第29話 天才魔術師のスランプ

「ちょっと! スープの寸胴の中におもちゃのカエル入れたの誰? ちょっとしか怒らないから正直に名乗り出なさい!」


リリアーナが孤児院で見よう見まねで手伝いを始めてから数週間が過ぎた。最初の頃、子供たちが素直ないい子に見えたのは、リリアーナのことを「視察に来たお客様」だと思っていたからだと分かったのは、ようやく最近になってからだった。彼女が他のスタッフと同じように働くのを見るうちに「この人には悪戯を仕掛けて大丈夫だ」と判断を変えたらしい。それ以来、彼らとの闘いが始まった。


「みんな席に着いて。言うこと聞かない子はミートボールを3個から2個に減らします。減らされた分は全部私がいただくのでそのつもりで」


「えーっ! 大人げないぞ! そんなに食べたら太るぞ!」


「うるさい! 働いてるんだからお腹だって空くわよ。私を太らせたくなかったらいい子にしなさい」


リリアーナは恐ろしい顔をして黙らせようとしたが、貴族に対しては効果があった脅しも、子供たちの前では無力だった。


「おい、みんなで悪さしてリリアーナをデブにしてやろうぜ」


「えー、私ミートボール食べたいよう」


悪ガキの提案に小さい子が反応し、食堂は大騒ぎになった。こうなったらもう何を言おうが効果はない。食事前だというのに収集が付かなくなり途方に暮れていたところへ、外出から戻って来たばかりのレディ・ナタリーがつかつかと部屋に入って来るなり一喝した。


「黙りなさい! さもないと全員食事抜きよ! 人間らしくできない子はまともな大人になれません!」


この一喝で子供たちは一斉にしゅんとなった。自分だと駄目なのに、なぜレディ・ナタリーの言うことは聞くのよと、リリアーナは内心毒づいたが、信頼度も貫禄も経験も何もかも違うのは認めざるを得なかった。


「先ほどはありがとうございました。私ったらなめられてばかりで。ここに来てから自分の至らなさを痛感してばかりです」


後でリリアーナはレディ・ナタリーにお礼を言った。すっかり恐縮しきりのリリアーナにレディ・ナタリーは優しく声をかけた。


「最初からうまくできる人なんかいないわよ。私は修羅場くぐってるから何とかなってるだけ。あなたまだ若いし、あの子たちと年が近いじゃない? お姉さんみたいに思われてるのよ」


「でも、想像してたのと違ってました。もっとけなげで素直で、思わず助けてあげたくなる子たちばかりだと思い込んでいたんです。トトとジュジュがそうだったし、婚約者の頃にしていた慈善事業でもそういうのばかり見て来たから。実際はそんなに甘くありませんでした」


「かわいそうな子はみんないい子だとでも思った?」


レディ・ナタリーの少し意地悪な質問に、リリアーナは顔を赤くした。


「そういうわけじゃ……いえ、やっぱりそう思っていたかもしれません」


「恵まれない人たちは決して善人ばかりではないわ。逆に、悲惨な体験をしたばかりに根性がひねくれてしまって、助けたくなくなることも少なくない。それでも続けなくちゃいけないところが、こういう事業の難しいところなのよね」


リリアーナは黙って話を聞いていた。確かにいいところだけつまみ食いすることはできない。相当に覚悟の要る仕事だ。


「あなたもいい勉強になったわね。もしかして自信なくしちゃった?」


「いいえ! とんでもない! 逆にやる気が出てきました! 絶対にあの子たちを従えて……いえ、信頼を勝ち取って見せます!」


それまで意気消沈していたかと思ったら、急に目を輝かせて高らかに宣言するリリアーナを、レディ・ナタリーは面白そうに見つめた。ビクトールから公爵令嬢を匿ってほしいと聞いた時は腰を抜かさんばかりに驚いたが、当のリリアーナは想像していた姿とは違っていた。


リリアーナ・オズワルドと言えば高慢ちきなお嬢様で、我儘が過ぎるばかりに王太子から婚約破棄されたというのが専らの噂だったが、実際の彼女は、見た目がとっつきにくいだけで、素直で不器用で、必要以上に虚勢を張っているだけというのが分かって来た。ここに来た最初の頃は、まだ固さが取れてなかったが、最近は随分表情が豊かになった気がする。これならビクトールが彼女を大事に思うのも頷ける。


(それにしても……本当に厄介な人を好きになってしまったわね、あの子も)


