第49話 ただいま

カイルは二人が横たわるベッドの側にずっと付いていた。二人とも死んだように意識を失ったままぴくりとも動かない。まるで心中したカップルを見守っているようだ。静けさだけが支配する部屋に一人、じっと身をこわばらせたまま椅子に座っていた。


(頼むよ……俺はこの記憶を手放したくない。何事もなかったようにお前が消えるなんて我慢できないんだよ!!)


待つ以外に手も足も出ない状況は地獄でしかなかった。それでも身を切るような辛さにじっと耐えるしかない。ビクトールは、何が起きてもいいようにトトとジュジュをレディ・ナタリーに頼むなど身辺整理はぬかりなかった。慎重な彼らしいが、最悪の事態を想定して対処するのを見るのは辛かった。もしもの可能性なんて一片たりとも考えたくないというのがカイルの本音だったのだ。


どれだけそうしていただろう。何もしてないのに姿勢を固定したままずっと神経を張りつめていたので、次第に頭がずきずきしてきた。窓の外が次第に暗くなってきたが、部屋に灯りをともす気にもなれずひたすらじっと待つ。


ここまで集中していればビクトールがわずかに身体を揺らしたのを見逃すはずがなかった。


「ビクトール!」


カイルは思わず立ち上がってベッドに駆け寄った。長い眠りから覚めるように徐々に動きが増えてくるのを、固唾をのんで見守る。やがて目を開いたところでもう一回名前を呼んだ。


「ビクトール! 分かるか! 大丈夫か!」


しきりにビクトールの様子を聞こうとするカイルだったが、ビクトールは焦点の合わない目を向け、しわがれた声で「リリアーナは?」とだけ尋ねた。


隣のリリアーナはまだ眠りから覚めない。まぶたは重く閉じられ、彫刻のように整った寝顔のままぴくりともしなかった。


ビクトールは自分のことは構いもせず、隣で眠るリリアーナをずっと凝視した。カイルもそんなビクトールの邪魔をせずに一緒に見守る。時間にすれば数分程度だったのだろうが永遠のように感じられた。ようやくリリアーナの身体がもぞもぞ動きだしたのを見て、二人ははっと息を飲んだ。


「ビクトール……カイル……ただいま」


必死の形相で自分の顔を覗き込むビクトールとカイルを目にして、リリアーナはぼんやりした頭で何か言わなければと頭を働かせた。次の瞬間、ビクトールに強い力で体を起こされ、そのままぎゅっと抱きしめられた。


「よかった……リリアーナ……おかえり……」


ビクトールはそれだけ言うのがやっとだった。感情を制御できないらしく、身体が小刻みに震えている。横にいるカイルも感極まり涙ぐんでいる。リリアーナは元の世界に帰ったことをようやく悟った。


「うまくいったのね……私たち元の世界に戻ってきたのね」


じわじわと喜びと安堵感がこみ上げ、言葉にならない感情があふれ出す。しかし次の瞬間、突然痛みが刺すように、漠然とした喪失感に襲われた。何か大事なものを喪ったような、今まで心の中を占めていた何かが無くなって、ぽっかり穴が空いたような感覚を覚えた。


「お母様がいない……私が! 私が殺した!」


リリアーナの声が震え出すのを止めるかのように、ビクトールは抱きしめる腕に力を込めた。彼女の言わんとするところが十分すぎるほど理解できた。


「大丈夫、これが本来あるべき道だったんだ……リリアーナは何も悪くない」


ビクトールは泣きじゃくるリリアーナの頭を抱きかかえ、何度も何度も優しく撫でた。うまく表現できないが、彼女の中でアレクサンドラが消失したという実感は確かにあった。今までいたことすら気付かなかったのに、いなくなって初めて意識できるようになったのだ。


「本当は分かっていたの。お母様は私を思ってしてくれたって。でもひどいことを言ってしまった。私がもっとしっかりしていれば、お母さまもあんなことをする必要はなかったのに」


「アレクサンドラはリリアーナの決断を受け入れた。そうでなければ何らかの抵抗をしていたと思う。でもなすがままにさせた。それが全てだ」


アレクサンドラが魔術師としての野心を優先させたのも、その一方で娘の行く末を案じたのも、どちらも事実だ。いずれにせよ、娘のリリアーナが責任を感じる必要はない。アレクサンドラの罪は娘には関係がない。


