第9話 アイロン掛けは2万7000m上で③

 誠とアレックスは宇宙服を身に着けて工具と機材を持ち、4輪のバイクのような姿をしたATVを引っ張り出してエアロックから外に出た。ATVの後部座席にアレックスが座り、誠がハンドルを握って居住区から500mほど離れたところにある建設エリアに向かう。

 火星の表面はいつも通り赤茶けた砂と岩だらけで、夕日は青かった。

「こういう感じで、秋さんを乗せることがよくあったよ」

 あちこちに点在しているプレハブの間を抜けて建設エリアに向かいながら、誠がそんなことを言った。

「デートってわけじゃないだろ」

「パシリだよ。弱みを握られた無料運転手」

「だろうな。あのアクティブ姉ちゃんに付き合うのは大変だろ」

「あの人、運動神経は今一つだけど、体力はあるんだよね」

「そりゃ火星に来て、自分の好きなことやりまくってるんだからなぁ。タフじゃないわけがないっつうか……」

「まあ、それもあるけど。登山したり、クロスカントリーしたり、結構いろいろやっているんだよ。クロコダイル・トロフィーを完走したことがあるとか」

 クロコダイル・トロフィーは、オーストラリアで開催される自転車クロスカントリーレースだ。砂漠が広がる灼熱の北東部で、1500km前後の距離を10~13日かけて走破する。完走するだけで順位に関わらず表彰されるほど過酷なレースとして知られている。

「そりゃ、相当キてるな。おっと、建設エリアだ」


 建設エリアには資材集積所、まだ設置されていない採掘プラットフォーム、充電ステーションなどが置かれ、周囲にフェンスが置かれている。昼間はフェンス内側を各種の作業を行うボットがちょろちょろしているが、夕方なのでそれらは駐機用の建物へと戻っている。

「さっさとやって帰ろうぜ。もうすぐ暗くなる」

 アレックスに続いてATVから降り、問題が起こっている資材集積所のマニピュレーターの方に向かった。

 資材集積所に入ると、天井に設置されている人の背丈ほどの長さのマニピュレーターが目に入った。運搬を担当するボットの背中に、積まれている資材を乗せるためのアームだ。使われていないときはたたまれて天井に収納されるが、それが中途半端なところで曲がったまま止まっている。

 原因は見てすぐ分かった。資材を覆っていた保護シートの一つが外れて飛び、マニピュレーターに引っかかって関節に巻き込まれてしまっている。本部から発送された時にカバーの留め付け付けが悪く、予定していないところで外れてしまったらしい。

「腕なんだから、自分で取ってくれればいいんだけどな」

「予定していないことに対応できるほど、どの機械も賢いってわけじゃねえ。マニピュレーター下ろしてくれ。さっさとやっちまおう」

 誠は宇宙服の胸元に付けたホルダーを開き、装着されているタブレットを操作した。システムに接続し、マニピュレーターを思いきり伸ばして下げた。だが、シートが引っかかっている関節は地面から4mほどの高さにある。火星の重力が地球より小さいとはいえ、さすがに届かない。

「脚立を持ってこよう」

「いや、大丈夫だ。上ってケーブルひっかけたら、しがみついたまま出来る。地球重量で800kgまで大丈夫だったな」

「システムにはそう書いてある」

「OK。関節の固定だけしっかりしておいてくれ」

 誠がマニピュレーターの関節を固定した状態にすると、アレックスはマニピュレーターに取りついて猿のように身軽に関節のところまで登って行った。手際よくケーブルをマニピュレーターのアームに回し、宇宙服につなげて体を固定する。これで両手が使える状態になった。

「さすが元軍人」

海軍の予備役工兵隊シービーだったがな。秋子もこういうロッククライミングとか好きな性質かね?」

「山登りが好きなら出来るんじゃないかな? 火星に来てからもなんかやってた気がする」

「山登ったり荒野横断したりするノリで火星に来たんじゃなねえの」

「いや、実際そうかも。実際“世界記録”作ろうって、火星に来る前から準備していたよ……」

 誠は以前に、自分が目撃した“世界記録”のことを思い出した。

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