第6話 姉妹の作戦

「じゃあ、またねー」

 新田理沙は主婦友達と別れると、津田沼駅に向かって歩きだした、昼過ぎの駅前はくたびれたサラリーマンに買い物中の主婦、頭の悪そうな高校生が入り混じり理沙の気分を害した。

 

「今度はミラノに行こうかしら」

「うちはやっぱ南の島かな」

「新田さんの所は夏休みは?」

 

 ふっ――。

 今日のランチ代すら旦那から無理やり搾取さくしゅしいてるのに旅行なんて行けるわけがない。そもそも、なんの仕事をしているか知らないが、そんなに裕福ならばこんな田舎に住んでないで港区にでも引っ越せ。


 結局それほどの財力はないのだ、所詮は千葉県住まいの小金持ち、本物が集う東京都の中心じゃ吹けば飛ぶような木端こっぱに違いない。だからこそ私のような人間に声を掛けて優越感に浸っているのだろう。


 しかし、あいつらは勘違いをしている。私は元々東京、それもセレブが集う南青山の高級マンションで生まれ育ったのだ。在日朝鮮人の両親は事業に成功して財を成した。有名私立に幼稚舎から通い夏休みは海外でクルージングに興じるような第一線のセレブ、千葉県民などは声もかけられない天上人。


 すべてはバブル崩壊からおかしくなった、子供ながらに生活レベルがグングン下がっていくのを肌で感じた、妹の麻里奈は引っ越すたびに狭くなる家を楽しんでいる感すらあったが、中学生だった自分には屈辱でしかなかった。当然、授業料の高い私立は転校して、東京と言うのも憚られるような治安の悪い地域の公立校に入れられた。


 すっかり貧乏生活にも慣れた頃には高校卒業、大学に行く金も頭脳も持ち合わせていない理沙は地元の印刷会社に就職、社員が十人の零細企業には若い社員が一人もいなかった。それでも安定した収入がある事に小さな幸せを感じながら二年経った時に、営業として入社してきたのが順平だった。


 高卒採用で右も左も分からない順平に一から仕事を教えたのは教育系に任命された理沙だった。中肉中背、美男でも美女でもない二人が親密になるのにそう時間は掛からなかった、が。

 もう少し違う男、人生があったのではないかと考えてしまう。


 もちろん、結婚して子供が産まれた当初は幸せだったし未来に希望もあった。しかし、二人、三人と産まれてくる度に生活は困窮していった。無理やり組んだ住宅ローンも家計を圧迫している。


 旦那の給料は頭打ち、インターネット全盛のこの時代に印刷会社に未来があるとも思えない、つまり。この生活水準は生涯上がることもなく汲々とした生活をしていくしかない。


 もちろん子供たちが独立していけば生活は楽になるし、万が一にもプロ野球選手にでもなれば老後は左うちわだが、残念ながら子供は全て女の子だった。


 ならばアイドルやタレントで一攫千金と考えるが、凡人同士のDNAが化学反応を起こす事はなく、自分にそっくりな顔が三つ並んだ。

 さらに追い討ちをかけたのは長女が発達生涯と診断された事だ、たしかに落ち着きがなく小学校でもトラブルメーカーと先生に目をつけられていたが、まさか。そして、それはつまり生涯、彼女の面倒を見なければならない可能性があるのだ。


 銀色の電車がホームに滑り込んでくる、折り返しなので全ての乗客が降りていく、すばやく体を入れて席を確保したが、東京方面に向かう総武線はこの時間ガラガラだった。各駅停車に揺られて錦糸町を目指す、およそ三十分の道のりだ。


 ――お姉ちゃん、大事な話があるの。


 妹の麻里奈から連絡があったのは先週だ、珍しく連絡をよこしたと思えば何やら緊急に相談したい事がある言う。盆も正月も顔を出さない彼女が二人で会いたいなど、よほどの事があるのだろう。


 まさか金の無心か、と考えた所で馬鹿ばかしくなる。あの家は共働きの上に子供もいない。旦那は上場企業の会社経営で、妹は趣味のネイル弄りを仕事にしている。東京の真ん中にあるタワーマンションに住んで悠々自適な生活を送っていた。