「おい! いま王宮から連絡があって、ルーク殿下が目覚められたそうだ!」


ギャレット侯爵が突然部屋に飛び込んできた。そして、ビクトールとリリアーナの姿を認めるとしばらく棒立ちになっていたが、「おめでとう。よくやった」と噛みしめるようにねぎらいの言葉をかけた。しかしこの現場は息子に任せることにして、名残惜しそうに部屋を出て行った。


「カイルも行かなくていいの? お前も取り巻きの一人だろう? これから忙しくなるぞ」


「俺はお前たちに付いてるよ。どうせあっちは俺がいなくても変わらないだろう。こっちの方が大事だし」


カイルは眩しそうにビクトールとリリアーナを見つめた。全てがうまく行ったことに歓喜しながらも、自分に課された使命のことを考えていた。


**********


奇跡のような一日から1週間近く経過したある日、カイルは父の執務室を訪れた。ルークが目覚めたことで事態は一変し、周囲が急に慌ただしくなった。ギャレット家も頻繁に王宮に呼ばれて息つく暇もなく、親子でゆっくり話ができる時間が取れるようになったのは、この頃になってからだった。


「やあ、久しぶりに会う感じがするね。あれから色々ありすぎて」


ギャレット侯爵は、忙しい身ながらも疲れを感じさせない口調でいつものように息子に話しかけた。一方のカイルはやや緊張した面持ちで父に対峙した。


「何だい、そんなに改まった様子で? 何かあったの?」


「ビクトールの件なんですが」


カイルはどう切り出せばよいのか分からず、ずっと考えあぐねていた。狙った獲物は逃さない抜け目のない父にどう立ち向かえばいいのか熟考に熟考を重ねて来た。しかし結局、正攻法で真正面からぶつかるしかないと言う結論に達したのだ。


「卒業後、うちで召し抱える話になっていましたが、彼の希望通り魔法技術省へ就職できるように働きかけてもらえないでしょうか」


言った。とうとう言った。緊張が隠せない面持ちのカイルを、父のギャレット侯爵は面白そうに覗き込んだ。


「言うねえ~。そんな話が出るとは思っていたけどね、でも最初に彼を推薦したのは君だよ? どんな心境の変化があったんだい?」


「彼の類まれなる才能を間近で見て、これはうちで独占するよりも魔法技術省で研鑽を積ませた方が全体の利益になると思ったんです。確かに最初に目を付けたのは俺です。でもしばらく一緒にいて評価を改めました。非凡な才能を最大限まで伸ばせばどこまで高みに上れるか見てみたいんです」


カイルはそう言うと頭を下げて頼み込んだ。


「でもね、うちは彼に随分貸しがある。うちに忠誠を尽くす条件で前借りを頼んで来たのは向こうだよ。彼自身はうちに骨を埋める覚悟を既にしているのに、こちらから手放す義理もないだろう」


「彼の本当の望みは魔法技術省に入ることなんです!」


カイルは頭を下げたまま声を上げた。


「本当の望みを知っていながら、それを曲げてうちに忠誠を尽くせなんて俺にはできません! 利害関係のない友人は学生のうちしか作れないと言いますが、俺にとっては彼がそうなんです。これからはもう、彼以上の友人はできないと思ってます。だからこの関係を大事にしたいんです……どうかお願いします」


ギャレット侯爵は、カイルの下げた頭をまじまじと見た。息子がここまで真面目になるのは珍しいことだ。いつもは父をまねて飄々としたり、斜に構えるのが常なのに。


「やれやれ。これで二人目か」


ギャレット侯爵は深いため息をついた。


「つい先日もダスティンがまた訪ねて来てね、あいつが度々来るのは碌な目的じゃないと思ったら案の定、お前と同じことを頼んでいたよ。彼の身柄をうちで預かる話をどこかで知ったらしい。あれだけの才能を埋もれさせるのは人類の発展にとって大いなる損失云々と演説をぶって行った。無愛想で仏頂面の彼の、どこがそんなに魅力的なんかね」


ギャレット侯爵は一息ついて紅茶を口に含んでから、また話し出した。


「そこまで言うのならまあ、考えてやらんこともない。うまくいくか分からんが、古い因習に囚われている石頭どもの鼻を明かすのも面白い気がしてきた。その代わり、お前が彼の分までうちに貢献するんだよ。見返りのない施しはしない主義なんでね」


そう言うと、ギャレット侯爵はカイルに向かって軽くウインクをした。


「……ありがとうございます!」


カイルは先ほどよりも更に深く、父に向ってお辞儀をした。

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