第25話 魔法技術省の禁書庫

ビクトールが魔法技術省に通えるのも残り数日となった。夢のようだった日々もそろそろ終わりの時が近づいている。密度の濃い毎日でたくさんの経験と知見が得られたが、その一方で一番の目的は未だ果たせずにいた。ダスティンも、ギャレット侯爵からその辺の事情は聞いているはずなのだが話に出てくることはない。ビクトールは、自分から話題を出していいものか迷っていた。でもこのままでは埒が明かない。明日がいよいよ最終日という日になって思い切って話を切り出した。


「あ、あのー……ギャレット侯爵から話は行ってるかと思うんですが、俺がここにきたそもそもの目的は……」


「あーあー分かってるから大丈夫だよ。余りにも図々しい要求だから、お前のこと散々こき使ってやらないと元が取れないと思ってるだけ」


「図々しい……そうですよね」


ビクトールは申し訳なさそうに肩をすくめた。本来、正規の研究員でも禁書を閲覧するのは敷居が高いのに、ほんの数週間しかいない研修生が見られるはずがなかった。そこを無理を言ってお願いしているのだから、十分無茶を言っていることは承知している。それに比べれば、ゴミクズ呼ばわりなんて些細なことだ。


「……なあ、俺が一言口添えすればここで働ける可能性がなきにしもあらずなんだが、お前、どうする?」


ダスティンは、先日の話をまだ引きずっているようだ。気持ちはすごく嬉しいが、今更どうなるものでもないので、ビクトールは丁重に断った。


「ありがとうございます。でも既に先方とは契約済みなんです。俺が研修生になるのと交換条件だったので」


「そうか……」


ダスティンはそれきり何も言わなくなった。少し気まずい間が流れたがどうすることもできなかった。


**********


「おい、フンコロガシ。行くぞ」


「え? どこへ?」


「図書館だよ。元々そのつもりでここに来たんだろう?」


ダスティンが約束を遂行したのは、やっと最終日になってからだった。魔法を使って実験器具を乾燥させている最中だったビクトールは、余りに突然だったため一瞬何のことか分からず戸惑ってしまった。


今取り掛かっている作業は後回しでいいと言われ、ビクトールはダスティンの後について、魔法技術省の敷地内にある図書館へ向かった。魔法に関する専門書なら国内随一の蔵書量を誇る図書館は、ビクトールにとって憧れの場所だった。


一旦建物を出て渡り廊下を進んだ先にある図書館は、白い大理石でできたかなり大きいドーム型の建物だった。大きな扉の前に立ったダスティンは、首から下げた鍵のようなものを大扉の前に掲げた。すると、錠前が何重にもガチャガチャと開く音がして、自動的に扉が開いた。観音開きのように開いた扉をくぐると、円形の広いホールに出た。そこでビクトールの目に飛び込んで来たのは、3階くらいの吹き抜けの空間に天井までびっしりと並ぶ本の壁だった。


(これが魔法技術省の図書館か!)


ビクトールは言葉を失ったまま目の前の光景に見とれていた。本を保護するため全体はほの暗かったが、閲覧する場所は十分な明るさがとってある。玄関からホールを抜け、どんどん奥に進む。どこまで行っても本棚は尽きることがなかった。


(一生かかっても読み切れないほどの本がある。ここに寝泊まりしてずっと過ごしたい……)


ビクトールは夢見心地になりながら、ダスティンの後ろを歩いた。ここは最先端の魔術が使われているらしく読みたい本の検索をして目当ての本が見つかったら羽の付いた魔道具で取って来ることもできるようだ。その魔道具が羽虫のように至るところで飛んでいる。


「物珍しくてキョロキョロしているようだが、目的の場所はここではないぞ」


ダスティンが振り返ってビクトールに話しかけた。そうだ、本当の目的は禁書なのだ。普通に閲覧できる蔵書がこんなにあるのに、どこを探してもビクトールが求めるものはない。自分がこれからやろうとしていることがどれだけ無謀なものか改めて思い知らされた。


ダスティンとビクトールは広大な図書館の奥まで進み、突き当たったところで今度は地下に降りて行った。ここは滅多に人が出入りしないらしく空気がひんやりとしている。階段を降りるに従って雑音も消え、聞こえるのは二人の足音だけになった。ダスティンは何事もなさそうに平気で歩いているが、ビクトールは微かな恐怖心が芽生えるのを止めることができなかった


「ほれ、ここが入り口だ」


ダスティンに言われ、ビクトールはこじんまりとした扉を見た。その前に、ずんぐりとした小柄な男が座っている。禁書部門の受付らしい。眼鏡をずり下げ、節くれだった指で帳簿に何やら記録する姿は、まるで生まれてこの方ここから出たことがないような異様な雰囲気をまとっていた。


