第17話 死の温泉旅行②
重厚な扉を開くと畳三枚分はありそうなバリアフリーの玄関、長い廊下にはいくつも扉があり、突き当たりの扉の先にリビングダイニングが広がっていた。
「おそーい」
理沙の声が聞こえてくる。白井に続いてリビングに入ると、すでにくつろいでいる女が三人、長方形のテーブルを囲んで茶会を開いている。反対側に目をやると見たことがないような巨大なテレビが壁に掛かっていて、その前にはローテーブル、L字のソファが鎮座していた。
果穂と春華はそのソファで飛び跳ねてはしゃいでいて瑞稀は端っこでいつものようにマイペースに絵本を読んでいた。
「おそくないだろ、一体何キロ出してたんだよ」
特段、嫌味のつもりもなかったが宏美が舌をだして頭を下げた。
「ごめんなさい、運転しやすくて、つい」
久しぶりに会う宏美はいつもの様なスーツじゃなくて若者らしいラフな格好をしていた。やはり可愛い。
「いや、ひろ、荒川さんに言ったんじゃなくて、その」
ドギマギしていると冷めた声で理沙が入ってくる。
「じゃあ、誰に言ったのよ」
「ねー」
姉妹で顔を合わせて笑っている、どうやら本気で怒っているわけじゃないようだ。それにこの弛緩した雰囲気。ともすれば殺しあう家族、緊張感に支配された空間になることを予感していた順平は少し安堵した。
単純に両家で旅行を楽しむのが今回の目的なのかも知れない。そう考えると宏美と二泊三日ずっと一緒にいられる事に別の緊張感が襲ってきた。
「とにかく運転お疲れさま、ごめんね、うちの人ペーパーだから、こっち座ってお茶飲んで」
新田の嫁、麻里奈がダイニングチェアを促してきた。
そうだった――。
久しぶり、以前会った時にも衝撃を受けたが麻里奈は信じられないほどに美しかった、たしか年齢は自分と同じ四十二歳。しかし目の前で微笑む美女は透き通るような白い肌に大きな瞳、大げさじゃなく二十代でも通用するだろう。
「あ、ありがとうございます、では失礼します」
あまりの美しさに恐縮してしまう。
「ちょっと順平くん、なんか麻里奈に緊張してない、いい加減もう慣れなさいよ」
理沙に言われてハッとする、すぐに宏美に視線を送ると、言われなければ分からないほど僅かに頬を膨らませて抗議している、ように見えた。
「ば、バカ言うなよ、緊張なんてしてないよ」
麻里奈に出された紅茶が熱くて吹き出すと、またも三人に笑われた。冷静さをやっと取り戻し、白井の姿が見えないことに気がつくと、ソファで娘たちと戯れあっていた。果穂と春華は白井を取り合うように話しかけている、驚いたのはいつも俯瞰でみている瑞稀まで遠慮がちにちょっかいを出していた。
白井夫妻の狙いは順平の娘たち――。
理沙の推理が頭を掠める、確かに子供がいない男性にしては扱いに慣れているように見える。子供が好きじゃないとああいった対応はどこか不自然になってしまうが、白井の態度はまさに子供好きのそれだった。
「ねえねえ順平くん、マンションの中に温泉も付いてるんだって」
理沙はキラキラと目を輝かせているが、やはり麻里奈と比べると同じ血筋とは思えないほどにブサイクだった。能のお面にしか見えない。に、しても、すっかり機嫌が良くなったようで良かった、それだけでもここまできた甲斐がある。
「温泉かあ、いいねえ」
流石に一人で三時間の運転は疲れた、ゆっくりと温泉に浸かり、ビールでも飲めれば最高だ。
「部屋にも付いてるけど、二階に大浴場があるからそっちに行っておいでよ、露天風呂もあるからさ」
素晴らしい、こんな良い場所があるのに滅多に来ないとは、金持ちが何を考えているのか白井家を見ていると益々分からなくなってきた。
「行きましょうか」
いつの間にか浴衣に着替えている白井から声がかかる、順平もいそいで着替えると手ぶらで部屋を後にした。
「タオルとかは?」
「すべと完備してますので大丈夫です」
なるほど、手ぶらで来れるように配慮されているのか、まったくもって贅沢の限りだ。
そう、贅沢すぎる――。
麻里奈の何が不満なのか、美しくて愛想もいい、あのルックスなら夜の営みにだって力が入る。メイドの格好でもさせればさぞや様になるだろう。と、想像して急いで頭の中からかき消した。裸になるのに勃起していたら非常にまずい。
