない、オリビア……ちゃんと連れて来たのね」


「はぁ、はぁ…急いで!ハヤト!」


オリビアは会場に降り立つと、焦ってハヤトに呼びかけた。スタートラインに並ぶ大勢の生徒たちの、最後尾になんとか間に合った。しかし大急ぎで飛んできたため、既に息切れしている。


ひざに手を当て、肩を上下させていると、横からハヤトに何かを差し出された。先程図書館で見た彼の回復薬だ。


「オリビア。これ、飲んで」


「え…いいの?」


「これで、オリビアも全力でレースに参加出来るだろう。正々堂々とやるよ。君の真似だ」


ハヤトは未だに元気は無いが、笑顔で言った。オリビアは受け取り、一気に飲み干す。


「ハヤト…ありがとう」


足元を見ると、まだ芝生は濡れている。去年と違って、ホウキの手入れは済んでない。練習さえ足りていない。飛び立つのに何ひとつ最適なコンディションとは言えなかった。それでも不思議と、心は落ち着いていた。


「よし、じゃあいくよ、オリビア」


オリビアは深呼吸して、横で空へ舞い上がる準備をするハヤトを見る。悲しみをこらえてでもライバルとしてここへ来てくれた彼に、最大限の力を発揮して貰うために、スタート前にひとつ、言っておかなければならない事がある。


「ハヤト、来てくれたお礼に…報告があるの」


「なんだい?」


遠い前方のスタートラインから、教師の掛け声が聞こえる。


『位置について』


「あなたの言う通りだったわ。レイくんに告白された」


「………そうか。良かったね。おめで…」


「何言ってるの?断ったのよ」


「……え?」


『用意』


「後は分かるでしょ、天才魔法使いさん!」


レース開始を告げる大きな笛が、会場中に響いた。






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