第36話 黒い屋根の小さな家

 船を降り、東へ向かう。アルウェンの家は、港から50km程行ったあるアトレイユという町から更に5km程歩いた場所にあった。周辺に民家はなく、歩いてすぐの場所に河口が見える。話に聞いていた通り辺鄙な場所だ。家の前に横一列に植わった背の高い防風林の間を抜けると家が見えた。


「わ、可愛いお家」

「気に入ってもらえて何より」


 白い板張りの壁に薄い黒の屋根が載っていて、窓枠は濃緑色。背が低い二階建で、上は屋根裏部屋のようになっているらしい。


 辺りは既に薄暗かった。鍵を差し込み、カチャリという音を聞いてからくるみ色のドアを引いた。


「お邪魔します……」

「他人行儀だなぁ」


 今日からここが帰る家になるのだった。わくわくと緊張が入り交じって少し興奮する。


 アルウェンの鞄を開けてやると、キリが中からぽーんと飛び出してきた。ぼんやりと発光しながら辺りを見回し、ふわふわと二階へ上がって行った。


「もう我が物顔じゃん」

「可愛いねぇ」


 その言葉には同意がない。


「魔法で部屋を明るくできる? 魔力あげる」

「うん。でもまだ貰わなくても魔法使えるよ」

「いいや使えないはず」

「えぇ」


 強引な主張に屈し、アルウェンの唇を受け入れた。さっきホウキで飛び立つ前にしたばかりなのに。


 力を受け取っている最中、不思議な多幸感がある。魔力で体が満ちていく感覚とはまた違っていて、手足の先から力が抜けて、脳がふわふわと知的活動から遠のいていくような。


(あ、これ好きな人とキスできて嬉しいだけか……)


 ふと気づき、自分の単純さに笑いそうになった。違和感に気づいたアルウェンが唇を離す。


「なんか嫌だった?」

「ううん。ちょっと気持ちよくて」

「……ムラッとすること言わないでよ」

「むら?」

「や、何でもない……」


 うなりながら自分の頭を叩くアルウェンを不思議に思いながら、ツバキは掌の上に白い光を作りだした。天井からぶら下がったオイルランプの中に光をぽいと放り込むと、室内が清潔な白い光に照らし出される。飾り気のない殺風景なリビングだ。家具は前の住人が残していった物をそのまま使っているようで、見覚えがあるのは部屋の隅に置かれた黒いアップライトピアノだけだった。


「日常生活で魔術を濫用するのはよくないって怒られたことあるから、ちょっと罪悪感がある」

「その辺の魔力を借りて使う魔術とは違って、魔法は僕の魔力を消費するだけだし。好きなように使ったらいいよ」

「本当にいいのかな」

「いいじゃん」


 暖炉に火を着けた後、床に下ろしていたバッグを持ち、ピアノの横の部屋に入る。アルウェンの部屋のようだが、シングルベッドと机があるだけで、こちらも生活感があまりない。


