ミナとの約束

「なら、尚更気にする必要はないだろ? ミナの言う通り、人間はすぐに死ぬんだ。俺なんか君と出会ってまだ1年すら経ってない。そんなちっぽけな命が危険に晒されるだけで、どうしてそんなに思い悩む必要があるんだ?」


 紫暢はセルミナの独白を聞いてその心情を慮りつつも、あえてそれを逆撫でするような発言をする。セルミナはそれを利他的な自虐と捉え、酷薄に口元を歪めた。

 ここで紫暢を行かせてしまうことは、90年間に父を見捨てた時と何ら変わらない。それに今は、何もできない小娘ではなく、責任ある立場が伴ったクラムデリア辺境伯家の当主なのだ。セルミナはそうした思いから、大きな抵抗を抱えていた。


「ま、そうは言っても、そもそも俺は死ねないんだけどな」

「……どういうこと?」

「ミーシャちゃんと約束したからな」


 紫暢は遠い目で天井を見上げる。セルミナは意外な名前に微かに目尻を下げた。でもすぐに『約束』が信用に値する行為ではないことに気づく。


「約束なんて、あてにならないわ」

「ならなくても、守る方は守るために全力を尽くさないといけないだろ?」

「それだと死ぬ可能性があるように聞こえるけど」

「もちろん死ぬ確率はある。死ぬ確率の方がよほど高いだろうさ。でも結果は死ぬか死なないかの二択しかないだろ?」

「……論理が破綻してるわ」


 死ねないなどと言いながら、死ぬ確率が高いかもしれないとか、でも結果は死ぬか死なないかの二択だとか、思わず首を傾げるような玉虫色の論調にセルミナは呆れかえった。


「ま、何が言いたいかというとさ。俺は死にたくないし、死ぬつもりもないってことだ。言っただろ? 3万の兵を倒せる算段があるって」

「それは私を説得するための方便でしょう?」

「その一面があることは否定しないさ。でもなんの根拠もないわけじゃない。俺は人間だけど、魔法が使えるんだ」

「本当なの?」


 信じられないという表情だ。紫暢はミーシャから聞いている可能性も考えてはいたが、それがなかった以上、武闘大会は来賓の入場もなかったので、セルミナは魔法の存在に感知し得ず初耳だった。

 ミーシャはセルミナをお姉様と慕ってはいるものの、辺境伯家ですら自らが腫れ物扱いを受けていることを知っていた。そのため自分と接する機会が多くなることで求心力の低下を招く恐れがあると懸念していたのだ。

 セルミナがそれを聞いたら余計な心配だと断じていただろうが、その心を明かすことはなかった。それゆえに顔を合わせる機会は数を数えるほどしかないのが実情だった。


「本当だ。俺は魔法が使える」

「……どんな魔法なの?」

「説明は難しいんだ。ま、端的に言うと、『敵を足止めする魔法』かな」

「敵を足止めする魔法?」


 そんな魔法存在したかしら、と眉間に皺を寄せて思考に耽る。もちろん分かりやすいように砕いた表現ではあるが、紫暢が調べた限りでもそんな魔法は存在しなかった。吸血鬼の扱う魔法という代物は、土、水、火、光といった基礎魔法とその発展系が主であり、特殊なものとして身体強化や回復こそあるものの、他人の行動に干渉する魔法はないのだ。


「人間が魔法を使えないっていう常識は、きっと事実だ。でも世界の理を逸した存在がほんの一握りいて、魔法かそれに似た何かを使えるっていうのも、十分考えられると思わないか?」

「否定はできないけれど、それがシノブだと言いたいの?」


 紫暢は違う世界からやってきた人間だ。世界間の移動が人間という存在に何らかの影響を及ぼし、本来は持ち得ない能力が付随した、というのも無い話ではないだろう。そもそも魔法という存在自体が超自然的で、不可解なものなのだ。魔族が魔法を使える理由も解明はされていない。

「自分でもよく分かって無いんだけど、俺はそういう存在だと思うんだ。疑問に思わなかったか? 俺がセルミナに助けられたあの日、なぜ王都なんかにいたのかって」

「確かに疑問には思ったわ。服装も珍妙だったわ」


 一般的に流行しているスタイルのはずだったんだけどな、と笑う。


「俺はこの世界の人間じゃない。だから魔法を使えてもおかしくはないっていうこと」

「……わかったわ。貴方を信じる」


 紫暢はホッと胸を撫で下ろす。見せてくれないと信じない、と言われたら紫暢にとっても手詰まりだった。あれには使用に小さくない代償が伴うからだ。


「もしここで君が死んだら、国はどうなる? もし東方連邦軍を退け、国を立て直したとしても、跡を継ぐ者がいないんだ。となればクラムデリアを巡って王国内で対立が起こる可能性が高い」

「……」

「それによって要らぬ犠牲が出るかもしれない。君の存在はそれほど国にとって大きいんだ」


 セルミナはそれを聞いてハッして酷薄に口許を歪める。今の今まで何もできなかった自分への罰だと命を捨てようとしていた。しかしそれが本来失われるはずのなかった命の犠牲に繋がるとすれば、ここに留まるのは愚かでしかない。

 そしてそうなればセルミナがあの世でも自分を責め続け、もしかしたら現世から成仏できない程の苦しみに悶えることになると紫暢は思っていた。


「信じてくれとは言わない。俺に賭けてくれ」

「……分が悪すぎるわ」

「賭け事って、そういうもんだろ?」

「でも、でも……」


 セルミナは端麗な顔を苦痛に喘ぐかのように歪めて、それでも反論を紡ぎ出そうとする。


「俺はミナ、君に恩を返したい。頼む、俺に賭けてくれ」


 紫暢は念押しする。いつになく据わった表情に、先程までの自分の姿を重ねて、セルミナは虚空に目をやった。


「私とも約束して」


 そう言って、セルミナは紫暢と至近距離まで顔を近づける。


「絶対に死なないこと。いいわね?」

「ああ、生き延びて見せる」


 元々そのつもりだと言わんばかりに胸を張る。セルミナは紫暢に賭けることを選んだ。紫暢は責任感を重く受け止めながら、小さく頷いて見せた。

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