変わりゆく日常③

 度重なる書類業務をこなすこと四連勤。始末書と報告書をある程度終わらせ昼から休暇を取る。明日を含めると久しぶりの連休。しかも今日は給料日。


 口座に振り込まれた数字を確認した師人は、税金の計算をした後、幾らか使うことにした。


「…………?」


 ある程度必要な物を揃え、目的の場所へと向かって歩く。妙な気配と視線を背後に感じ、一瞬振り返るも誰もいない。気の所為せいかと首を傾げ、師人は気を取り直して進む。


 特異局の給料体系は固定給+歩合給インセンティブで構成されている。戦闘職員は階級ごとに基本給に差はあるものの、命懸けであるため破格の給与となっている。また、非戦闘職員であるDクラスは公務員に準じる。


 病院の受付を済ませ、いつもの病室に着いた師人は花瓶の花を替えた。そしていつもとは違い、贈り物プレゼントを持っていた。


「ほんとに上手くいくんだろうな?」

『相棒の肉体がそれを証明してるだろ?』

「…………」

『オレ様を信じろ』

「……分かった。妹を頼む」


 それは昨日の話。仕事で忙殺されていた師人は見舞いの予約を明日に遅らせ、頭を悩ませていた。


 まったく妹を治す手掛かりが無い。そもそ手立てなど本当にあるのだろうか? と文字を打ち込みながら思考を巡らせる。


 地球人では分解出来ない素材で作られた薬物は、効果が消えることなく体内を永遠に循環する。

 薬効による命の危機は脱したが、昏睡状態から目覚めること無く、気がつけば数年が経過してしまった。


「どうしたものか……」

『うむ、相棒も中々の苦労人ですな』

「人の思考を勝手に読むな」


 日頃は大人しくしてるかと思えば、急に割り込んでくるカルト。しかし今回は変に弄るわけでもなく、妹について真剣に考えていた。


『よく聞け相棒。これは真面目な話、オレ様の力を使えば出来ると思うぜ』

「……なにを?」

『毒抜き』


 寄生した宿主を強化すると同時に、特殊な力を与えるトランス星人。その一つが高い化学耐性。これは変身を応用し、肉体にとって有害となる物質の除去・免疫能力を獲得させている。


 つまり師人から変異力をあえて過剰に受け取り、一時的に単独活動出来る状態となったカルトが七海の肉体に侵入。そして毒抜きと脳を含めた内蔵器官の回復、これらを同時に行えば──────。


『よし、始めるぜ』


 赤黒い霧が七海の身体を覆う。ベットに横たわる少女、その真っ白なキャンバスに絵の具が染み込むように体内へと侵入。

 頭から手や足の先、全身を巡って原因物質の特定と除去を実行。数万と数千、何度も繰り返す。


 時間にして数十分。心臓を鷲掴みにされているような感覚に師人は襲われていた。これがもし成功すれば………もし失敗すれば…………と心の中で何度も反芻はんすうしていた。


 空調の効いた部屋で汗が滲む。握りしめた拳から血がポタポタと垂れる。走った訳でもないのに息が苦しい。


 それから更に時間は経過した。


 カルトは頃合いだ、と作業を止める。七海の体からスッと抜け出すと人形のような姿でベットの上に立ち上がったカルトは、師人の顔を覗き込んだ。


『よぉ兄弟、汗がすごいぜ?』

「うっせぇ、おかげで喉がカラカラになったわ」

『そいつはすまねぇ、結構手間取った』

「……て事は─────」

 

 その問いに言うまでも無い、とカルトはその小さな親指で後ろの少女を指差す。

 その瞬間、締め上げられた心臓がバクバクと脈打つのを感じた。

 

 外見に変化は無い。けどこれは─────。


「七海……?」

 惰性でしていた声掛けに返事はいつも無かった。それでも名前を呼び続ければ何か変わるかも、と自分を慰めていた。


「…………ン」

 気丈に振る舞っていてもどこか寂しそうな両親が嫌で、一人暮らしを始めた。それでも俺は見舞いをやめることは無かった。


 何百回と顔を合わせたこの部屋で、始めてその瞼と喉が動く。眩しそうな目尻がまるで、夜ふかしした朝のように重たそうに見えた。

 

「……?、お兄ちゃん……?」


 出しにくそうなしゃがれた声が、静かな部屋に小さく響き渡る。落ちてしまった筋肉で上手く起き上がれない妹の背中に手を当て、そっとその身体を起こす。


「七海─────」

 視界がぼやけて何も見えない。それでも無意識に鼻水を啜り、その細くなってしまった身体を思いっきり抱きしめた。


「…………?」


 戸惑いを低い体温と一緒に感じる。無理もない、ずっと眠っていたんだ。意味が分かんねぇよな。

 それでも悪い、先に伝えさせてくれ。ずっとずっと前から、お前に言いたかった言葉─────。


「おかえり」

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