「つまんない部屋でしょ」


 アルウェンが自虐的に笑う。アーシャの家には沢山の薬草や野花が綺麗に干してあって、手作りの可愛らしいリースなども飾ってあった。だからか、余計に寂しい部屋に見える。


「春になったら花をいっぱい摘んでこようよ。それで部屋中に飾ろう」

「いいね。でも一番綺麗な花はもうここにいるから、何を飾っても霞んじゃいそうだね」


 そう笑ってツバキの髪を触った。アルウェンの言葉の意味を数秒考え、そしてぴこんと理解する。


「うわー! よくそんな歯の浮くような台詞を思いつくね」

「うわーってなんだよ」


 髪を触っていた手が頭を鷲掴みにして、もみもみとツボを刺激し始めた。


「痛たたた! けどちょっと癖になりそう!」

「ははははー」


 ひとしきりもみくちゃにすると満足して手を離した。


「使ってない部屋に古いベッドがあるんだけど、最近布団を干してないんだ。だから今日はこのベッドを使いなよ。僕はソファで寝るから」

「え、悪いよ。私がソファで寝るよ」

「僕を奥さんをソファで寝かせるような夫に仕立てないでくれる? それか一緒に寝てもいいんだよ」

「……い、一緒に寝る?」

「いいけど今日は我慢できないよ」

「……本日のところは一人で使わせていただきます」

「素直でよろしい」


 昨日の今日ではまだ心の準備ができていない。火照った顔を両手で押さえ、アルウェンの後ろについて部屋を出た。









「それにしても見事な包丁さばきだったね」

「包丁握ったの八年ぶりだったんだもん!!」


 夕食後、順番にシャワーを浴び終えた二人は、ソファの上でくつろいでいた。


 夕食を作り始めたアルウェンの手伝いを申し出たツバキは、長年に渡るお嬢様生活により料理の腕前が地に落ちていたことを思い知らされた。人参の皮むきを任されたが、任務を完遂するまでの間にアルウェンはベーコンと玉ねぎと謎の葉物野菜を刻み終え、更には先に炒めていたベーコンの水分がカリッカリに飛んでしまった。


「まあ美味しかったからいいよ」

「味付けした人のおかげです……」


 今日のメニューは、あり物を適当に炒めて煮込んだスープと、古い黒パンと柔らかい白パン。スープは野菜の甘みと優しいコンソメの味がして、とても美味しかった。


 数日前の硬くなったパンはアルウェンが食べると言い張っていたが、ツバキが異を唱えて譲らず、結局半分ずつ食べることにした。分け合うと何でも美味しいのだ。


 テーブルの上には、見覚えのあるコーヒーカップが二つ置かれている。数年前にツバキが贈ったものだ。当時のことを懐かしく思いながら、カップを満たすホットミルクをちびちびと飲む。


「で、今更だけど昨日何があったの? 怖かったとかいっぱい走ったとかふにゃふにゃ言ってたけど、呂律が回ってなくてあんまり聞き取れなかったんだよね」

「へへ……お酒って怖いね」


 自我を失った昨晩の己を恥じつつ、先日のパーティー会場前での出来事からのことを全て打ち明けた。アルウェンは話を聞きながら、怖い顔をしたり同情するような顔になったり、ころころと表情を変えながら話に耳を傾けた。


「……へーぇ」


 ふぅと息をついて話し終えると、アルウェンは少し思考を巡らせてから、口元に当てていた手をツバキの方に伸ばした。


「無事でよかった。本当に怪我はない?」

「うん平気! 手足がしもやけで痒いくらい」


 心配させまいと、腕をむきっとして元気そうに見せかける。


「無理しなくていいよ。怖かったでしょ?」

「ん、確かに怖かったけど……アルウェンに会ったら全部忘れちゃった」

「うそだぁ」


 苦笑して、ツバキをぎゅっと抱きしめる。本当の本当に平気だったのだけれど、抱きしめられて嬉しかったので、何も言わずにおいた。


「……お義兄さんをおかしくさせた王女様はサキュバスかな。ほぼ間違いなく」

「サキュバス? ってあの……夜な夜な男の人のベッドに潜り込んでくるっていう……」


 迷信の類かと思っていた。アマリリスがサキュバス……あの人間離れした美しさと異常なほどの魅力を考えると、荒唐無稽な話とも言い切れない。


「うん。サキュバスは寝ている人間にいい夢を見させて、その間に精気を吸い取る魔物だよ。人を魅了する術に長けていて、上級のサキュバスは自分の分泌液を使って人を服従させることができるって聞いたことがある」