レディ・ナタリーはビクトールを思うとため息しか出なかった。彼を応援してやりたい気持ちはあるが、何の根拠もなく楽観的な言葉をかけてやることはできなかった。彼もそのことは理解しているのだろう。傷移しの術の話をした時の彼の暗い表情が、レディ・ナタリーは頭から離れなかった。


**********


ビクトールは、ギャレット家の別荘の地下室の研究室で、新たな魔法薬作りに取り掛かっていた。魔法技術省の図書館にある禁書に書いてあった禁断の魔法薬。おそらく何百年も作られたことはなかっただろう。作り方が分かったからといって、これで安心というわけにはいかない。むしろ勝負はこれからだ。ビクトールには時間がない。いつリリアーナの身柄が王室に引き渡されるか分からない。それより先に魔法薬を完成させるしかないのだが。


(くそっ! 何度やってもうまくいかない! どこがおかしいんだ?)


ビクトールが魔法薬作りに失敗するなんて珍しいことだ。彼が作れない薬は今まで殆どなかった。既存のレシピを発展させてよりよいものにすることも得意だというのに、レシピ通りに作っても駄目ということは——


「よっ、久しぶり。作業は順調? 顔を見に来たよ」


「ここには来るなと言っただろう。誰かに後を付けられて場所が割れたら一巻の終わりだ」


「自分ちの別荘に来るくらい別にいいだろ」


ビクトールが一人悩んでいるところに、カイルがひょっこりやって来た。ビクトールはあれから学校を欠席しているが、カイルは何食わぬ顔をして毎日登校している。変に怪しまれたくないのと、フローラを監視する役目もあるからだ。


「それより、禁断の魔法薬とやらは完成した?」


「駄目だ、本の通りにやっても失敗してばかりいる。何が駄目なのかさっぱり分からない」


カイルはビクトールの様子がいつもと違うことに気付いた。ここまで自信を失った姿を見るのは初めてだ。


「天才魔術師がスランプとは珍しいな。どこが駄目なんだ?」


「第一工程の時点でつまづく。複写は正確、材料もいいのを使ってる、行程も丁寧。ここまで来ると考えられるのは一つしかない」


「というと?」


「本の記述が間違っているんだ。多分、わざと間違えたのだと思う」


「おい、そんなことってあるのかよ?」


「普通はあり得ないが、禁断の薬の場合そういうことがままある。何せ元々が門外不出の禁断の薬だ。本来本に記録するのも禁じられている。それをどうにか出版までこぎつけるために、わざとレシピの一部を改ざんするんだ。正しいレシピを知りたければ自分で改良しろと。禁断のレシピに手を出すほどの人間ならそれくらいできるだろうという訳だ」


「何だよそれ、滅茶苦茶だなあ」


カイルは呆れた声を出して傍らにあった椅子の背もたれに身を預けた。


「一番滅茶苦茶なのは、こんな薬を作ろうとする人間の方だよ。自分が一番おかしいのは分かってる」


ビクトールはそう言うと、自分も椅子に深く座って大きなため息をついた。顔には疲労の色が濃く出ている。眉間のしわは、一生消えないかと思えるほどに深く刻みこまれていた。


「おい、最近ずっとこもりきりだろう? これじゃいいアイデアも浮かばないよ。たまには外の空気でも吸って来いよ。リリアーナが寂しがってたぞ」


リリアーナの名前が出てビクトールは表情をしかめた。彼女が熱にうなされていた時に一度顔を見に行って以来、全く会っていない。一度会ってしまうと、頭の中が彼女で占められそうになりそうで怖かった。魔法薬について考えている時は何一つ余計なノイズを入れたくなかったのだ。


「いや……駄目だ……油を売ってる暇はない」


「根詰めてもいいことないぞ。あれから大分元気になって仕事も手伝っているみたいだから様子見に行った方がいいんじゃないの?」


ビクトールはしばらく考え込んだ。これ以上躍起になってもいい方向に進まないことは明らかだ。何か違うことをして気分を入れ替えないと、結果的に時間が無駄になってしまう気がした。それに彼女に聞いておきたいこともある。今がそのタイミングかもしれない。


「分かったよ。向こうの状況も心配だし少し顔を出してみる」


顔をしかめて答えるビクトールを見て、カイルはおかしく思った。彼の方だってリリアーナに会いたくて仕方ないくせに。全く素直じゃない奴だなと心の中で呟いた。

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