山田のもつ煮込みー短編集ー

ベンジャミン四畳半

生き物や化け物がかわいい話

焼肉屋でもらえるイルカ

 馴染みの焼肉屋が今晩かぎりで閉店となる。

 焼肉屋といっても高級な店ではない。学生街と飲み屋街の境にある廃墟と見間違うかのような店構え。タレに漬かり切ったよくわからない肉を出してくる胡散臭い店だ。


「まあ最後やからこいつをもらってくれや」

「はあ」


 けむり臭く薄暗い店内には俺とこの店主しかない。いつもこんな様子だったから遅かれ早かれ潰れると思っていたがついに潰れた。


 カウンターの向こう側から店主が押しつけてくる黄色い洗面器。

 のぞき込むとその中でスカイブルーのイルカがくるくると泳いでいる。


 もちもちと丸っこいイルカ。


 その姿は水族館よりパソコンのモニターの中で見た記憶がある。WordやExcelの隅にいたあいつ……。


「なんですこれ?」

「にいちゃんイルカ知らんのか!」

「これイルカじゃないでしょ」


「イルカだよ」


 イルカがぷかりと水面から顔を出し、疲れた様子でつぶやいた。しょぼくれた黒目がこちらを見ている。


「じゃあよろしくな。今日のお代はまけとくから」


 店主はぐいぐいと洗面器を俺に押し付ける。

 透明な水が洗面器の外にまではねるがイルカはかまうことなく、くるくると黄色い壁に沿って回り続けている。


「わかったよ。これまでごちそうさまでした」

「じゃあまたどこかでな。イルカによろしくな」


 渋々洗面器ごとイルカを受けとり薄汚い暖簾をくぐると、店主が戸口から顔を出し素早く暖簾を下ろした。閉められたガラス戸がシャンとなってすぐに店内が暗くなる。


 俺は夜の街に放りだされてしまった。洗面器の中で回り続けるイルカを抱えたまま。


 ほかの店はひらいていない。人通りもなく、車すら道を走ってない。友達もいないので行く当てもない。ないないないだ。


「イルカ…確かなんか名前あったよな」


 これがパソコンの中のあのイルカだとしたら名前があったはずだ。グーグルで『イルカ、消す方法』などとググってばかりで邪険に扱っていたから覚えてもいない。


「ないよ」


 ぷかり浮かび上がり、丸いくちばしのような口がひらいてイルカが喋る。そしてまた洗面器の底まで潜るとぐるぐると狭い洗面器の中を回り続ける。


 ぐるぐるぐるぐる回り続ける。


「あ、これロード中だわ…」


おわり

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