「予約しておいたダスティン・フレッチャーと研修生のビクトール・シュナイダーだ」


ダスティンが声をかけると、受付の男は顔を上げるのもおっくうなのか、ずり下がった眼鏡越しに上目遣いでダスティンとビクトールを一瞥した。


「この中にあるものを悪用しない。分かってると思うが誓約の呪文を結ばせてもらう」


ビクトールも魔法薬を渡す時によく使う魔法だ。約束を破るとペナルティがあるようになっているが、万能の呪文ではない。相手の魔力の方が大きければ破られることもありうる。自分の時は何気なく使っているが、横でダスティンが結んでいるのを見て、何が何でも失敗は許されないと気を引き締めた。


「研修生の方はこの先通すわけにはいかない」


しわがれた声で男がそう言うのを聞いて、ビクトールは内心焦った。


「図書館の利用規約をあらかじめ一読してきたが、どこにもそんなことは書いてなかったが」


「利用規約に書いてなくても慣例としてそう決まっている」


「じゃあ、これから研修生でも入れるように慣例を変えればいいだけだ。というわけで入らせてもらうぞ。おい、一緒に来い」


「待て。それなら研修生も誓約の呪文をかけなければ駄目だ」


ビクトールは何とか入室を許可されてほっとした。そのための誓約の呪文なら何度応じてやってもいい。


「先ほどはありがとうございました。研修生は駄目だと言われた時は心臓が止まりそうになりました」


ビクトールは小走りでダスティンを追いかけながらそっと耳打ちをした。


「いいんだよ。どうせあいつの仕事は禁書を守ることだけだ。お前一人入れたってどうということはない」


ビクトールはそれでも不安が拭えなかったが、気を取り直して目当ての本を探すことにした。ここにいられる時間は限られている。せっかくダスティンがくれたチャンスを逃してはいけない。


「俺はここに座って待っているから早く目的の本を探せよ。あと、これは確認しておかなきゃならないんだが——」


ダスティンはいつもの投げやりな口調から、やや改まった言い方に変わった。


「ここにある本はみな、他人を傷つける恐れのある魔法について書かれている。お前が今から調べようとしているものもその類なんだろうが、誰かに危害を加えるつもりじゃないだろうな?」


「それは大丈夫です。誰も傷つけるつもりはありません。信じてください」


ビクトールの真剣な顔を見てダスティンは納得したようだが、それでも完全には不安が拭えないらしく浮かない顔をしていた。


それから二人とも無言のまま、ビクトールは目的の本を探した。書庫はそれほど広くないが、それでも期待した内容が書かれた本を探すのは骨が折れた。色んな本を出しては戻しを繰り返し、やっと目当てのものが見つかった。


(これだ……!)


ビクトールは中を開きしばらく目を通した。内容を理解してから期待は確信へと変わった。そして鞄から紙とペンを取り出して内容を書き写し始めた。


「おいおい、わざわざ書き写さなくても魔法で複写すればいいんじゃないか?」


「禁書の中には、呪文で情報を取り出すと間違った内容に書き換えられるものもあると聞いたことがあるので、念には念を入れて直接書き写すことにします」


ビクトールの念の入れように感心するやら呆れるやらでダスティンはため息をついた。ビクトールは最後に筆記した内容が間違ってないか何度も何度も確かめた。その真剣な表情を横目で見ていたダスティンは、何も声をかけることができなかった。


(ここまで禁書の内容に真剣になるなんて……一体何を企んでいるんだ?)


ダスティンは、ビクトールの事情に介入しないと決めていたものの、決意がぐらつきそうになるのを止められなかった。失うには惜しい人材だ。何か変なことを企んでいるなら全力で阻止したいという欲が出て来たのだ。最初はスラム街の浮浪児なんてと軽蔑していたくせに。


(でも信じると約束したから……嘘は言わない……よな?)


この3週間付き合ってきて、ビクトールの人となりは分かっているつもりだ。彼に限って変なことをしないと信じているが、それでも彼の身を案じる気持ちから不安にならざるを得なかった。


やがてすべての作業が終わり、ビクトールは晴れ晴れとした表情を浮かべた。だが、それはダスティンとの別れ、そして魔法技術省からの別れを意味していた。


「おい、サナダムシ」


ダスティンがうつむきながら声をかけた。


「相談したいことがあったらいつでも俺のところに来い。何か力になってやれることがあるかもしれない」


ビクトールはしばらく言葉が出てこなかったが、晴れやかな笑みを浮かべ静かな声で答えた。


「ありがとうございます。ダスティン先輩に会えてとても嬉しかったです。ここで学んだことは一生忘れません」


それを聞いたダスティンは、やはり寂しそうな顔をしたのだった。

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