第32話 再び禁書庫へ
「どういうことだ? また魔法技術省に行きたいって?」
「禁書庫で調べたいことがあるんですが……やはり無理ですか……」
ビクトールは、カイルの邸宅でギャレット侯爵と会っていた。ギャレット侯爵はランチの場を設けてビクトールを歓待したが、悠長に食事しながら会話するゆとりはなかった。一刻も早くことを進めないといけない。こうしている間にリリアーナが王室に目を付けられたら打つ手はなくなるのだ。
「この先ギャレット家の影として働くことは決まっているのですから、信用を前借するのは駄目ですか?」
ビクトールにしては珍しく、駄目と言われても食い下がった。普段の彼ならとっとと見切りを付けるところなのだが。横にいたカイルは、いつもの彼の様子と違うことに気が付いた。
「いいとか駄目とかの問題じゃなくてねえ……つい先日研修生として入ったばかりなのに、日を空けずにまた潜り込むというのは、いくら私の力でも無理ということだよ。調べ忘れたことでもあるのかい?」
「はい。調べる順番を間違えたと言ってしまえばそれまでなんですが、後になって確認したいことが増えたんです。あの禁書庫に答えがあると思うのですが」
「前回だってかなり綱渡りだったんだよ? ダスティンの力技で何とかなったようなもので。同じことを2回なんて、さすがに目を付けられてしまう」
ギャレット侯爵が意地悪をしているわけではないのは、ビクトールにも分かっていた。やはり過分な要求だったのか——。がっくりと肩を落とすビクトールに、カイルが声をかけた。
「それなら、ダスティンさんに代わりに調べてもらえば? 何か困ったことがあったら相談しろと言われたんだろう? あの偏屈で人嫌いのダスティンさんがそんなこと言うなんて前代未聞だよ。せっかくだから甘えてみろよ」
ビクトールははっとして顔を上げたが、諦めたようにかぶりを振った。
「それはちょっと……遠隔操作みたいなことしてもうまくいくと思えない。それに、彼を巻き込むわけには……」
「でもそれしかないだろ? お前、人に甘えるの下手だろ? いつも一人で抱え込んで、誰にも頼らずに解決しようとする。俺がこうやって協力しているのも、どうせ契約のせいとか考えてるんだろうけど、そのくせ何をしてるか全く教えてくれないじゃないか。普通、何してるか分からない奴に協力する人間なんていないんだぞ? さっき信用がどうとか言ってたけど、お前信用される努力一切してないじゃん。それなのにどうして俺が着き合ってやってると思ってるの? 少しは他人を信じれば?」
はぐらかしたり、おどけたりするのが習い性になってるカイルが、真面目な内容をストレートに言うのは実に珍しいことだった。これには父親の侯爵も目を見張って息子を見つめた。
「分かった……ダスティンさんに相談してみる。これ以上負担をかけるのは申し訳ないけど」
「逆だよ、逆。こういう時は頼られると嬉しいものなの。自分が信用されてるって思えるから」
ビクトールは、信じられないといった表情でカイルを見た。人をそんな風に捉えたことのない彼にとっては、カイルの言っていることがピンと来なかった。
「ついでなんで、今分かっていることを私たちに話してくれないか? もちろん全てじゃなくていいから。息子が言ったように、どんなことをしているのか全く分からないのは、こちらも不安だからね。少しは私たちを信用してくれているのならば」
ビクトールはうっと言葉に詰まった。最後の侯爵の言葉は、彼に釘を刺したようなものだ。ぐうの音も出ない正論に、彼は観念したように口を開いた。
「正直言って、俺もまだ完全には分かってないです。ただ、ルーク殿下がああなったのにはリリアーナが関係しています。しかし、彼女のせいではない。正確には彼女の母親が元凶です」
「アレクサンドラ・オズワルドのことか?」
ギャレット侯爵は、久しぶりにその名前を呟いた。アレクサンドラ・オズワルド。リリアーナが12歳の時に亡くなった母親の名前だった。
**********
「……つまり、事の発端は17年前にさかのぼると、君はこう考えるわけだね?」
「はい、ある意味、アレクサンドラの思惑通りに事は進んでます。でも、このままではリリアーナはいつまでも呪縛から逃れられない」
「娘を窮地に陥れる母親なんているのか?」
「彼女はそのつもりではないんでしょう。もしリリアーナの身に何かあれば、最終的に報いを受けるのは彼らです。でもそうなってからでは遅い。未然に食い止めることが必要です」
「そのために禁書庫に行く必要がある、と。そういうわけか」
ギャレット侯爵はそう言うと、ふーっと大きなため息をついて、お気に入りのモダンな意匠を凝らした椅子に背を預けた。もっとも座り心地だけで言えば従来の椅子の方がいいのだが、デザインが気に入っていたので多少の不自由さは甘受していた。