それにしてもあれだけ美しい妻なら、多少家事をサボるくらい自分ならば気にしないのに。自分なら。
そう、自分なら。
自分と白井では天と地ほども違う、自分の考えが白井に該当するなんて考えるほうがおこがましい。白井には白井の悩みがあるのだ、そう考えなければやってられない。
地元の銭湯よりも広い脱衣所、内風呂は十種類以上あり、露天風呂も広い。にも関わらず入っているのは二人だけ。このリゾートマンションとやらはこの先やっていけるのか心配になる。
「ふー」
内風呂を梯子して最後にたどり着いた露天風呂に肩まで浸かる、やはり外は気持ちいい。
「気に入ってもらえましたか?」
声の方に振り向くと、股間にタオルをあてた白井が歩いてきた、右足から湯船に入り素早くタオルを頭の上にのせる。タオルを入れるのはマナー違反だ。誰もいなくてもそんな事を律儀に守る白井にはやはり好感がもてた。
「最高ですね、贅沢の極みですよ」
心からそう思う。
「ほんとですよね、購入価格で数億円、管理費で毎月、都心にマンション借りられるくらい払ってますからね、馬鹿らしいですよ」
なるほど、使う使わないに関わらず金は取られているのか、だったら安泰だ。無駄な従業員にも頷ける。
「麻里奈がどこで見つけてきたか、欲しい、欲しいって、おもちゃ感覚ですよ、ですが……」
白井は蒸気した顔をコチラに向けてニヤリと笑った。
「このマンションを購入したのは大ファインプレーだったかも知れませんよ」
「え?」
どう言うことですか、と聞く前に白井は話しだす。
「サウナがついているんですよ、部屋にね」
部屋にサウナ、あまりピンとこなかったが先を促した。
「小さなサウナです、そうですね、大人二人も入ったらいっぱいになるくらいの」
「はぁ」
順平はまるで話が掴めないが、かまわず白井は続ける。
「鍵がバカになってるんですよ、いや、初めから壊れていたのかな」
「鍵ですか?」
サウナに鍵が必要なのか、益々話が見えてこない。
「ええ、中から鍵をかけるともう出られません、しかし外からはアッサリと開くんです」
「え、どうして?」
「分かりません、気がついたらそうなってました、そしてそれを知っているのは僕だけです、いや失礼、今は順平さんと僕だけです」
ドクドクと心音が高鳴ってきた、風呂に浸かりすぎのせいではないだろう。白井の話がうっすらとだが見えてきたからだ。
「つまり、麻里奈と理沙さん、もしくはどちらか一人を閉じこめる事が可能です」
さすがにのぼせてきたのか、白井は石段の上に上がり頭に乗せていたタオルを股間にあてた、足湯をしているような大勢になる。
「なるほど、クソ暑いサウナの中に長時間閉じ込めてしまえば死に至るって事ですか?」
白井はゆっくりと首を二回振った。
「暑さで死ぬかどうかは微妙です、それにサウナの中には非常ボタンがあって、それを押せば部屋中にブザーが鳴り響きます」
なんだ、それじゃあ何をしてもダメじゃないか、ガッカリ感と安心感が同居するような不思議な気持ちになる。
「そこで、順平さんの考えた案です」
「僕ですか、何か考えましたかね」
「ええ、一酸化炭素です」
その言葉で全てを理解した、狭い密室、無味無臭の毒ガスである一酸化炭素をサウナに仕込めばあっという間に中毒になる。初期症状であるめまいなど、本人たちはサウナの効果が、一酸化炭素中毒による症状かなんて区別もつかない、そして気がついた時にはもう遅い。
「で、でも、でも、どうやって一酸化炭素を発生させるんですか?」
インターネットで調べたところによれば練炭を燃やすのが一番手っ取り早い。車の中での練炭自殺は苦しみもなくあっという間に死ねるらしい。サウナ室がどの程度か分からないが大人二人しか入れない設計ならば車よりも狭い空間になる。
「夜は屋上でバーベキューの予定です、たっぷりと練炭で焼いた肉を楽しみましょう」
口の端を僅かに上げた白井の整った顔が歪んだ、それはとても演技とは思えない鬼気迫る表情で、肩まで温泉に使っているはずの順平が寒気を覚えるほどだった。
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