「へえぇ……リリスさんが魔物……」

「魔物って言っても見た目が人に近いし攻撃性はないから、亜人の一種扱いされることも多いけどね。吸血鬼と同じような扱いをされることが多いかな」

「なんか詳しいね」

「メルトアノスにサキュバスと吸血鬼が作った歓楽街があるから。そこでは自分の血液を街の中だけで使える貨幣に交換して貰えるんだ。八割が夜のお店」

「……行ったことある?」

「あるけど知り合いに会っただけ。変なお店には入ったことないよ」


 少しムキになってそう答えた。「ちょっと脱線したけど」と続ける


「そのアマリリス王女さんは何年も前から君に近づいて来たんでしょ?」

「うん。今思えばあからさまに怪しかったな……多分レオノーラ様が王家の人と通じてたんだろうなぁ」

「君をあの好色な王様に渡そうとしてたってこと? うえぇ」


 これはツバキの推察だが、レオノーラは異国から来たマナ過剰適応の少女をヴルツ家で隠し育てていることを王家の関係者に暴露したのだろう。ツバキの存在を知った王様は、セドリックやエルネストの懸念通り、ツバキのことを欲しがった。だから自分の娘にツバキのことを探らせ、ついでにセドリックからの信用も損なわせた。


 ツバキを襲おうとした悪漢たちを雇ったのは、恐らくレオノーラによる独断だろう。男たちが言っていた『結婚できない体にしてほしい』という漠然とした依頼から、強い憎しみを感じる。そこまで恨まれる謂れは無いと思うのだが。


「あの人、自分の嫁ぎ先の益よりも個人的な感情を優先するなんてすごいな」

「とんでもないおばさんじゃん」


 アルウェンがそう吐き捨てた。会ったこともないレオノーラへの嫌悪と、だが彼女の謀略のおかげでツバキと再会できたことへの皮肉な感謝が入り混じっているようで、ツバキも同じ気持ちだった。


「義兄はずっとリリスさんに支配されたままなのかな」

「そこまでは分からないや。でも一国のお姫様が要人たちの前でそんな行為をしちゃったんだから、まあ結婚するんじゃない? おめでとー」

「他人事だねぇ」

「まあね」


 結局、ツバキはエルネストを異性として愛することはできなかった。それでも八年間お世話になった義兄として感謝と尊敬はしている。ついでに彼を放って好きな人と逃げて来てしまったことへの罪悪感もある。


 それに、アマリリスのことも気になる。悪意を持って近づいてきたのは確かだろうが、本当に悪い人なのだろうか。利用されていたたのであれば気の毒……かもしれない。


 不本意ながら長い付き合いだった彼女からは、今までに色々な話を聞いた。子供の頃のこととか、学園生活のこととか。どんな話をしていても、大抵どこかでエルネストの話題が絡んでくる。彼の生真面目さをいつも茶化してはいたが、言葉の端から滲む彼への好意にツバキは気づいていた。


(あれ、二人が結婚したら意外と丸く収まるんじゃない?)


 そう思いかけて、いやいやと首を振り、セドリックがツバキにかけてきたコストを思い出した。ツバキを買ったお金、生活費、教育費、莫大な金額と時間だ。どうなろうと、せめてお金は返さねば。


「うう、私借金持ちになっちゃった……ごめんねぇ、一生貧乏生活かもしれない」

「え、何。君の脳内で何が起きたの?」


 置いてけぼりのアルウェンにかくかくしかじかと説明する。


「払わなくていいでしょ」

「それは流石に私が恩知らず過ぎる! あー、胃がキリキリする……大丈夫。アルウェンには一銭も払わせないから。私が一生かけて払うから!」

「うーん」


 決意に燃えるツバキと、釈然としないアルウェン。二人の間に生まれた温度差をぱちりと手を打ってかき消した。


「ま、今日のところは考えるのやめようよ。移動で疲れてるのに眠れなくなっちゃうよ」


 確かに、色々と考えすぎてしまう癖があるツバキは、多少強引でも思考を放棄したほうがいいと自分でも思った。


「うんそうする。もう遅いし」

「明日天気が悪くなければ、家の周りを散歩しよう。せっかくの新天地なんだから楽しまないと損だよ」

「そうだね。おやすみアルウェン」

「おやすみ。愛してるよ」


 アルウェンの部屋の前で呼び止められ、振り向くと前髪をかき上げられた。ドキドキしながら軽いキスをして、笑う彼の顔を名残惜しく思いながらドアを閉めた。

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