「俺がこないだ禁書庫で見つけたやつは、アレクサンドラがかけた魔法の一つに過ぎません。彼女はからくり箱のように幾重にも魔法をかけていて、全部解明しないとう意味がありません。もっとこのことに早く気付くべきだった。こないだリリアーナから話を聞いた時にこの構造を思いついたんです」
「なあ、俺にはさっぱり分からないんだけど、とにかくダスティンさんに相談しようよ。彼に事情を話して代わりに禁書庫に行ってもらおう。それしかないよ」
カイルの言う通りだった。結局、ダスティンにも事情を話す必要が出てしまった。自分の至らなさが招いたこととは言え、ビクトールはやるせない思いになった。
カイルの予想通りダスティンはビクトールのお願いを快諾してくれた。困った時いつでも相談しろと言ったのは本当らしかった。しかも、それを面倒がるどころかどこか嬉しそうにしているところにビクトールは驚いた。これもカイルの言った通りだ。
「本当にすいません、俺の代わりに禁書庫で本を見つけてもらうなんて面倒なことを頼んでしまって」
「いいからいいから。それより何をすればいいのか早く教えろ、アメンボ」
カイル宅に行ってから数日後、ビクトールはギャレット家の研究室で、魔道具を使ってダスティンと通話した。小型通信機のような魔道具を使ってやり取りすれば周囲に漏れる心配はない。
「多分、俺がこないだ見つけた本と同じシリーズだと思うんです。3番の書棚で2段目だったかな……そうそう……」
やはり、遠隔操作で人に物を頼むのはかなり難しいことだ。しかし、ダスティンは辛抱強くビクトールの無茶な要求に付き合ってくれた。ビクトールは改めてダスティンの誠意に感謝した。やっと糸口が見えて来たのは、3時間以上経ってお互い疲労の色が濃くなってきた頃だった。
「すいません、本当にこんなお願いをして。これで駄目だったら諦めますから」
「おい、もしかして見つけたかもしれないぞ……」
ダスティンの囁くような声で、事態が急展開したことをビクトールは悟った。内容を読み上げてもらうと確かに彼の探し求めていたものと一致する。これだ。ようやくたどり着いたのだ。ビクトールは高揚感が湧いてくるのを抑えきれなかった。
「しかしこれは……おい! 本の隙間に紙が挟んである。何だこれ……アレクサンドラ・オズワルド?」
しかし、ダスティンの放った言葉に、今度は雷に打たれたような衝撃を受けた。アレクサンドラ・オズワルド? どうしてここで彼女の名前が? 喜びもつかの間、ビクトールは驚きの余り頭が真っ白になった。
「『この手紙が人目に触れることはまずないと思いますが、もしこれを読む方がいたらおめでとうと称賛の言葉を送ります。よくここまでたどり着きましたね』……一体どういう意味だ? アレクサンドラの署名があるということは、彼女が書いたものか。おい、ビクトール! 聞こえているか!?」
ダスティンに再三呼びかけられ、ビクトールはようやく我に返った。それでも頭を殴られたような衝撃がぐわんぐわんと残っている。上の空のままダスティンに返事をした。
「ここに書かれた内容を見たんだが……お前何を考えているんだ……? ギャレットに説明したと言っていたが、まだ話していないことがあるだろう? そうでなければ止められたはずだ」
ダスティンは何かに気付いたようだ。ビクトールが恐れていた通りだ。ダスティンほどの人ならきっと分かってしまうだろうと思っていた。そして絶対止めに入るとも。
「ダスティンさん。お願いします。このことは誰にも内緒にしてください。どうか頼みます。それより、アレクサンドラの手紙には、他に何が書いてあるんですか?」
「話を逸らすな。前に約束したよな、誰も傷つけないって。だがこれは——」
「他人を傷つけないのは確かです。そのためにも必ず薬を成功させなければならないんです」
「俺が言ってるのはそうじゃなくて——」
「心配してくれてありがとうございます。でもその辺のところも一応考えているので大丈夫です。とにかくアレクサンドラの手紙を見せてください」
ビクトールの声は頑なだった。ダスティンは少しの間無言だったが、やがて大きなため息をついた。
「分かった。この手紙はお前の所へ持っていく。あとこの本の模写だな。それも任せとけ。ただし条件がある。俺も一緒に研究させろ」
「え? 一緒にですか?」
「そうだ。絶対に失敗は許されないんだろう? それなら俺も協力してやる。こう見えても魔法薬部門では第一人者と言われているんだ。それにお前のことも心配だし」
ビクトールはしばらく言葉が出てこなかった。誰かに心配されることがこんなに嬉しいことだったなんて今まで知らなかったからだ。彼は胸がいっぱいになりながら「ありがとうございます」と言うのが精いっぱいだった。
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