 そんな家がローンと生活費で火の車の我が家に借金などするわけがない、となると、旦那の愚痴だろうか、金を稼ぐイケメンの旦那がついに浮気でもしたのだろうか、それはそれで愉快な話だ。姉妹格差が広がりすぎると軋轢あつれきになりかねない、大切なのはバランスだ。


 ああでもないと思考を巡らせているうちに電車は錦糸町の駅に到着した、先程までよりいくぶん気分が晴れた理沙は、足取り軽くホームの階段を駆けおりた。


「お姉ちゃん久しぶり」


 透明感のある肌にパッチリした二重、スラリとした体型は今年で四十二歳を迎えるとは到底思えない。頭はパーだがこのルックスのおかげで学生時代から男に困った事はないだろう。


「久しぶり、で、どこにいくの?」

 錦糸町に知っている店などない、そもそもこんな中途半端な時間から開いている店などあるのか疑問だった。


「カフェとかでいいよね?」

「ええー」


 精一杯の嫌悪感を込めて拒絶した、どうせ今日は妹の奢りだ、せっかくならば一杯やりたいところだったので、その旨を伝えた。 


「お酒飲めるところかあ、あ、焼き鳥でもいい?」

 どうやら知った飲み屋があるようだ。

「いいね」 


 曇天の空の下、錦糸町の駅前から歩くこと五分、『九助』の暖簾のれんがかかった汚い、いや、味がある焼き鳥屋に到着した。ランチで行った国籍不明の気取った料理よりもきっと美味いに決まっている。


 店内は午後の三時にも関わらず空席がカウンターしかなかった、この連中は一体なんの仕事をしているのだろうか、全員が不労所得の金持ちって事もないだろう。不思議に店内を眺めているとカウンター内にいる初老の男が話しかけてきた。


「おう、麻里奈ちゃん、久しぶりだね、すわんなよ」

 どうやら勝手知ったる店のようだ。

「おっちゃん久しぶり、これお姉ちゃん」


 だれがこれ、だ。


「おーおー、お姉ちゃんかい、あんまり似てねえな、何飲む?」


 ほっとけ。


「生ください」 

「はいよ、麻里奈ちゃんも生か?」

「うん」 


 まったく、いい年してまだ男に媚を売るような態度を取っているのか、それにまんまと乗せられている男も馬鹿だが。


 すぐに運ばれてきたジョッキを妹とぶつけて乾杯する、彼女は店主と思われる初老の男に「お任せで」とツマミを注文した。


「で、なんの用?」

 碌な用件ではないことは想像できたが、さっさと聞いておかないと落ち着かない。


「まあまあ、そんなに慌てないでよ、それより最近どうなの?」

 もったいぶるところを見るとやはりお願い系なのかもしれない、まあ面倒な事ならば断われば良い。


「どうってなにがよ」 

「順平くんと上手くいってるの? 子供は元気」  


 絶対に興味ないだろ、と思ったがせっかくだから愚痴らせて貰おう、先程のランチでは小金持ちの自慢話を延々と聞かされてウンザリしていたところだ。


「旦那は相変わらずの安月給、会話もないし、単に月末にお金を運んでくるATM」 


「ひどーい、ウケるー」


 妹はコロコロと笑っている、まったくこの美貌で愛嬌も良いのだからそりゃモテる、旦那のスペックの違いは姉妹のそれが見事に反映されていると認めざるを得ない、しかし。


「子供たちは可愛いよ」

 こいつには子供がいない、以前、母さんから聞いたことがあるが、どうやら彼女に問題があって妊娠をしないようだ。いくら見た目が良くて男にモテようが女の生涯でもっとも価値のある働きは出産だ、彼女にはそれが出来ない。不妊治療をしようがさすがに四十二歳ではもう不可能だろう。 


「だよねー、良いなあ」

「子育ては大変だけどね」


 あんたには一生涯経験できない事を私はしている、そう考える事が生まれてから何もかも負けている妹に対して溜飲を下げる唯一の方法だった。  

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